モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

声の大きさ、メリハリ

研修で、一般の保育園とモンテッソーリを基盤とした園との違いを目の当たりにして、予想していた以上にダメージくらってる私ですが、4月からはモンテッソーリ100%を目指す園で働けるということを確認できたので、何とかやっていけそうな気がしています。


やっぱり好きだなぁ…モンテッソーリ


ベースに「子どもの育ちを邪魔しない」という考え方があるかないかで、毎日の接し方がこんなにも変わるものかと、改めて感じています。


そのひとつが、大人の声の大きさ。

モンテッソーリの先生は、ほんと、声が小さいです。お部屋にいても「…どこにいらっしゃいますか?」ってくらい。
意識してそうしているのですが、そこにもちゃんと理由があります。


子どもの集中を妨げない 


これに尽きます。


遊びに見えることでも、子どもが自発的に始めて集中している活動は、自分という人格を作っている/作り替えていることです。
でも子どもの集中はちょっとしたことで途切れやすく繊細なもの。誰かが大きな声をあげたら、すぐそっちに意識がいってしまいます。

だからというのもあり、子どもを人として尊重するというのもあり、
遠くから子どもを大声で呼びつけることもほとんどありません。こちらが用があるときは、ちゃんとその子のそばまで行って声をかけます。
(…個人的反省点でもあります。)


大きな声が必要なのは、

・危険なことを止めるとき
・絶対にしてはいけないことをしたとき

くらいです。

このメリハリがまた効果的で、普段大きな声を出さない先生がパーンと大きな声を出すと、言われた本人だけでなく周りも「あぁ、これはしてはいけないことなんだな」ということを察します。

それ以外は、クラス全体に呼びかけるときでさえも、不要に大きな声は出しません。
子どもひとりひとりが静かに聞けば、ちゃんと聞こえる程度の声で話します。

これもまた大事なところで、ひとりでもおしゃべりしていれば先生の声が聞こえません。
そこに子どもが自分で気づいて、自ら静かにする
「自発的に自分を律する」ことを待っています。
(どうしても気づかないときは個人的に声をかけます。)


普段から、子どもに呼びかけるときも先生どうしで話すときも、常に同じトーンで大きな声だと、
誰に向かって話しているのか、自分なのか他人なのか全体なのか、
何が大事なのか、先生が話しているとき自分はどうした方がいいのか、
何だか分かりにくいし、子どもが自分で考える機会も奪ってしまうんだなぁ…と感じました。子どもも、大人がしているように大きな声で話すのがいいと思ってしまうしね。


幸いにも、4月から働く園の主任先生が、
「今、研修で見ていることや違和感を元に
先生全体の会議で話し合って
新しい園ではどういう風にしていけばいいか
最初に決めておきましょう」
とおっしゃって下さったので、なんか…もう、それだけで、よかった。という感じです。

よっぽど疲れきった顔をしてたんでしょうかね。お会いしたときに主任先生のほうから、「大丈夫ですか?疲れてます?」と聞いて下さったので、今まで見てきたこと、こうあってほしいこと、全部話しちゃいました。これでクビになったらそれはそれでいいや、という感じで。でもその上でのお答えが↑だったので、あぁやっていけるかも…と思えた次第です。