モンテッソーリ教師が里親になって気づいた、たった1つの大切なこと ~愛着関係の築き直し~

愛着関係さえしっかり作れていれば、それ以外のことはどうにかなる。モンテッソーリ教師でもある筆者の気づきに至った経緯やそこから派生する学びを綴っていきます。

モンテッソーリを知らない方からの質問に答えてみる ベルの音編

モンテッソーリ園では、ある活動から次の活動にうつるときに
小さなベルをチリンと鳴らして、お知らせをします。

というのを、あまり何も考えずにやっていたんですけど。

「なんでまたベル?犬じゃあるまいし」

という感想を、モンテッソーリを導入しようとしている園の先生から頂いた
と友達から報告があり、
改めてその意味を考えさせられています。
犬か…う~ん。


ベルを使わないシチュエーションだと、

「〇〇ぐみさん、つぎは~のじかんです」

と声で伝えることになると思うのですが、

子どもがそれぞれの活動をしている空間というのは
ある程度ざわついています。

そのざわめきの中で、大人の声をもって伝えるというのは
大人が、子どもたちのざわめきよりも大きな声を出さないと
届かない、ということになりがちです。
(実際、そうやって大きな声で次の指示を出すというイメージが
保育士や幼稚園の先生にはあるのではないでしょうか)


団体の声の中の、ひとりの声というのは、予想以上に通りません。

でも、ベルを小さくチリンと鳴らすと
声とは違う音に、皆ハッとして静かになり、音のした方を見ます。

その静かになった一瞬で、次のことを伝えると、
声を張らなくても、普段通りの声の大きさで
全体に伝えることができます


次のお知らせをするときに限らず、
モンテッソーリの先生は
大きな声を出すことがほとんどありません
叱ったり、注意したりするときでさえも。
(と書きながら日々の自分を反省しています。今日も…あぁ)


それは、子どもを人として尊重し、
子どもの集中を何よりも大事にしているから
だと思うのです。


ひとつめ。
大声を出さないことが
子どもを尊重することにどうつながるか。

突然の大きな声というのは、子どもにとって、時には大人にとっても
心の暴力となりえます。

大声を出している本人はそのつもりはなくても
「あのせんせい、いつもおこってていやだ」
と言われることもよくあります。

不要に大きな声というのは
子どもを不要に驚かせ、委縮させたり、逆に反発させたりします。

それはとても自然な反応だと思います。

「そんな大声で言わなくても、わかるよ!」

という気持ちの表れだと思うのです。

その子だけに聞こえる声で、ゆっくり、分かりやすい言葉で伝えることを努力するだけで
どれだけ子どもが安心できるか。

子どもの安心を大切にするということが、子どもを尊重するということにつながってきます。


ふたつめ。
子どもは、自由に選んだ活動を通した「集中」によって変わります

montessorilover.hatenadiary.jp


どう変わるかというと、
その子が本来持っているいい部分が、表に出てきます

集中によるいい変化をとても大事にしているから
おしごとと呼ばれる、自由選択活動の時間の終わりを知らせるとき
集中を妨げないように、
大声を出す前に
一度ベルの音で「これからお知らせをしますよ」
ということを伝えるのだと思います。


だから、ベルじゃなくても
例えばオルゴールでもいいと思うんですよね。
ベルが犬っぽいと思うのならば。

実際、海外でモンテッソーリの資格を取った先生で
オルゴールを使用している方もいます。


ベルやオルゴールを使うのは「大声を出さない」ため。
「なんで大声を出さない方がいいのか」
というところが、モンテッソーリをこれから学ぶ方にも、実体験的に分かってもらえたらいいなと思います。