モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

Q. 子どもの園選びで悩んでいます 

【ご質問・ご相談】

娘も先日2歳半を迎え、
随分といろいろなことが分かるようになりました。
あんなにハチャメチャだった娘が、
こんなに落ち着いて人の話を聞き、
要求を言葉にして、
駆け引きとさえ思えるような言動をとるようになるとは。
(以前ご相談させていただいたこともありますが、
モンテッソーリ幼稚園の体験見学で
「制限があっての自由ですから」
と叱られるような
とってもとっても自由人でした)

モンテッソーリ女史の言葉
「お仕事を経て正常化する」を信じて
辛抱強く接してきた甲斐があると強く思います。

しかし、ここまでの辛抱強さと、
これからの辛抱強さは、
少し質が変わって行くのではないかと
なんとなく感じています。


質問に移ります。
娘は、一般的に言われる
素直にいうことを聞く子ではありません。
少し頑固というか、偏屈というか、
納得しなければテコでも動きません。

(モンテッソーリをやってきたからではなく、
もともとそういう気質だと思っています。
だからこそモンテッソーリ教育
この子に必要ではないかと思ってやってきました。)


ただ、素直にいうことを聞く子ではないものの、
悪い子でも問題児でもない と私は思っています。

きちんと順を追って話し、
こちらの要求と彼女の要求をすり合わせたところで
落とし所を見つけられたら、
あっさりとその通りに動いてくれる子です。


けれど、来年度入園を控えて
あちこちの幼稚園のプレへ通っていると、
「困った子」扱いをされているような気がしています。


今通っているのは、3園。

①純粋なAMI系モンテッソーリこどもの家
(電車とバスで最短45分、母子分離のインファントコミュニティ2時間半、完全自由活動・おやつ・お集まり)

モンテッソーリを取り入れているカトリック幼稚園
(自転車で10分、親子教室2時間半、自由活動と朝の会(歌・お祈り・出席)・制作・外遊び・おやつ(お祈り)・帰りの会(絵本・お祈り))

モンテッソーリの理念を取り入れてはいるが、表立ってモンテ園とは公言していない園
(自転車で5分、母子分離1時間半・秋から2時間、朝の会(歌・ご挨拶・出席)・制作・外遊び・おやつ・絵本・帰りの会(歌・ご挨拶))。


幼稚園は、十何人の子どもたちが一斉に動かなくてはならないので、
1人にずっと時間をかけているわけにはいかないのは分かります。

それに2年半ずっと一緒の私ほどには
彼女の要求を汲み取ることも難しいとも思います。


でも、彼女の気難しさは、
受け入れてあげるだけで半減するんです。
それをなかなか分かってもらえません。


1時間以上(大人で最短45分、娘を歩かせたら2時間)をかけて、
きちんと娘を見てくれる園(AMI系のこどもの家)に通わせるべきか、
ある程度娘にも一般的な扱われ方を幼いうちに経験させるべきか、悩んでいます。


これは、最終的に家族の問題でもあるのですが、
夫が「一般的にはこう、というのを小学校前に経験しないと!」
と言います。
そんなことを幼いうちに体験することが良いことでしょうか?


私は娘が自分からそこに気づいて
なるようになれば良いと、
2時間の道のりを通う覚悟でいますが…
それが彼女のためになるのかに自信が持てません。


モンテッソーリ教育を貫くというのは、
周囲の考えを押し切って行く強さがないと難しいと最近感じています。
娘も気難しいですが、私も気難しいと自分で思います。。。


答えにくい質問、というか、
日本の教育ってモンテッソーリ教育と相性悪いですよね、
というただの愚痴になってしまってますが…
最初にぶち当たった壁に、一周回って再びぶち当たってしまいました。

ちなみに、1番最初に叱られた園には、体験見学以来行っておりません。。。


モンテのお仕事や制作をさせたいわけではないのです。
お仕事を経て正常化する娘を見たいんです。
そこに寄り添ってくれる園に行きたいだけなんです。


母子分離のプレ幼稚園から帰ってきて、
私に抱っこ!と言ってじっとしがみつく娘を見ていると、
なにかが違っているんじゃないかと、
不安に思います。


回数を経るごとに嫌がり方がグレードアップしている様子に、
秋からはこどもの家だけに絞ろうと思わざるを得ません。


でも、小学校からは、、、?
モンテッソーリ女史の目指す世界は、日本にはないんでしょうか…

やはり質問というよりも、愚痴になってしまいました。
先生のような先生が増えるといいな、と切に願います。




【回答】

これは本当に悩ましい問題ですね。

プレの時点で、お子さんに合う/
お子さんが楽しそうな園が家から遠く、
逆に近くの園は微妙(←ごめんなさい)という場合…
悩むパターンです。


以下は回答、というよりは
私だったらどう考えてどうするかな
という話になってしまいますが…
(たぶん長くなります)


まず毎度同じ答えで申し訳ないですが
直球で子どもの意見を聞くと思います。


2才半の子に聞いても…
と思うかもしれませんが

子どもが通う園なので、
子どもの意見は
どんなに小さくても大事

だと思います。


言葉で気持ちを表すのが難しい年齢なら
お子さんの様子でこちらが判断します。
 

で、ご質問者様の場合は
このお子さんの様子を見て、
遠くても、①のモンテッソーリこどもの家に通うのが
最善なんじゃないか
というご判断だと思います。
 

それをふまえた上で
この先について考えてみますと、


<秋以降~3月まで>

・子どもが嫌がるところにはムリヤリ行かない
(嫌がっているプレはやめる)

モンテッソーリに全く関係なさそうな他の園のプレも試してみる
(最も大事な根っこのところで、モンテッソーリと共通の子どもの見方・寄り添い方をしている園もあるかもしれないので)


<来年度4月以降>

・通園に時間がかかるというデメリットを差し引いても①のこどものいえがいいと決めたなら、少なくとも年少の1年間は、がんばってこどもの家に通ってみる

・そのまま通えそうなら、年中・年長も通って卒園する

・毎日遠くへ通うのがあまりにも大変だと感じたなら、先生方に相談して、週3~4日通うことも検討させてもらう
(幼稚園は義務教育ではないので個人的にはありだと思っていますが、プレの段階で園の方にご相談させて頂いた方がいいです)

・それもどうしても大変なら、近くの園の中で、一番子どもに合う園に転入する
(それを見極めるためにも他の園のプレを秋から検討する)

・通園に時間がかかるデメリットの方が、生活に及ぼす影響が大きいと判断したなら、近くの園でいちばんいいところに通う


というのが、
私がご質問者様の立場だったら
とってみるかなと思われる行動です。


まず、プレというのは
園側・親子側ともに、相性の度合いを測るいい機会です。

どのような教育信念をもって保育にあたっているか
というのももちろん大事なんですけど、

それ以上に、現場の空気感や雰囲気が、
子どもにとっていいものかどうか、
その子らしくのびのび過ごせるかどうか
というところも、大切だと私は思っています。


また、モンテッソーリ園でなくても
モンテッソーリの考え方と同じように
子どもの個性や活動、人間関係を見守り、
必要な時に介入して
子どもの育ちを適切に援助する
園もあると思いますので

お近くの園を他にもいくつか当たってみて
「ここでもいいかもしれない」
と思える園を見つけておくのも一つの手だと思います。



次に、来年度の4月以降、入園後についてですが、

なぜ、とりあえず「年少の1年間」にしぼって
頑張って通うことを勧めるかと言いますと、

「個」を尊重してもらった子どもは
こだわりや強すぎる自己主張が少しずつ目立たなくなり、
自信や自己肯定感が育ち、それを基に
年中頃から自然に「社会性」が出てくる
からです。


・自分が頑張ってできるようになったことは、お友達も頑張ったらできるようになる(他者への共感と援助)
・自分ができることで、周りの人の役に立つことがうれしい(貢献心)
・失敗してもやり直せば大丈夫。だからお友達もそう。(失敗を恐れずチャレンジする気持ち、他者の失敗を責めない気持ち)


こういう気持ちが、年少の1年間でしっかり育まれれば
本人のこだわりや主張は少しずつ消えて、
もし、他の園に行くことになったとしても
楽しくやっていけるだけの土台になるんじゃないかと思うのです。


幼稚園が3年保育と2年保育の両方を設けているのは
子どもの年齢や性格・気質によっては、
2年保育の方が向いている場合もある
ということもあるのではないでしょうか。



最後に、ご主人のご意見との兼ね合いについてですが、
(ここがいちばん難しい!)


そもそも、ご主人がモンテッソーリの価値観を共有できていない可能性があるので

トイレなど目に留まるところに、
マンガで分かるモンテッソーリ
などを何気なく置いておいて
子どもの見方、捉え方、考え方
大人の接し方などを
知ってもらうのが先かもしれません。
(「読んで!」と押しつけがましい感じではなく、あくまでも「私が読んでるの」スタンスで置いておき、ご主人がトイレに長居したときに勝手に読んでもらうというスタンスで)



どんな人でも、知らない物事には恐れを抱き、
自分の知っている範囲の中で防衛に走る傾向があります。


そう考えると、ご主人から
「一般的にはこう、というのを小学校前に経験しないと!」
というご意見が出てくるのも、何となくわかるのです。


幼稚園・保育園の間、個性を尊重されすぎて
小学校でそれが通用しないとなったときに
子どもが困るんじゃないか
という、先回りのご心配だと思います。


なぜなら、私たち大人も
横並びの教育を受けてきているので
「みんなと同じ」がいいという価値観を
無意識に持っているからです。



今までの日本の教育が、モンテッソーリと相性悪いというのは
たぶんそこです。


さまざまな教育者が
「日本の教育は欧米の周回遅れ」
と嘆いているのはまさに、
「個性をつぶさず、尊重し合い、かつ調和の取れた集団を運営する」部分においてです。



でも、本来ならば、
小学校や幼稚園、保育園は
その地域に住む全ての子どもの居場所であるはずで、
目の前の子どもが困っているならば
そこに寄り添い、何に困っているのかを一緒に考えて
一緒に解決に導いていく姿勢が
現場に必要なはずなのです。

そうやっていくことで初めて、
子どもの個性をのばしつつ、
お互いに尊重し合う集団を育てていけるのだと思います。
(実際、あかねはそういう努力をたゆまず行っていた園だと思います)


それができない「システム」が問題なのではないでしょうか。


そして、困った子どもを生み出してしまう
今までの日本の横並び教育システムを
どうにか変えていきたいと思う人も増え
実際に変わろうとしているのも事実です。
(だから敢えて「今までの」と書きました)


実は、2018年に改訂された保育指針は
モンテッソーリの考え方とほぼ同じなんです。

一部抜粋してご紹介しますと、


⑶ 保育の方法
保育の目標を達成するために、保育士等は、次の事項に留意して保育しなければならない。

ア. 一人一人の子どもの状況や家庭及び地域社会での生活の実態を把握するとともに、子どもが安心感と信頼感をもって活動できるよう、子どもの主体としての思いや願いを受け止めること。

イ. 子どもの生活のリズムを大切にし、健康、安全で情緒の安定した生活ができる環境や、自己を十分に発揮できる環境を整えること。

ウ. 子どもの発達について理解し、一人一人の発達過程に応じて保育すること。その際、子どもの個人差に十分配慮すること。

エ. 子ども相互の関係づくりや互いに尊重する心を大切にし、集団における活動を効果あるものにするよう援助すること。

オ. 子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊びを通して総合的に保育すること。

カ. 一人一人の保護者の状況やその意向を理解、受容し、それぞれの親子関係や家庭生活等に配慮しながら、様々な機会をとらえ、適切に援助すること。


⑷ 保育の環境

保育の環境には、保育士等や子どもなどの人的環境、施設や遊具などの物的環境、更には自然や社会の事象などがある。保育所は、こうした人、物、場などの環境が相互に関連し合い、子どもの生活が豊かなものとなるよう、次の事項に留意しつつ、計画的に環境を構成し、工夫して保育しなければならない。

ア.子ども自らが環境に関わり、自発的に活動し、様々な経験を積んでいくことができるよう配慮すること。

イ. 子どもの活動が豊かに展開されるよう、保育所の設備や環境を整え、保育所の保健的環境や安全の確保などに努めること。

ウ. 保育室は、温かな親しみとくつろぎの場となるとともに、生き生きと活動できる場となるように配慮すること。

エ. 子どもが人と関わる力を育てていくため、子ども自らが周囲の子どもや大人と関わっていくことができる環境を整えること。




文言だけ見ると、「モンテッソーリやん!」ってなります。w


でも、「じゃあ具体的にそれってどうやるの?」
というところに、まだ現場が追いついていないところもあるのです。


保育者・教育者側が
今まさに、試行錯誤中なんだと思います。


その現場の試行錯誤に
親御さん側が共感できるか
子どもがその中で大切にされるか

というのが大事なんじゃないかな
と思います。



うまくまとまらなくなってきましたがw、
いちばん言いたいのは
「ここじゃなきゃだめだ」
「この園しか考えられない」
と、自ら視野を狭くしてしまうのではなく
「ここにはこういういいところがある」
「ここに通うメリットはこれた」
と、大人の側が、ある程度視野を広く持って
選択肢を常にいくつか用意しておいてほしいということです。



たぶん私も、子どもがいたら
同じように悩む問題だというのは確かです。

でもやってみないと分からない部分があるのもまた確かです。

その「やってみる」今できることが
プレに通って園の様子を見たり
子どもとの相性を見たり
親御さんがその園に対してどう感じるかを認識したり
実際に通ってみて、どれだけ大変かを痛感したり
ということだと思います。




ただ、私自身が転勤族の子どもで
頻繁に環境が変わる子どもでしたので
それ自体をおそれていない
=もしだめだったら変わればいい
という価値観は確実に強く持っています。

それは、ご質問者様にはない価値観かもしれないので
その場合は、そこは差し引いてください。


あくまでもご質問者様の価値観でもって
お子さんが生き生きと過ごせる園を選べますよう
また、ご主人と価値観をすり合わせられますよう
少しでもお役に立てたならば幸いです。
(なんか、全然答えになってないような気もしますが…難しかったです!すみません!)