モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

ブログタイトル変更しました

ブログを始めた頃の気持ちと
現状がひどくかけ離れていたので
ブログタイトル(とその簡単な説明文)を変更しました。


説明文にもあるように
私は今になってやっと
自分には向いてない仕事(保育士)を
10年も頑張ってきてしまったんだなぁ(笑)
と気づいています。


モンテッソーリが好きなのは変わりないです。


でも「好き嫌い」と「向き不向き」は違う。


そんな簡単なことに気づいたのが
去年から今年にかけてです。(遅!)


子どもの観察
とか
分析
とか
分析からの行動を考える
とか
そういうのは大好きです。


でもそれ以前の
保育士としての仕事に
抜けが多すぎました。


例えば
保護者保育士間の伝達忘れ(これが一番多くてホントにいろんな人に迷惑を掛けました)
洗濯洗剤の取り間違え(により洗濯機を一時使えない状況にしてしまいました)
離乳食児にまだ食べさせたことがない食材を食べさせてしまう
(これが一番怖かったです。幸い何事もなかったですが…)


仕事でやらかして
そのたびに落ち込んで
でも反省だけなら猿でもできる!(年齢がバレる)
とその反省を生かして次に進んでも
またやらかして
また落ち込んで
のループ。。。


そしてふと気づいてしまったのが

「あぁ、私、楽しさより疲れの方が勝ってる…」


大勢の子どもたちを前に
目が回っている自分がいました。

ましてやモンテッソーリ園、
ひとりひとりの異なる活動を
全体的に把握しながら
他の保育士さんたちとコンタクトを取りながら
一人ひとりに必要な援助をする。


すっごい高度なことしてる…


と感じてしまったのです。


そしてその高度なことを
難なくできる人と
どれだけ一生懸命やっても抜けが出る人がいて

私は後者だなぁと
気づいてしまったのでした。


認可保育園の受け入れ人数は
0歳児が大人一人に対して3人、
1,2歳児が6人(自治体によっては4,5人)
3,4,5歳児が20~30人。

もうこの設定が
私には無理ゲーでした。

それよりも手厚く
人員配置してくれている素敵な園だったけど
でも無理だった。


要するに自分のキャパが狭いということです。


それに気づいたときに
今までここで書いてきた
他人批判の数々を恥じました。


みんなそれぞれ一生懸命なのにね
それが空まわること、私もしょっちゅうなのに


昔から、頭で考えることと
実際の行動がぜんぜんつながらないな~かけ離れてるな~
という、コンプレックスに近い思いはありましたが
保育現場でもそれは同じなんだなと思いました。


だから先月末に退職したときに
ちょっとホッとしました。
(もちろん寂しい気持ちもありましたが)


そしてもしかしたら
このお仕事に戻ることは
もうないかもしれないな
とも思いました。
(とか言いながらそれはまだ分からないのですが)


今のタイミングで
里親の長期養育の話を頂けていることは
私にとってはとてもありがたいことです。

特定の一人の子どもの育ちに注力できるから。


集団保育 と 子育て はほんとに違いますよね。
交流の時点で深く実感しています。

大変さの種類が全然違う。
大勢の子どもたちを複数の大人で特定の時間だけ見る大変さと
少ない子どもを24時間365日、責任を持ってみる大変さ。

楽しさはもしかしたら、共通することが多いかもしれない。
でもやっぱり、先生として子どもに接するのと
親として子どもに接するのは全然違います。
親にとっても、家庭は生活だから。
だらけることもあるし、砕けた表現になることもあります。
お笑いに走って誤魔化すことも(笑)


それが実感できただけでも
私にとってはありがたいことです。


これからは保護者(里親)の立場から
モンテッソーリに関わっていけるといいなと思い
取り急ぎブログタイトルの変更に至りました。


里親になるにあたって
モンテッソーリを知っていることは
めちゃくちゃアドバンテージです。
それはもう、間違いないです。


何がどうアドバンテージなのか
そういう話も織り交ぜながら
子どもとの生活をつづっていけたらいいなと思います。