子どもから教えられた自分の間違い
先日、おやつの時間に
ふざけてフォークで友達の目をつつこうとした子を
強く叱っていたところ
それを見ていた別の子どもが
「…先生、もう少し、優しく叱って?」
……
いやー、ごめんなさい、ほんとに。
この一言で一気に反省モード。
いや、フォークで目をつつくのは
例えふざけていたとしても
とっても危ないことなので、
そこを強く止めること自体は
問題ではないと思うんです。
が。
上のセリフが子どもから出てくるまでの
私の子どもへの接し方や子どもの見方に
いろいろ問題ありだな、と自分でも感じたのです。
今の園、まーそれはそれはいろいろありまして
最初の3か月で年中さんがごそっと辞めました。
そして残ったのが
年中さん数人と、年少さんのみ。
というクラス構成になったのです。
(もともと年長さんはいなかったので)
その環境の変化に
大人の私が対応しきれてませんでした。
クラスの中心が年中さんか年少さんかでは
子どもの発達段階がまったく違うので、
大人のあり方もだいぶ変わってきます。
年少さんは、
まだまだ自己中心的な時期にありますし
自分で自分のことをする練習を始めたばかりでもあり、
動きも年中さんに比べてゆっくりです。
目の前のすることを忘れて
お友達とふざけあうこともしょっちゅうです。
自分で生活の流れをつかんで
次にすることを自分の頭で考える段階には
まだまだ達していません。
でもそれが当たり前なのです。
目の前のことを一生懸命自分でやろうとする体験を
毎日毎日繰り返して積み重ねた結果、
1年後の年中さんになったときに
「自分で考えて行動する」
ということが少しずつできるようになるのです。
年少さんはその土台作りの時期です。
身支度の流れ、食事のマナー、生活のルールなど
毎回毎回新しいことを覚えるように
そのつど間違えながら、
間違いを伝えてもらいながら、
訂正しながら
1年かけて身につけていく。
というのが年少さんの時期です。
生活の流れやルールが自分の身について初めて
ほかの小さい子どもにも教えてあげたり
手伝ってあげることができます。
その高度な役割を
まだ自分の身にもついていない、
目の前のことにそのつど必死な段階の年少さんに
求めてしまっていました。
「今までできていたんだから、これだけのことができるはず」
「もっとこうしてほしいのに、なんでできないの?」
というこちら側の思いが先行して
目の前の子どものありのままの姿を
否定してしまっていました。
「もっと優しく叱って」
というのは
「今の私たちのことをしっかり見て、受け入れて」
という、子どもの心からの訴えのように感じました。
今の子どもたちの姿を見て、受け入れる。
いちばん大切なところが抜けていました。
こちらの理想を勝手に押しつけた状態だったから
必要以上に子どもに厳しく、怖くなっていたんだな
子どもが間違えたら、
大人も、いつも新しいことを伝えるように
生活の流れやルールを繰り返し伝えていく
それが今の私に必要なことなんだな
「また!」「前にも言ったでしょ!」
などと、腹を立てることではないんだな
ということを子どもから教えられたので
また謙虚な気持ちで努力します。