モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子どもを変えるのは大人ではない じゃあ何?というお話

前回の記事があまりにもひどすぎて消去しました。
我ながらダサい

その消した記事の中でもちょろっと書いたのですが
今回は年長さんの、しかもタイムリーに今、手を焼いている子どもの話。

この年長さんを仮にWちゃんとします。女の子です。

- 手を焼く言動① 危険行為

・ロッカーによじのぼる
・椅子の上にのる
・そして踊る
・部屋の中は常に走る
・そして転ぶ
・何度注意されてもやる

最近の日々はこんな感じです。(サラッと書くなサラッと)

椅子の上で踊ったときは、足を踏み外して脇腹を強打し号泣。
うん、なんていうか、思いっきり自業自得なので何とも言えん…

年長さんという年齢もあり、
していいことダメなことの分別は本人の中にあります。
そこを敢えてやっている印象。

これはWちゃんの中で自己完結する(でもやめてほしい)言動ですが、
以下は周りとのトラブルにつながるもの。


- 手を焼く言動② なんとかして自分の思いを通そうとする 

例えば、Wちゃんが使いたいものを他の子が使っていると、力ずくで奪い取ります。もしくは、使っていた子がちょっと横に置いた隙にかすめ取ります。これがパターン1とすると、


- 手を焼く言動③ 思いが通らないときにキレる

いちおう「貸して」と言葉での交渉を試みるも
「今使ってるからダメ」とあっさり玉砕
→「なんでよ!今Wちゃんが使いたいのに!もうやだ!」
とキレて激しく暴れる。

ここで終わればまだかわいいのですが、
(…かわいいかな?)


- 手を焼く言動④ さらなる暴言をはく

パターン3.貸してもらえなかった恨みが募って発せられるのが
「Rくんいじわるだから、みんな近づかないで!」

自分の思い通りにならない子を、自分のテリトリーから外そうとするパターン。
さすがにこれはガッツリ叱らせてもらいました。

あとは、並ぶ順番はいちばんがいい、
新しいおもちゃはいちばんに使いたい、
は日常茶飯事です。


さて、どう対応したものか…
を考える前に、Wちゃんの言動をよく観察して分析することが必要です。


- 分析結果:自己肯定感が低い。自己承認欲求が強すぎる

なんとかして気を引きたい。
どうにかして自分を見てほしい。
そのためなら手段は選ばない。
(選んで~できれば選んで~)

それは自分という存在の価値が、自分の中で低いことの裏返しです。

「危ないことを敢えてする」はまさにこの典型的な例かと。

何でもいちばんがいい、自分の思いを何が何でも通したい
というのも、自己承認欲求が満たされていないから
だと感じます。

それを裏付けるかのように、
例えばその日のことをお迎えに来たお母さんに話していると
「ねぇ、今Wちゃんのことなんて言ってたの?
 Wちゃんがこんな悪いことしてたとかそういう話?」
と必ずしつこく確認に来ます。

悪いことしてる意識はあるけど
それをお母さんに言ってほしくないんだな…
と、その姿を見るたびに感じます。

自分という存在を否定されたくない
という思いが異常に強い。

だったらしなきゃいいのに…と大人は思うけど
そこが子どもならでは(?)の発想。
「気は引きたい、常に自分を見ていてほしい」んです。

といろいろ分析してみたところで、どういう対応が好ましいか。


- 対応① 行動と人格は分ける。やめてほしい行動だけを止める。人格は絶対に否定しない。

こうわかっていても、
意識していても
感情的に難しいときもあります。
そんなときは自分に言い聞かせる意味でも

「あのね、Wちゃんのことは大好きだけど、
今やったことはよくないよ」

とそのまま伝えるようにしてます。
人格は全肯定!行動だけ否定。をそのまま伝える。

これは子どもの言動にカッとなった大人(つまり私)にとっても
冷静になれる声のかけ方だと思います。


- 対応② よくない理由を自分で考えられるように声をかける

「なんでよくないと思う?」
と上の言葉に続けて本人に聞いてみることも
年長(6歳)という年齢だったら必要です。

「怒られるからダメ」
ではなく、
「友達が嫌な思いをするから」
「自分がケガをするから」
ということを、そのつど自分で考えて自分で気づく。

毎日毎日同じことで叱られていたとしても
その瞬間その瞬間、自分で考えて自分で気づく。

その瞬間、点と点がどうつながっていくかが
子どもの可能性です。(これは木村泰子先生語録)


- 対応③ 叱られる場面以外の日常生活の中で、自己肯定感をあげる

これがいちばん大事だと思うんです。

で、具体的に何をするか。

Wちゃんにぴったりの「お仕事」を探します。

Wちゃんが興味を持っていること、好きなもの、Wちゃんの手や体の発達段階(どういうことがどこまでできるのか)をよ~く観察して、

Wちゃんが「これやりたい!」と自分で選び

それを何度も繰り返して、

集中・没頭して

自分で納得して終える

そんなお仕事は何だろう。
これを探すのがモンテッソーリ教師の大きな役割。


この自己選択→繰り返し→集中→自分で終了
のサイクルの中で

子どもは、
自分で選べる喜び、
試行錯誤して何度も繰り返すうちに、今までできなかったことができるようになり、上達・洗練していく喜び、
自分の脳と心と体(手)がつながっていく、こうしたいと思ったことが実現できる喜び、
周りがどうであろうが自分のやりたいことに熱中する喜び、
自分のやりたいことを最後まで成し遂げる喜び
を得ることができます。

「自分はこれだけのことがひとりでできる」「これだけ頑張れる」

この気持ちと、実際にできる体(手)が
自己肯定感を底上げします。

そういえば前にも同じこと書いてた^^;

montessorilover.hatenadiary.jp


こういう体験ができるお仕事は何か、
それを子どもと一緒に探すのがモンテッソーリ教師の大きな役割。

年長さんともなると
プライドがあったり、自分一人でというよりも友達と何かやる方が楽しかったりで、いろいろと難しいのは確かなんですが。

それでも、この日々の地道な見えない努力によって
子どもの手を焼く言動が徐々に減っていき、
何より子ども自身が心穏やかに満たされた気持ちで生活していける
というのは、あかねの生活で実感しているので
(O先生がよく「お仕事なのよ、お仕事で変わるのよね」って口ぐせのように言ってたの思い出します)

Wちゃんにピッタリなお仕事は何だろう…
と外遊びやお部屋での遊びを見ながら考え、試す日々です。



余談ですが。
この「子どもを変えるのはお仕事」という発想がまったく通じないモンテッソーリ有資格者がいると思わなかったよ!笑 勉強し直してきて!マジで!また孤軍奮闘じゃねぇか!