モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

何よりも強い愛情の土台 0~6歳の吸収する時期に

前回の記事を書いたあと、
「子育て、子育ちに失敗はない。足りない部分は個性だから、そこもひっくるめていいと思う人は必ずいる。だからまずは自分を好きになろう」
という主旨のメッセージを個人的に頂きました。

それを受けて改めて自分の書いたものを読んでみると、確かに(このときこうだったら…)という過去に対する後悔ばかりが前面に出ている印象を受け、読んだ人が
(もしかしたらこの人は、母親の子育て、自分の育ちが失敗だと感じていて、今の自分のことが好きじゃないのかもしれない)
と思ってしまうかも…と我ながら思いました。

すみません、こんなこと自分で言うのもアレなんですけど…
私、自分のことは大好きなんです。
(うわぁー何だろう このイラッとする台詞、笑)

できないこと、苦手なこと、イヤになること、もどかしいことはいっぱいあるけれど、それも全部ひっくるめて、というかそれをカバーしてくれる温かい人たちとの繋がりのおかげで、「ま、しょうがないか」くらいに感じさせてもらえるので、自分という存在自体は好きなんですね。

なので、前にも書きましたが、両親の子育てが失敗だとは思っていません。むしろ感謝ばかりです。本当に。

でもそれって実はすごくありがたいし幸せなことで、大人になった今こんなふうに思えるのって何でだろう…
ということを考えたときにパッと思い浮かんだことのひとつが

【吸収する時期】に両親がどういう育て方をしてくれたか、ということです。

あくまでも育ててくれた長い期間のほんの一部ですが、まずここに最大の感謝を表したいこともあり、その上での敏感期、という受け取り方をして頂きたいというのもあり、今回はこの時期のお話です。
(毎度のことですが、予告と内容が違ってごめんなさいほんとに…)


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<吸収する時期>

生まれてから6歳頃までの子どもは、「吸収する」時期にいます。

特に3歳頃までは【無意識的吸収期】で、スポンジのように周りの印象をそのまま、何でも吸収し、吸収されたものが自分の人格の一部になるという、かなり特殊な時期です。

例えば、言葉。
大人になってから新しい言語を習得するのは、かなりの時間と努力を要します。
でも子どもが母国語を、ひぃふぅ汗かき、やっとの思いで身につけた、というのはありません。気づいたら身についていた、という感じです。

これは無意識的吸収期の働きによるものです。大人の吸収のしかたとは、「写生」と「写真」ほど違うとモンテッソーリは例えています。

国の違いによる母国語だけでなく、土地によって違う方言、地域独特の言い回しやイントネーション、家族の口ぐせやしゃべり方など
細か~いところまで正確に吸収して再現できるのが、無意識的吸収期の特別な力です。

言葉以外にも、
・こんなに小さいのに、歩き方がお父さんそっくり(動き)
・子どもがしかめっ面をするので何でだろうと思ってたら、親の自分が目が悪いために無意識にしかめっ面だった(表情)

など、また食事などの生活習慣や文化なども無意識に吸収します。

この働きは、人間が生まれたところに適応するために与えられたものです。
人間とは~言葉、動き、習慣や文化など全てひっくるめて~こういうものだ、と先入観なく丸ごとそのまま受け入れて自分のものにする、と言うと分かりやすいでしょうか。

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3歳を過ぎると、今度は吸収のしかたが【意識的に】なります。(意識的吸収期)

そのときそのときで必要なものや事に意識が向き、それを吸収し、その吸収したものごとを何度も繰り返すうちにその要素が洗練されていきます。

ここは今は割愛しますが、吸収したことが一生ものの土台となることに変わりはありません。

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吸収期の特徴が分かる例として、6歳過ぎまで狼に育てられた少女の話が、よくあげられます。

彼女は発見されたとき、二本足で歩く代わりによつんばいで野山を駆け回り、言葉を話す代わりに唸る吠える、食事は生肉、
つまり狼の生態と全く同じように生活していました。

発見後、人間の生活に対応できるように二足歩行や言葉、食事習慣などを訓練されましたが、それはとても難しく、結局そのストレスが元で身体を壊し、早くに亡くなってしまいました。

生物上の分類では人間として生まれても、その後最初の数年間の環境がその後の人生の土台となり、それをそのあとムリヤリ変えるのはとても難しいのです。

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ここで、【愛情】という環境について考えてみます。

吸収期に、特に最初の3年間(さらに細かく分けると特に最初の1年間)、周りの人からたっぷり愛情を受け、周りの人どうしも愛し愛される様子を見ていた子どもは

(人間とは、お互いに愛し愛されるものなんだ)
(私は愛されていて、この世にいることを喜ばれている存在なんだ)

という印象が土台として心のなかにしっかり根をおろします。これらの感情が自分の人格の一部になるのです。

これが、その後の人生で何よりも強い基盤となります。
学校や職場やプライベートで、人間関係で悩んだり傷ついたりしたことが全くない、という人はいないと思いますが
この最初に作られた愛情の土台が強く揺るぎないものであれば、
落ち込んだり涙したり怒ったりすることはその都度あっても、自分や人を、その後の人生を台無しにするほど深く傷つけることはないんだろうな…と思います。

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あかねの園長先生がよくお話して下さったことのひとつ;

人間には、心にも【2本の足】が必要なんだよ
その一つはこの他者から受ける【愛情の足】、
もうひとつは「自分で!」つまり【自立の足】なんだよ
この両足があって、初めて人間はしっかり歩いていけるんだよ

これはモンテッソーリと親交のあった心理学者エリクソンの提唱したことだそうですが、

モンテッソーリの提唱する吸収期と敏感期は、エリクソンのいう愛情の足と自立の足にあたるのではないでしょうか。

愛情の土台が作られる吸収期がまず始めにあり、それが続く中に、自立に向かう敏感期の力がある、
と捉えると

これまで見てきた子どもたちを通して、この心の2本の足の大切さがとてもよく伝わってくるのです。 

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同時に、我が身を振り返って気づいたのは

母と笑い話になるのは、敏感期を逃してしまって、自立側の足ができるのが遅れたということですが

それを笑い飛ばしてありあまるくらい、もう一本の愛情側の足が強く揺るぎないものだった、ということです。

この生まれて最初の、愛情の土台があるからこそ
自分という存在を好きになり、人を好きになり、
信頼しようとする強い力が育ったように感じます。

そのおかげで、いまだにできないこと、足りないところがあっても、お互いにカバーしあえる(というかカバーされっぱなしかも…)いい人間関係を築くことができている

これは本当に、かけがえのない貴重なものです。

そこに、最大の感謝を表したいと思います。

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吸収期のことを書いたのに、最後は花嫁からの手紙を書き終えたような心境です、笑。

…いや、やっぱりこんな小難しい手紙は嫌ですね(^^;

そして思った以上に、この記事を書くのに時間がかかったのは、
両親への感謝の気持ちがいちばん強いところだからだと思うのです。たとえ私自身は記憶になくても。
だからちゃんと書きたかったのだと思います。