モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

Q. おうちの環境の整え方 絵本について

おうちの環境の整え方、
追加質問のうちの3つめです。
絵本の選び方について。


>下のお子さんが3歳を過ぎるまでは、できるだけ現実に即した内容の絵本を置いてあげましょう。
>3歳過ぎる頃から、現実とファンタジーの区別がつくようになってきます。
(という記載に対して)

【ご質問】

現実とファンタジーの区別がつかないと、何かよくないことがあるのでしょうか?
ベッドが夜は空飛ぶロケットになることを想像してわくわくするのは、
現実とファンタジーの区別がつかない子どもの特権な気がしていました。



【回答】

今回は、賛否分かれる内容になるかなと思います。


幼い子どもにも、まず現実を伝える理由は
「 自然な発達の道筋において
 最初の6年間で、子どもは環境を吸収して自分の土台を作るので
 その過程で混乱しないようにするため」

です。


人間の赤ちゃんというのは
お腹の中で聞いていたお母さんお父さんの声や心音、
お母さんのにおいなどの
多少の拠り所はあるものの
あとは全く分からない、
これから生まれ出た世界に適応していく
という状態で生まれてきます。


生まれてきた後の周りの大人の反応や対応、
自身の発達の特徴
(秩序感や各種敏感期、無意識に吸収する働き)をもって
自分のいる世界を認識して、
人格の基礎を作っていくわけなんですけども


そもそも、敏感期や吸収期が
人生最初の6年間にしかないのは

とにもかくにも、
自分のいる世界を認識して適応していくため
なんです。


適応ってどういうことかといいますと、
「こうしたらこうなった」
「じゃあ次はこうしてみよう、そうしたらこうなった」
という小さな原因と結果を
無意識のうちにも意識的にもいっぱいいっぱい集めて
脳や神経、筋肉、心を発達させていくその過程です。


動きの面でいうと
「手を伸ばしたらモビールに届いた」
「身体をひねったら寝返りできた」
「膝を曲げて足先で地面をけったら、前に進んだ」
とか、できるようになっていく動きのひとつひとつに
赤ちゃんにとっての「原因と結果」が含まれているわけです。


言葉の面では
「何か気持ち悪くて泣いたら、お母さん(周りの大人の人)がやってきてオムツを替えてくれた」
「『あー』って言ったら、周りの人が笑った」
「『まんまんまん』っていったらご飯がでてきた」
など、これも子どもの中の原因と結果が
たくさん集まって、母語を話せるようになるのです。


「動ける、話せる」という肉体的な発達だけでなく
その小さな原因と結果の中に
達成感や満足感、次へのチャレンジ精神が少しずつ育まれて
生きるために必要な2本の精神的な脚
・この世界は自分にとっていいところだという「世界への基本的信頼感」
・自分は存在していい人間だ、がんばればできるようになるという「自分への基本的信頼感」
も育まれていきます。


特に3歳頃までは
この動きと言葉の獲得によって
単なる生物学上の人間の赤ちゃんから
「個」としての人間になっていきます。

さらに6歳頃までかけて
自分の家族や地域、国といった
コミュニティの一員としての人間になっていきます。


この適応の過程の中で
特に無意識的吸収期にある3歳未満の子どもは
ファンタジーをファンタジーとして区別して認識することはできません。

現実世界がそういうものなんだという捉え方をします。


その結果、何が起こるかというと

「こうしたらこうなった」
という原因と結果の因果関係が混乱して
子どもが正常化しにくくなります


具体的に言うと
・自分や人や物を傷つけやすくなってしまう
・目の前のことに集中しにくくなってしまう

ということが起きてきます。



すごく分かりやすい例えでいうと、
物語の中で、高いところから飛び降りても怪我1つしないというよく出てくる描写を見たあと、真似をして飛び降りてケガをしてしまう
というようなことです。


「こうしたら(現実の世界では)こうなる」
の因果関係が、ファンタジーの中では保証されません。



この記事を書いているときに
ちょうどアンパンマン論争が起こって
ちょっと書きにくくなってしまったのですが(汗)

(なので書き直しも含め、お答えに時間がかかってしまいましたすみません)


実際に幼い子どもといると
「あんぱんち!」と悪気なく人をたたいて
ケンカになったり泣かせてしまったり
ということは、本当によくあります。


大人相手なら
しつけの良いチャンスとしてもとらえられるので
まだいいのですが
(でも怒られる機会が増えてしまってちょっとかわいそうだなとも思います)

幼い子ども同士だと
そういうわけにもいきません。


もちろん、そこでも大人が介入して
「人はたたかないんだよ」
ということは伝え続けるのですが

アンパンチ=楽しいことだとインプットされた子どもには
「人はたたかないんだよ」
がなかなか伝わりにくいのもまた事実です。


物の取り合いなど、自分に不利益が生じた場合に
言葉で伝えるより先に「たたく」というのとは
またちょっと違ってくるのです。


自分が楽しくてパンチした
→相手が怒った/泣いた/やり返してきた
ことで、
テレビでインプットされた原因と結果の因果関係が
現実世界で通用しないので、子どもは混乱します


「あれ?こっちは楽しいのに
 相手は泣いてるし僕は怒られるし、
 なんでだ???」
というような、戸惑いの表情を見せることもありますし、
止めても止めても
「だって楽しいんだもーん」
とばかりに繰り返し、全然伝わらないことも数多くあります。

そのくらい、映像の影響は強いです。


大人のように
アンパンマンバイキンマンを懲らしめることはするけど
 それ以上のことはしない。
 それは、バイキンマンの『したこと』は悪いけど、
 バイキンマンの存在を否定しているわけではないから」
という深いい設定までは、
無意識的吸収期の子どもは残念ながら読み取れないので
見たもの聞いたことをそのまま再現しようとします



また、デジタルメディアを頻繁に見ている子どもは
デジタルメディアがない保育園などの環境でも
周りに少しの刺激があるとすぐそっちに行ってしまい
目の前のことに集中しにくい傾向がある

とも感じています。

正常化からは程遠い状態です。


映像の刺激はとても強いので
その残像の中で自分が行動しているような
VRをつけて動いているような
統合されていない動きを見せます。


それによって、自分が室内で走り回ってぶつかってケガをしたり
周りの人にけがをさせたり
ヒーローになりきって高い所から飛び降りてみたり
(そしてケガをしたり)
ということもあります。


ここまでいかなくても
頭の中の空想の世界に生きていて
目の前の活動に集中しにくい
姿は
よく見られます。


多くのモンテッソーリ園で
「テレビやスマホ漬けにならないように
 おうちでも努力してください」
とお願いするのは
こういう子どもの状態を見ているからです。


せっかく、子どもが興味に沿って自由に没頭できる環境があっても
それ以前に子ども自身が没頭しにくくなってしまうのです。


脳に残った強すぎる刺激により
本来ならば子どもの自然な興味や発達を引き出して導いてくれるはずの環境に
子ども自身がなかなか届かないのです。

すごくもったいないなと感じています。


一見、同じように見える子どもの「楽しい!」も
バーチャル体験による興奮状態と
現実に根差した活動による深い喜びとでは
脳神経の働きも、筋肉の働きも
心の状態も大きく異なる

子どもを正常化させるのは
現実に根差した、身体と頭と心を使う活動だけ

というのが私たちモンテッソーリ教師の認識です。



もちろん、日々の子育ての中で
「ここはどうしても動画の力を借りないと無理…!」
という場面はあると思います。
(子育て環境がなかなかアレなこの国ではなおさら)


そういうときも
ダーウィンがきた!」的な自然環境や
クッキングなどの現実的な動画にしたり、
「電池がなくなりそうだからおしまいね」と時間を短く区切ったり
大人も一緒に見て、会話を楽しんだり
という工夫をしながら、


せめて、環境を丸ごと吸収して自分の土台を作る3歳までは
現実の世界の中で
「こうしたら、こうなった」
という現実的な因果関係を
実体験をもって知る、という方を
優先させてあげてほしい
と思います。


で、ご質問に戻って
絵本の話をしますと
(だいぶ逸れましたね、ごめんなさい)


絵本は静止画ですし、
基本、親御さんが読み聞かせて一緒に楽しむものなので
動画や映像のファンタジーほど刺激は強くないものの、
その中の因果関係を見たまま聞いたままに吸収して再現する子どもの働きは変わりません。


子どもの土台を作る、子どもに吸収される環境の一部として
3歳未満のお子さんには
まずは現実を伝えるものを選んでいます。



3歳前に、現実に根差した活動をたくさんした子どもは
3歳以上の意識的吸収期に入ると
ファンタジーの世界観は楽しむけど
現実はそれとは違う、そっちも両方楽しむ
という意識して区別することができるようになってくるので、

素敵なファンタジー作品を与えてあげて
一緒に楽しんでほしいなとも思います。



決してファンタジーを否定しているのではなく
控えた方がいい時期と、与える時期がある
ということです。


ただ、この「3歳までは現実を」という点に関しては
現役のモンテッソーリ教師ですら
なかなか納得できない人もいて
故に賛否が分かれるところです。

国際コースでは
ことあるごとに、強く繰り返し言われることでもあります。


私自身は
ファンタジーやバーチャル体験が
100年前の、モンテッソーリさんが生きていた時代よりも
はるかに増えてきた今の世の中だからこそ
地に足をつけた、現実に根差した活動を
子どもともっと楽しみたいという思いです。
(現実の活動が子どもの言動を正常に引き戻してくれる現場をよく見ているのもあります)



長くなった上に
何なら途中、絵本の話じゃなくて
動画の話になってますけど(汗)

今から書き直すとまた時間がかかるので
このままあげてしまいます!
納得いかない点などありましたら
ご遠慮なくお聞かせください。