モンテッソーリloverのブログ

モンテッソーリ大好き教師の綴りごとです。

大人の役割 映画「みんなの学校」を観て

すみません、言語の敏感期後半を書く前に
どうしても書いておきたいことが。

以前、この記事↓の中で
子どもが小学生になった頃から
違うものを排除しようとする働きが見られる
ということを書きました。

montessorilover.hatenadiary.jp

これ、読みようによっては
「子どもの発達段階的に
小学校あたりからいじめが発生するのは
しょうがない」
とも受け取れるなと自分で感じたので
(誰かにそう言われたわけではないですが)
謝らせてください。

大変申し訳ありません。
大人の役割を放棄した怠慢な大人の戯言でした。

ということを痛切に感じてしまったのです、
映画「みんなの学校」を観て。

minna-movie.com


舞台は大阪にある公立の大空小学校です。

公立ということは、その地域にいる子どもなら
誰でも通えます。

そこには、ADHDやADD、自閉症など
様々な障害を持つ子どもや
多種多様な家庭の事情を抱える子どももいます。

中には
「この子が大空小に行くんやったら
うちはやめとこうか」
と噂が立っていた子どももいます。

でも、すべての子どもが
一緒にクラスで生活しています。

「すべての子どもひとりひとりが
安心して過ごせる、一緒に学べるところ」

を追求した結果

自分の個性も友達の個性も
ひとりひとり尊重して大切にする

子どもたちが育っている

というまぎれもない事実がここにはあります。

子どもたちだけでなく、
先生や保護者、地域の人をひっくるめた
大人も、子どもから学びながら育っています。

その結果、不登校もいじめもゼロ。


映画を観たらわかりますが
生徒ひとりひとりが、
ごく自然に、優しいんです。

そして物事の本質を見抜く賢さがあります。

子ども同士でぶつかったときも

「何が問題なのか」
「じゃあどうすればいいのか」

ということを、大人のサポートを受けながら
自分の心で感じ、頭で考え
行動に移しています。



例えば、こんなくだりがあります。


みんなから「臭い、臭い」と言われて
疎ましがられていた子がいました。

着ているものからも、本人からもにおい、
ランドセルからゴキブリが出てくるといった状態です。

でもここの先生(このケースでは校長先生)は
「いろんな事情があるんだから、臭いのは我慢しましょう」
なんてきれいごとでは済ませません。

「臭いのは事実!
じゃあなんで臭いと思う?」

と周りの子どもたちに問いかけます。

「洗濯してないから」
「風呂に入ってないから」

「そうやな。みんなの洗濯は誰がしてくれる?」

「お母さん」

「そうやろ。みんなの服はお母さんが洗濯してくれる。
でもこの子は、自分で洗濯せなあかんねん。」

「なんで?」

「この子のお母さんな、朝から夜遅くまで仕事やねん」

「ふーん…」

こういったやりとりから
この子ども特有の事情、
自分のうちとこの子のうちとは違うんだ
ということを感じ取ります。

そこでもうひとつ先生がふみこんで

「みんなに聞くけど、どっちなんか教えて。
1つ、この子が臭いからあっち行け!って気持ち?
それとも、この子臭いけど、一緒にいたいからなんとかして!って気持ち?」

と尋ねます。

子どもたちは正直なので
「臭いからあっち行け!って気持ち」
と答えます。

でもこのやり取りの中から

「臭くなければ一緒にいられる」

という本質を感じ取ります。

先生はその子ども本人にも
「臭いで。自分で何とかしいや」
と伝えました。

すると
「じゃあ学校の水道で頭洗えばいいんじゃない?」
という提案が出てきました。

「それええな。
明日から校長室の水道で頭洗い」

と、次の日からシャンプーを用意して待っていたそうです。

そうやってこの子は
この学校の中で安心して友達と過ごせるようになり
居場所ができました。

(これは映画じゃなくて本の方だったかも…
ぜんぶ貸してしまって今手元にないので
うろ覚えですみません)

不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力

不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力



これはほんの一例ですが、

子ども同士のトラブルの中で
大人が子どもの通訳になり
「この子はこう思ってる。あなたは?」
「こっちの子はこうしたいって。じゃあどうしよう?」
などと問いかける中から

子どもの自然な優しさや
物事の本質を見抜いて対応する賢さが
ものすごく育っているのです。


こういう学校が
現実に存在するということが
すごく嬉しい。

現実に存在するということは
誰でも、どこの学校でも
やろうと思えばできるから。

変わろうと思えば変われるということを
体現してくれているから。


私の発言もそうですが
子どもたちのことで何か問題が起きて
それを改善しようとしたときに

「できない」理由を挙げてあきらめるほうが
「どうしたらできるか」を考えるより
楽なことって山ほどあります。

でも私たち大人が
「どうしたらできるか」
を悩み、考え、

そこでとどまることなく、
子どもたちにもその悩みをオープンに伝え
共有して、相談しあうことで

一緒に学びあって育ちあっていくことが
できるんだな
そういう風にやっていけばいいんだな

それが大人の役割なんだな

大人の価値観を子どもたちに押しつけたり
その価値観で管理したり誘導しようとしたりするのは
本当に違うんだな

大人が子どもひとりひとりを尊重して大切にすると
今度は子どもが、周りの人ひとりひとりを大切にするようになるんだな

と深く感じました。



子どもから学ぶ。

あかねこどものいえでも
モンテッソーリ教師養成学校でも
その実習園でも
何度も何度も耳にした言葉です。

実は、映画を見て、そして本を読んで
「あかねと、今までに見た実習園と、同じ!」
と感じることばかりでした。

子どもから学ぶ、だけでなく
大人は自分がいなくなっても
子どもが自分で考えて動けるようにサポートする
とか
子どものトラブルを大人がジャッジしない、
子ども同士で解決できるように大人が関わる、
とか
そうやって子ども一人一人を尊重して関わっていくと
今度は子どもが、周りの人を尊重して大切にするようになる
とか、
共通点が山ほどありました。


その姿勢が土台にある先生方を含めた環境の中で
幼児期を卒業するまでに
「自分で考えて自分で行動できる」
ように、子どもたちは育っています。

でもその中でも
実は小学校になじめない子どもが何人かいます。

それは、子どもが悪いの?
子どもが小学校に合わせて変わらなきゃいけないの?

むしろ、子どもから学ぶという姿勢で
小学校のほうが変わっていくことを求められているんじゃないの?

とも感じてしまいました。

ここは超個人的な感想で
しかも他人やほかの組織に変われ!なんて
おこがましいのもわかっています。

でも学校に行けない子どもにとっては
「それが事実」です。
そうやって、行けない子どもがどんどん排除されて
居場所がなくなっていく。
今までのやり方の学校にいられる子たちだけで、
学校社会を作っていく。

それで本当にいいの?

と思わざるを得ません。

その現状を打破して有り余るものが
この映画や本にはつまっているので
興味を持った方、悩んでいる方は
ぜひ一度、ご自分の目で確かめてみて下さい。

(注:回し者みたいですが木村先生や大空小とは
なんのご縁もありませんw
ただただひたすら、深い感動と希望を感じただけです)