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モンテッソーリloverのブログ

モンテッソーリ大好き教師の綴りごとです。

多様性を受け入れる土台がよく育つ時期

先日、英語教師で2児のお母さんでもある
高校の先輩と話していた時に
私の書いたもの↓を読んで下さっていたらしく
子どもの吸収する力ってすごいね
という話になりました。

bambi-no.net


何でも、アメリカから来た知り合いのご家族をお招きしたときに
大人同士は最初、どことなくぎこちなかったのだけど
子どもたちは英語日本語関係なく、
初対面から打ち解けて盛り上がっていたのだとか。

「家にあった新幹線の模型持って
『KOMACHI! KOMACHI!』ってすんごい楽しそうだったw」

そうです。
こまちすごいなw (いやそこじゃなくてね


この話には続きがあって、

「そのとき年長だった長男は今小学校低学年。
私が英語教師だから、教材準備で
家でも英語の歌を歌ったり英会話の練習をしてると
下の子は一緒に歌ったり英語を言ってみたりするのに
長男は恥ずかしがって、もう絶対言わないんだよね~。
『言って?』っていくらお願いしてもダメ。
幼稚園の時、あれだけ英語圏のお友達と盛り上がってたのに。」

「何でも受け入れられる時期と
そうでなくなる時期の境目って、あるんだね。
それってどの辺りなんだろう」


子どもたちを観察する限り、
幼児期と学童期の間に、その境目があると感じます。
とそのときもお答えしました。


英語圏日本語圏ほかの言語圏問わず
言葉だけでなく文化や様々な違いを問わず
打ち解けられるのは
相手の丸ごとを受け入れられるから。


スポンジのように何でも吸収する6歳頃までの時期には
「違う」ことを過剰に意識せず、排除もせず、
ありのままを丸ごと受け入れる力がある
んだなぁと
最近つくづく感じさせられます。

montessorilover.hatenadiary.jp
montessorilover.hatenadiary.jp



保育園で乳幼児期の子どもたちを見ていると
母国語が違う子も、障害がある子もいますが
それらの違いをそのまま自然に受け入れて
自然にコミュニケーションをとり、共存しています。
彼らにとってはそれが「世界」だから。


自分の住む世界には多種多様な人たちがいる
違う言葉を話す人も、
目や皮膚や髪の色が違う人も、
ハンディキャップを持った人も

というのを、理屈じゃなく
感覚で吸収しているのです。

そしてそれが
その子の世界観の土台になります

多種多様な「違い」が、最初から世界に含まれています。

その違いを認め合いながら
一緒に過ごせるやり方を、自然に見つけ出します。



このスポンジのような時期が過ぎたあたり、
具体的には6歳前後、
年長の途中~小学生になる頃から
「違うもの」を意識して、
時には排除しようとする働きが始まるようです。

それは、それまでに築き上げた世界観、
自分のテリトリーを守ろうとする
自己防衛のような働きなのではないかと思います。


例えば、今日本でもてはやされている
ハーフタレントの多くが
子どもの頃にいじめや嫌がらせをうけたことを
メディア上で告白していますが

これは「違うもの」を排除しようとしたことで
起こってしまったことなのかなと思います。

でもたまたま「違う」というだけで排除された側は
当然とても傷つきます。
時には人生を変えてしまうほどに。



世界観、テリトリーの土台が作られる
何でも吸収する乳幼児期に
様々な国籍や、文化や、障害も含め
いろんな違いを持つ人たちが周りにいると、
その人たちのありのままを丸ごと吸収できる。

そもそも違うことが当たり前の世界観が
その子の中に育ち、
違いを排除しようとすることもなく
自然に共存していこうとする。


このことは、多様性を受け入れる土台がよく育つための
大きなヒントになりえると思うのです。