モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

多様性を受け入れる土台がよく育つ時期

先日、英語教師で2児のお母さんでもある
高校の先輩と話していた時に
私の書いたもの↓を読んで下さっていたらしく
子どもの吸収する力ってすごいね
という話になりました。

bambi-no.net


何でも、アメリカから来た知り合いのご家族をお招きしたときに
大人同士は最初、どことなくぎこちなかったのだけど
子どもたちは英語日本語関係なく、
初対面から打ち解けて盛り上がっていたのだとか。

「家にあった新幹線の模型持って
『KOMACHI! KOMACHI!』ってすんごい楽しそうだったw」

そうです。
こまちすごいなw (いやそこじゃなくてね


この話には続きがあって、

「そのとき年長だった長男は今小学校低学年。
私が英語教師だから、教材準備で
家でも英語の歌を歌ったり英会話の練習をしてると
下の子は一緒に歌ったり英語を言ってみたりするのに
長男は恥ずかしがって、もう絶対言わないんだよね~。
『言って?』っていくらお願いしてもダメ。
幼稚園の時、あれだけ英語圏のお友達と盛り上がってたのに。」

「何でも受け入れられる時期と
そうでなくなる時期の境目って、あるんだね。
それってどの辺りなんだろう」


子どもたちを観察する限り、
幼児期と学童期の間に、その境目があると感じます。
とそのときもお答えしました。


英語圏日本語圏ほかの言語圏問わず
言葉だけでなく文化や様々な違いを問わず
打ち解けられるのは
相手の丸ごとを受け入れられるから。


スポンジのように何でも吸収する6歳頃までの時期には
「違う」ことを過剰に意識せず、排除もせず、
ありのままを丸ごと受け入れる力がある
んだなぁと
最近つくづく感じさせられます。

montessorilover.hatenadiary.jp
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保育園で乳幼児期の子どもたちを見ていると
母国語が違う子も、障害がある子もいますが
それらの違いをそのまま自然に受け入れて
自然にコミュニケーションをとり、共存しています。
彼らにとってはそれが「世界」だから。


自分の住む世界には多種多様な人たちがいる
違う言葉を話す人も、
目や皮膚や髪の色が違う人も、
ハンディキャップを持った人も

というのを、理屈じゃなく
感覚で吸収しているのです。

そしてそれが
その子の世界観の土台になります

多種多様な「違い」が、最初から世界に含まれています。

その違いを認め合いながら
一緒に過ごせるやり方を、自然に見つけ出します。



このスポンジのような時期が過ぎたあたり、
具体的には6歳前後、
年長の途中~小学生になる頃から
「違うもの」を意識して、
時には排除しようとする働きが始まるようです。

それは、それまでに築き上げた世界観、
自分のテリトリーを守ろうとする
自己防衛のような働きなのではないかと思います。


例えば、今日本でもてはやされている
ハーフタレントの多くが
子どもの頃にいじめや嫌がらせをうけたことを
メディア上で告白していますが

これは「違うもの」を排除しようとしたことで
起こってしまったことなのかなと思います。

でもたまたま「違う」というだけで排除された側は
当然とても傷つきます。
時には人生を変えてしまうほどに。



世界観、テリトリーの土台が作られる
何でも吸収する乳幼児期に
様々な国籍や、文化や、障害も含め
いろんな違いを持つ人たちが周りにいると、
その人たちのありのままを丸ごと吸収できる。

そもそも違うことが当たり前の世界観が
その子の中に育ち、
違いを排除しようとすることもなく
自然に共存していこうとする。


このことは、多様性を受け入れる土台がよく育つための
大きなヒントになりえると思うのです。