モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

言語の敏感期 後半(3歳~5歳半頃)

私事ですが、夫の祖父が他界しました。

一週間のうちに関東~四国を2往復したので
正直かなりハードでしたが、
それでもお別れの前と、お別れとの両方に立ち合えて
お礼を伝えられたことは本当に本当によかったです。

私の夫は直系の孫ということもあり
結婚が遅かったということもあり
大勢いるお孫さんたちの中でも
特に気にかかる存在だったようです。
(そして夏に帰省するはずが事故で帰れず…
故の2往復です)

最後の最後までご心配をおかけしたこと、
本当に申し訳ありません。
そして本当にありがとうございました。



そんなわけで前回からかなり空いてしまい
もうお忘れかもしれませんがw、
言語の敏感期の続き。


前半はこちら。
montessorilover.hatenadiary.jp


何度もくどいようですが

吸収する時期(0~6歳)において
言葉が持つそもそもの役割、
「感じたことや気持ちを伝える」
「コミュニケーションの道具」
「気持ちを整理する」
がとても大切
だというところを土台に書きます。


特にこの時期、大切にしたいのは

実体験と言葉が結びつくこと

です。

実体験の中で

実物(おとうさん、おかあさん、いぬ、ねこ、トラック、バス など)
感覚(暑い寒い、熱い冷たい、ざらざらつるつる、痛いかゆい など)
感情(うれしい、悲しい、楽しい、怒っている、イヤ、困る、優しい など)

これらが言葉と結びつくと、
まず自分の感じたこと、伝えたいことを言葉で伝えられるようになります。

幼少期の場合だと、
ママに会いたい、
バスに乗って楽しかった、
痛いのはイヤだからやめてほしい、
お友達がおもちゃを貸してくれた、優しくしてくれてうれしい などなど。


また、これらの言葉を聞いたときに
情景や他者の気持ちを想像できるようになります。


想像力とは
言葉から具体的なものを思い浮かべられる力、
抽象化できる力です。


想像力が豊かということは
言葉を聞いて、それらの情報を組み合わせて
自分が実際にその場にいなくても、
頭の中に思い描いたり
心で感じとったりできる力が強い、ということです。

逆に想像力が乏しいというのは
同じ言葉を聞いても
思い描けるものが少ないということ。


例えば、「花火」という言葉を聞いたときに
家庭用の花火しかしたことがない子どもと
大きな花火大会に行ったことのある子どもとでは
思い描くものが変わってきます。

全国的にも有名な長岡の花火大会に行ったことがある
Aちゃんが話す「はなび」からは
夜空いっぱいに広がっては消えゆく大輪や
数秒遅れてお腹に響くドンっという音までもが
感じ取れるような、そんな話し方でした。


「魚」と言われたときに
スーパーで売っている魚しか見たことがない場合と
水槽や水族館で泳ぐ姿を見たことがある場合と
海や川などの自然の中で泳ぐ姿を見た場合とでは
思い描ける情報の量と深さが大きく変わってきます。

「栗」と言われたとき
むいた甘栗しか見たことがない場合、
皮付きのものを見た場合、
栗拾いに行ったことがある場合
でも同様です。


実体験と言葉が結びつくことで
言葉から得られる情報量や深さが増す。
そこから想像力が豊かになる。

言語の敏感期に大切なことのひとつです。



想像力は、自分を守る力にもなります。


最近、高層マンションから
子どもが落ちる事故が頻発しています。
高所平気症」なんて言葉まで生まれています。

これはあくまでも私の想像でしかありませんが

もし幼少期に、
ちょっと怖いな…と感じるくらいの
少しだけ高いところから飛び降りてみて
命に別条がない程度の痛い思いをしていたら
もしかしたらこういう事故は減るのではないかと感じています。

「高い」「怖い」「飛び降りたら痛い」

これらの体験がないまま、
体験と言葉が結びつかないままだと
本当に高いところに行ったときに
「飛び降りたらどうなるか」
が想像できないのかもしれません。


川遊びをしたことがある人はわかると思いますが
海と同じ要領で入ると
体が浮かないことにビックリして焦ります。

塩水ではないので当たり前といえばそれまでなんですが
実際に体験すると、その理屈が自分事として身に沁みます。


実体験と言葉が結びついた分だけ、
自分の感性で物事をジャッジできるようになります。
さらにその判断基準や理由を他の人にも伝えられるようになります。


さらに、言葉は
一時的に荒ぶる感情を抑える理性の道具
でもあります。

「カッとなってやった」
は一時的な感情に流されるままの行動ですが
それを抑える力が言葉にはあります。

特に怒りや悲しみ、不安などの負の感情を
モヤモヤしたままにせず
言葉で整理して、時にはそれを相手に伝えることで

暴力によらない、言葉による
平和な解決方法が模索できます。

逆に、ここで感情を表す言葉が乏しいと
感情はモヤモヤしたまま整理されません。
これが時に、とても悲しい結果を生み出します。

だからここでも
言葉がとても大切なのです。



自分が感じたこと、伝えたいことを
言葉で考え、整理して、
相手に伝え、
相手の言葉から想像し、
そこから感じたことをまた言葉で伝える。

という言葉によるコミュニケーションの練習を、
人は小さいうちからしています。


だから、私たちモンテッソーリ教師は
小さな子どもたちにも
どんな些細なトラブルであっても

まず子どもの気持ちを受け止め
言葉にしてあげることで
子どもの感情と言葉を結びつける。

相手の子どもにも言葉で伝える、
または本人が自分の言葉で言えるようサポートする。

子どもがしてほしくないこと
してほしいことを通訳になって伝え続け
子ども間で、言葉で平和に解決できるようサポートする。

という地道な努力を怠らないのだと思います。