トラブルが学びのチャンスになるって、どういうこと?
と言うのを、私なりの学びの例を挙げてみる。
例えば、園庭で遊んでいると
どこからともなく
「うわーん」と泣き声が聞こえてきます。
見るとAちゃんが泣いています。
そばにいって
「どうしたの?」
と尋ねると、
「Bちゃんが使っていたおもちゃをとった~(号泣)」
とのこと。
(毎回毎回、同じような例で申し訳ないのですが、
ほんとに毎回同じようなことでトラブルになる日々なのです)
「それはイヤだったね」
「Bちゃんにおもちゃ取らないで、返してって言いに行く?」
そしてBちゃんに、
「Aが使ってたから返して!」
と言います。
これはAちゃん側の学びです。
・自分がされてイヤなことは我慢しないで相手に伝えていいこと
・自分の気持ちを言葉で表現すること
をこのやり取りの中で学んでいます。
Aちゃんに
「おもちゃ取らないで!返して。」
と言われたBちゃんが、
「今Bが使ってる!」
もしくは
「Bが使いたいの!」
と返したとき、
(8割超、こう返されちゃうんですよ、ええ)
Aちゃんが困った顔でこちらを見ます。
ここで大人が通訳に入ります。
1歳半頃~3歳半頃までの
「自己中心的なのが普通」の子どもには
「あのね、Bちゃんが使いたくても、
Aちゃんが使ってたら取らないんだよ」
「使いたいときは『貸して』って言うんだよ」
と、
・自分がされてイヤなことは相手にもしない
・言葉で自分の要求を表す
ことを伝え、
3歳半以降の、自己中な時期を過ぎた子どもには
「使いたかったら、お友だちのもの、
取ってもいいんだっけ?」
と
・自分がされてイヤなことは相手にもしない
という約束が守れているか、確認して
自分の頭で考えてもらう。
ここはBちゃん側の学びです。
それと同時に
大人側の学びでもあります。
私が失敗から学んだことを羅列してみます。
例えば自己中心的な時期の子に対して、
①「何でお友だちが使ってるもの取るの!」
このときの子どもの答え:
「使いたいから!」
…シンプル~!
ってそういうこと聞いてるんじゃないんだよ!(怒)
残念ながらこの会話、まったく噛み合ってません。
大人の「何で!」は疑問ではなく責め文句です。
でも子どもには全く伝わりません。
気の強い子どもは「使いたいから!」と正直に答え
また怒られる。
弱い子どもは責め口調の時点で押し黙ってしまい
「何で答えないの!」と怒られる。
どのみち、「怒られた」ということだけが残って
伝えたいことが何にも伝わりません。
②「何でそんな意地悪なことするの!」
意地悪のつもりはないんです。
自分が使いたいものを、たまたま相手が持っていた。
だから取った。
子どもにとってはそれだけのこと。
まだいい悪いの判断ができる前の段階です。
なので、
③「取ってもいいんだっけ?」
とこの時期の子に確認すると、
「いい」ってサラッと言います。
大人からしたら、
「えーっ!何この、自己中心的な子は!」
となりますが、この時期の子はこれが普通の感覚なのです。
かと言って、
④「あなたが取られたらイヤでしょ?
だからお友だちのも取らないでね」
これも、な~んかイマイチ、伝わった感がありません。
(伝わる時もありますが)
自分の感情のみにフォーカスが当たっていて、それ以外は見えない。
「他の人にはそれぞれの感情がある」なんて思いもよらない。
そんな印象を受けます。
いろいろ試行錯誤した結果、
この自己中な段階の子には
感情的に怒ったり問い詰めたりせずに
淡々と、でも真剣に
「あのね、お友だちのものは取らないんだよ」
と伝え続けるのが、
今までいろいろ試した中でいちばん伝わりました。
逆に、この自己中心的な時期を過ぎたら
「取ってもいいのかな?」
と子どもに戻して、子どもが自分で考えて決めさせる方が
一方的に「取らないんだよ」と言われるよりも
効果的という感覚があります。
もちろん、時期の違いだけでなく
子ども一人一人の個性によって
接し方も変わります。
この
「どう伝えたら目の前の子どもに伝わるか」
は、子どもと接しながら大人が学ぶところ。
この「おもちゃを取られた」という些細なトラブルから
AちゃんもBちゃんも、そして私も学べます。
さらに、周りでそのやりとりを見たり聞いたりしている子どもも
実はこっそり学んでいます。
小さなトラブルを「そんなことで」と流して
大人がジャッジしてしまうか、
小さなトラブルからも、その中で何かを学べるか。
この違いが積み重なるととても大きな差ができます。
「人が集まったらトラブルが起きるのは当たり前。
そのトラブルからどう学べるか。」
…大人同士のトラブルもきっとそういうことなんだろうな
こっちのほうがなかなかしんどいけど(--)