モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子どもに相談してみる という発想

前回トラブルの話を書きましたが
montessorilover.hatenadiary.jp

このトラブルが、大人が手薄な時に限って
同時に複数起こるのが、毎日の保育現場です。
(なんなんだろなあれ。試されてるとしか思えないw)

そうなると、例えばそこに私ひとりだった場合
ひとりでは全てのトラブルに同時に対応できなくなるわけです。

そんなときどうするかというと、

「あ、あっちでも誰か泣いてる!
誰が泣いてるんだろう、誰か見に行ってくれる人いるかなぁ~
先生、今いけないんだよなぁ~困ったなぁ~」

と誰にというわけでもなく、
大きいひとりごとのように声に出します。

そうすると、年長さんだったり、
時には年中さんだったり2歳児さんだったり、
とにかくその声をきいた誰かが必ず、
「行ってくる!」と飛んで行ってくれます。

仮にこの子をCちゃんとします。

Cちゃんが戻ってきて
「Aちゃんが泣いてた!」
私「そうなんだ!何で泣いてたかわかる?」
「聞いてくる!」
(また戻ってきて)
「Bちゃんにたたかれたんだって」
私「そりゃ大変だ。Aちゃん大丈夫かな。どこかケガしてるかな。
あっK先生が戻ってきた!K先生にAちゃんのこと、伝えてくれる?」
「分かった!」

などと思いっきり子どもの手を借りまくります。


終わった後、
「ありがとうね。Cちゃんのおかげで、AちゃんとBちゃん仲直りできたし、先生も助かった」
と伝えると、Cちゃんが何とも言えない嬉しいような誇らしげなような顔をします。


これは小さな例の一つですが、


大人はつい、自分が子どもにしてあげる発想になってしまうけど
そればかりじゃなくて
大人が困ったときや助けてほしいときには、
子どもにも相談したり、お願いしたり
助けを求めたりしてもいい。

そしたら子どもが
「自分が何かできること」を一生懸命考えて
実践してくれる。

そうやって子どもに助けてもらったら、お礼を伝える。

こうすることで大人が助かるだけじゃなくて
子どももそこでひとつまた成長する。

ということを、あかね時代のいつからか
感じるようになりました。

子どものために、私ががんばろう!
とか
子どものために、私に何ができる!?
とか
変な気負いがあると

できないとき(のほうが断然多いんだけど)に
子どもにとっては迷惑な結果になってしまって
本末転倒になる。

少なくともそれは減りました。


大人の子どものためにというのが
子どもにとっては迷惑な時もあるし
何もしない方が子どもにとってはいいこともある。
もっと言えば
子どもに相談した方が、大人よりも柔軟な発想で
斬新な答えが返ってきたりして
子どもにとって一番いい結果になることも多い。


私一人が頑張ってるときよりも
確実に子どもが育っています。


私一人の力なんてちっぽけなもんだ
これを教えてくれるのはいつも子どもたちです。
私の中での大きな財産の一つです。