モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

小さい子向け絵本に垣間見える育児スタイル 外国と日本の違い

以前、ある絵本をあかねに持って行った時の反応が
非常に印象的でしたというお話。

それがこちら↓

ちらかしぼうや

0~3歳向けの絵本は、
言葉と実生活を結びつける、実生活に即したものがいい。

(動物が2本足で立ってお料理するようなファンタジーは、子どもの中で世界が確立される3歳以降が好ましい)

とのことなのですが
探してみると意外とない。

なので見つけたらすぐ買うようにしています。
(そしてその本があかね在庫になかったら持っていく、と。これは完全に自己満足w)


この絵本をぱらぱらと見ていた先生たち、


「あら~いいじゃないこの絵本!」


おぉ、気に入って下さった様子。よかったよかった…


「何がいいって、
子どものお世話してるのがお父さん
ってところが、いいわぁ~!!!
さすが外国の絵本!」



えっっっ

そこ???


ってなりました。w


でも確かにそう言われてみると、3歳未満の小さな子どもとお父さんだけが出てくる絵本って外国のものが多くて、日本の物は少ないかも…と感じてしまいました。


「育児はお母さんが主体で、お父さんはおまけ程度」という日本の昔からの慣習が絵本の世界にも表れてるということかしらん。


最近はその慣習も崩れてきて、だいぶ主体的に育児に関わるお父さんも増えてきたように感じるので、絵本の世界でもお父さんが主体で子どもに関わるものが出てくるといいなぁと思います。


ちなみにこの絵本は、男女関わらず、出てくるお父さんを自分に置き換えるととてもほっこりします。

お父さんが片づけるそばから子どもが散らかしていく、という日常でありがちな一コマの連続。でも最後のお父さんのセリフがとてもおおらかで素敵。

私もこのくらいおおらかな気持ちで子どもに接しよう…その方がお互い平和だわ…
と素直に感じられるストーリーです。

ちなみに「ねんね」バージョン及び2冊セットもあります。どちらもお父さんと子ども。

絵もリアルなのに温かくて素敵。

今の保育園にも持っていこうかな。

強いSOSを感じた日~ワンオペ育児はこちらの予想以上にツラい

先日、お迎えに来たお母さんとお話していた時に

「もう、この子、誰かもらってくれないかなって思っちゃうんですよね」
というつぶやきが飛び出したのを聞き逃せませんでした。
お母さん泣いてたし。

その背景には
お母さんがひとりで、3歳になる娘さんの育児をしている
というご家庭の事情があります。
(お父さんはお仕事の関係で長期不在のご様子)

そこにきて、この娘さんがもれなく
秩序の敏感期及び「自分で!」が激しい時期
登園するだけでものすごい大変とのこと。

お母さんが急ぐあまり、娘さんのリュックを持って車に乗ろうものなら
「〇〇ちゃん(自分)がリュック持ってこなかったから玄関からやり直し!」
だとか、

靴を履かせようものなら
「自分でやるの!!!」
と激しく暴れ、そのくせ履けないと
「できない!!!!!」
とさらに激しく暴れ、結果何十分ものロスになるとか

娘さんのヒステリーが激しく、
それに振り回されて疲れ切っているようでした。

せっかちなお母さんとの相性もあるとは思うのですが
その歯車がうまく回らなかった結果、
このお話をする前の日は保育園を休んでしまったとのこと。

で、次の日はなんとか保育園に来て
そのお迎えの時にある先生が
「お母さん、頑張らなきゃだめよ、負けちゃダメ」
と声をかけたら
「もう頑張れません…」とひきつった笑顔で答えていたので
これは危ないと思い、私がでしゃばって話に入った次第です。

その話の中で

「家に帰ったらこの子と二人っきりなのが本当に辛い」
「誰かもうひとりこの子を見ていてくれたら本当に楽」
「この子異常ですか?私がダメなんですか?」
「もうこの子、誰かもらってくれないかなって思っちゃうんですよね辛すぎて」

などとSOSを求める台詞の連発。


う~ん

この状態の人に「がんばれ」っていうの、
鬱状態の人に「がんばれ」って言って追い詰めるのと一緒だぞこれ

と感じながら、

お母さんはもう充分頑張ってること、
これ以上頑張ろうとしなくていいこと、
娘さんがイヤイヤ暴れて辛かったら「お母さんも悲しくなっちゃう」って娘さんに伝えてもいいこと(あくまでヒステリックにならず淡々と)、何なら娘さんの前で泣いちゃってもいいんじゃないかということ、

娘さんは今順番や持ち物などの秩序に敏感な時期で、それが崩れるとヒステリックになってしまうけど、これは娘さんだから起きることじゃなくて世の中の3歳くらいの子はみんなこういう時期があること、
そしてこのヒステリーがいつまでも続くわけじゃなくて3歳半~4歳過ぎたあたりから落ち着いてくること、

同時に「自分でやりたい!」がものすごく強い時期で、自分でやるのを待ってると本当に時間がかかるし大人はついイライラしちゃうんだけど、でも子どもが自分でやった方が結果的には一番時間のロスが少ないこと、

そうわかってもうまくいかなくて娘さんが暴れたとしても、とりあえず保育園に連れてきちゃった方が、お母さんの心の安らぎを得るためにもいいということ、
娘さんは保育園では本当に楽しそうだから、保育園が嫌で行きたくないわけじゃないから、むりやり連れてきても罪悪感は持たなくていいということ

また辛くなったら保育園のお迎えの時でもいつでも誰かつかまえて吐き出して下さいね

ということをお話しました。
ちょっとしゃべりすぎたな…反省。

こういう対応をし(てしまっ)たということを備忘録的に書いておく。
たぶん話聞くだけでよかったんだ…出しゃばりすぎたなこれ



こうやって書き出してみると、
このお母さんけっこう追い詰められてるな…
と感じたので
ちょっと意識して様子を見てみよう。
話聞けるときは聞こう。
と思います。


とりあえずがんばれは禁句!w

「選べる」は楽しい 制服と思春期の話

今回はあんまりモンテッソーリ関係ない内容です。と先に書いておく。


以前、こんな記事を目にしまして。
www.asahi.com

www.asahi.com
www.asahi.com

確かに学校の制服って、メーカー指定があってそういうのに限ってダs(ry
素材が意外とペラペラで、冬めちゃくちゃ寒かったのを思い出します。お値段けっこう張るのに。その分厚くしてくれ~ぃ(たぶん流行らないライス風)

あとは、思春期ってホルモンの関係で身体のサイズがどんどん変わっていくから、そのつど買い替えるの大変ですよね。特に男子。

そして普段はジャージだったりするから、制服着るのはテストの時と学期の最初と最後だけみたいな、もったいない感じでしたねそういえば。

そして上の記事を読んでいくと、制服メーカーが教師の天下り先云々という腹黒い政治的な話まで出てくる始末。やめんかいw


という様々な問題も、
中3~高3まで通った母校のやり方だったら一発解決するんじゃないかしらこれ
と感じたのでどういう方式だったか書き出してみることにしました。
といっても大したことじゃなくて、

学校から支給されるのは、ブレザーの胸元につけるエンブレムとネクタイ2本(高3になると専用ネクタイもう1本)のみ
・あとは紺ブレ、白シャツ、グレーのボトムス、紺グレー黒のニットという大まかな指定のみ


これがもう、メリットしか思いつかないんですよ。
なので以下に思いつくまま羅列。



- メーカー指定なし!各家庭のお財布事情に合ったものでOK

もともと私の母校は「在外施設」扱いで、世界各国から生徒が集まってくる形の日本人学校。日欧米といった先進国ならともかく、アジアアフリカ圏から来る子たちも、自分の住む国で制服をそろえないといけないという事情がありました。(ちなみに私はトルコ)
だからメーカー指定なんてものはなし。というか物理的に無理でした。(学校推奨という形でハロッズがありましたけども強制ではありません。つか高くてダサかったw)。

つまり、大まかな指定から外れていなければ、極端な話ユニクロでもいいってことです。
ユニクロのニットとスカートで制服OK!ってなったら、親の立場としてもありがたいんじゃないかしら。
www.uniqlo.com
www.uniqlo.com
生徒側としてもこれなら可愛い♪(私が通っていたころはユニクロなかったんだよね…ちぇー)




- 選べる楽しさが残る大まかな制限

特に思春期の子にとっては「選べる」かどうかってすごく大きい。

紺ブレならシングルでもダブルでもどっちでもいいし(あんまりダブルの子はいなかったけど)、
ニットはカーディガンでもVネックでも丸首でも(ネクタイが見えれば)OK。休日ならタートルネックでもOK。

スカートに至っては、プリーツでもタイトでもフレアでも(土日や冬ならロングでも)よかったんです。これは思春期女子的にものすごく楽しい。私もプリーツ1枚、キルトスカート1枚、タイト1枚、友達から借りっぱなし(こらw)のロング1枚を着まわしてました。楽しかった…

当事者としては、これはほんとよかったです。

自分の体形に合った服、その日の気候や気分に合わせて服を選べる
という割と当たり前のこと
が制服時代でもできるという喜び。
というか制服時代ってそんな当たり前のこともできないのか…そりゃ窮屈だわな…ましてや思春期という多感な時に…と書きながら思う。




- でも制服としての統一感はバッチリ残ってる

色味の統一感とネクタイ・エンブレム効果ですかね。制服感はばっちりあるんです。集団でいると「あ、〇〇校の生徒」ってすぐわかります。
これは大人側(学校側)のメリットかもしれませんが、生徒としても学校の看板をいちおう背負ってるわけなので、外でそんなに悪いことできません…って当時はそこまで深く考えてなかったけど。あんまりそういうことしようとも思わなかったけど。ていうか外に出られるの1学期に1~2回程度だったから嬉しくて嬉しくてってこれ言い出すと違う話になるので割愛




- 制服の気楽な面も残ってる

完全私服と違ってセンスや家庭の経済事情の格差が表面化しにくいのは、当事者にとってかなり気楽です。私センスいいとは決して言えなかったのでね。自覚あり。

何よりも、ある程度は枠組みがある方が、選ぶ方も楽なんですよね。スカートはこの数枚の中から、ニットはこの4枚から、みたいな。ここまで読んでもらって分かると思うんですが、私基本めんどくさがりです。w 
でも個性やほかの子たちとの違いも少しは出したい、みたいな面倒なところもあるんだよ思春期は!www 


と多少乱暴に書き連ねてみましたが、今の日本でもこのやり方いいんじゃないの…と思います。デメリットが思いつかない。天下り先がなくなるくらいか?www

だって、とあるデータによると、日本の子どもの6人に1人が貧困ですよ今や。なんてこったい。どうなってるんだNIPPON。お高い(上にダサい事が多い)メーカー指定の制服に、何のメリットがあるというのだ。

完全私服と完全指定制服の間を行く母校のやり方、今振り返ってもいいなぁと思うのであります。学校関係のエライ人が参考にしてくれると嬉しいのだけど。

わかっていても…3歳半過ぎの秩序の敏感期 

秩序の敏感期の特徴の一つに
「ルールにこだわる」ということがあります。

来年の2月で4歳のKちゃん。

ルールへのこだわりが強すぎて、
お友達とのトラブルが頻発する毎日です。

お友達がちょっと違うことをすると、
それはもう、鬼の形相で怒るのです。

「ちがうよ!ダメなんだよ!!!」

言ってる内容は合ってるのですが
とにかく口調がキツ過ぎて受け入れてもらいにくい。

相手が口答えしようものなら
「でもダメなんだよ!!!
ダメなの!!!!!」

と怒りがコントロールできなくなり、
相手をたたいたりつき飛ばしたりしてしまう。
最後は自分も号泣。

「自分は正しい」という思いが強すぎるので
たたいたこと、突き飛ばしたことを謝ろうねと声をかけても
「ヤダ!!!(号泣)」の一点張り。


この、自分のことがだいぶ自分でできるようになって、
言葉もだいぶ達者になってからの、秩序感…

わかりにくいことこの上ない。
わかったとしても、受け入れにくい。
というのが正直なところです。苦笑


まぁ、秩序の敏感期だから~
で何でも許されるわけはなく、

「気持ちは言葉で伝えようね」
「たたいたりつき飛ばしたりしたらイヤだよね」
「自分がされてイヤなことはしないんだよね」

というのはいつも同じなので
こちらの対応はあまりブレることはないのですが。


ただ、見方を変えると、
本人が意識しているわけではなくても

この世に生まれ出てきて4年足らずで
「どういう風に伝えたら、相手に分かってもらえるか」
を実践の中で学んでいる
ところ

だと考えたら
それはすごいことだなと思います。
私もそこはまだまだ学び中だし失敗も多いし

あとは、もしこれが秩序の敏感期の特徴だとすれば
あと1年もすればルールへのこだわりは抜けてくるだろうと予想されるので、

今のうちにKちゃんと一緒に私も頑張ろう。笑

掃き掃除のお仕事 追記

前回、書き忘れたことをつけたし。
montessorilover.hatenadiary.jp


落ち葉(やゴミ)を集めるときに、
地面に円を描いて
その中に掃き集めるようにします。

部屋の中だったら、チョークで描いてあとで消します。


大人が何となく、「この辺に集めよう」と決めて
目測でしていることを
目に見えて分かる」ようにする。

そうすると
小さな子どもでもわかりやすく
自分で&楽しく活動できるという例のひとつです。

このサイトの⑦参照。
conobie.jp

(⑦以外にも楽しそうな例がたくさん♪こういうのいいな~)

日常生活のお仕事その①掃き掃除

前回のWちゃんですが、
昼寝をしたら午後トラブルがまったくなかったので、

え…睡眠不足???原因そこ??? 

ってなりました。w
(普段は昼寝の時間も起きて別の活動をしているのですが、
 この日は寝てみたそうです)

いや原因が睡眠不足ならそれでいいんだけど。
そうであっても、Wちゃんが楽しめるお仕事を探し続けることに変わりはないんだけど。


とりあえず、毎日できる、すぐできる活動として
子ども用のレーキとちりとりで
落ち葉掃きを一緒に楽しんでいます。
季節的にちょうどいいお仕事があってよかった


掃除だけでなく洗濯や食器洗いなどの家事は、
大人(というか私)にとっては日々のノルマでしかないけれど
子どもにとっては「やりたい!(目キラキラ)」ものなんだなぁと
いつも感じさせられます。

大人が落ち葉掃きをしていると
「あー!Wちゃんもやりたい!」
と意気揚々と近づいてきます。


子どもサイズのレーキを渡し、
「こう使うんだよ」と
やり方をゆっくり見せる。

今度は、自分でレーキを持って
奥から手前に引く。

そうすると、
落ち葉がザザザッと集められる。

それを繰り返すと
山盛りの落ち葉になる。

それをちりとりで集めて
ゴミ袋に入れる。

子どもは、この過程を楽しんで味わっています。

これは結果をいそぐ大人との大きな違い。

だから大人から見たら
「あ~そんなやり方じゃまどろっこしいわ!」
というようなことをしていたとしても
そこは大人がグッと我慢するところです。

一度使い方を見せてもらった子どもは
自分なりのやり方で試行錯誤しているところだからです。

ここで大人が
「そうじゃなくて、こうやるの!」
と下手に訂正しようとすると
「うるさいな~。もうやらない!」
とへそを曲げてしまいます。

もし訂正したいなら
自分用の道具を別に持ってきて
何も言わずに横でゆっくり「して見せる」ほうが得策。

あとは、本人や周りに危害が及ばない限りは見守る。

と、子どもも自分の「やりたい!」を邪魔されず
楽しく活動できます。


落ち葉掃きの場合は、
終わった後、結果が目に見えて分かる
(あれだけ降り積もっていた落ち葉がきれいになくなる)
というのも、楽しいポイントですね。
ここは大人も達成感があって楽しい。

「ありがとう」と声をかけると
「またやろうね先生!遊んでくる!」
と友達のところにかけていくWちゃん。

とてもいい瞬間です。

ほんと、この瞬間がどんどんつながっていくといいなぁ。


自分の手や体を思い通りに動かす。
動かして活動することで周りの役に立ち、感謝される。
本人も達成感を感じられる。

そういうことの積み重ねで
子どものいい部分が表にどんどん出てくる
ことを
体験的に知っているから
Wちゃんもそうなっていくといいなぁと思う毎日です。

子どもを変えるのは大人ではない じゃあ何?というお話

前回の記事があまりにもひどすぎて消去しました。
我ながらダサい

その消した記事の中でもちょろっと書いたのですが
今回は年長さんの、しかもタイムリーに今、手を焼いている子どもの話。

この年長さんを仮にWちゃんとします。女の子です。

- 手を焼く言動① 危険行為

・ロッカーによじのぼる
・椅子の上にのる
・そして踊る
・部屋の中は常に走る
・そして転ぶ
・何度注意されてもやる

最近の日々はこんな感じです。(サラッと書くなサラッと)

椅子の上で踊ったときは、足を踏み外して脇腹を強打し号泣。
うん、なんていうか、思いっきり自業自得なので何とも言えん…

年長さんという年齢もあり、
していいことダメなことの分別は本人の中にあります。
そこを敢えてやっている印象。

これはWちゃんの中で自己完結する(でもやめてほしい)言動ですが、
以下は周りとのトラブルにつながるもの。


- 手を焼く言動② なんとかして自分の思いを通そうとする 

例えば、Wちゃんが使いたいものを他の子が使っていると、力ずくで奪い取ります。もしくは、使っていた子がちょっと横に置いた隙にかすめ取ります。これがパターン1とすると、


- 手を焼く言動③ 思いが通らないときにキレる

いちおう「貸して」と言葉での交渉を試みるも
「今使ってるからダメ」とあっさり玉砕
→「なんでよ!今Wちゃんが使いたいのに!もうやだ!」
とキレて激しく暴れる。

ここで終わればまだかわいいのですが、
(…かわいいかな?)


- 手を焼く言動④ さらなる暴言をはく

パターン3.貸してもらえなかった恨みが募って発せられるのが
「Rくんいじわるだから、みんな近づかないで!」

自分の思い通りにならない子を、自分のテリトリーから外そうとするパターン。
さすがにこれはガッツリ叱らせてもらいました。

あとは、並ぶ順番はいちばんがいい、
新しいおもちゃはいちばんに使いたい、
は日常茶飯事です。


さて、どう対応したものか…
を考える前に、Wちゃんの言動をよく観察して分析することが必要です。


- 分析結果:自己肯定感が低い。自己承認欲求が強すぎる

なんとかして気を引きたい。
どうにかして自分を見てほしい。
そのためなら手段は選ばない。
(選んで~できれば選んで~)

それは自分という存在の価値が、自分の中で低いことの裏返しです。

「危ないことを敢えてする」はまさにこの典型的な例かと。

何でもいちばんがいい、自分の思いを何が何でも通したい
というのも、自己承認欲求が満たされていないから
だと感じます。

それを裏付けるかのように、
例えばその日のことをお迎えに来たお母さんに話していると
「ねぇ、今Wちゃんのことなんて言ってたの?
 Wちゃんがこんな悪いことしてたとかそういう話?」
と必ずしつこく確認に来ます。

悪いことしてる意識はあるけど
それをお母さんに言ってほしくないんだな…
と、その姿を見るたびに感じます。

自分という存在を否定されたくない
という思いが異常に強い。

だったらしなきゃいいのに…と大人は思うけど
そこが子どもならでは(?)の発想。
「気は引きたい、常に自分を見ていてほしい」んです。

といろいろ分析してみたところで、どういう対応が好ましいか。


- 対応① 行動と人格は分ける。やめてほしい行動だけを止める。人格は絶対に否定しない。

こうわかっていても、
意識していても
感情的に難しいときもあります。
そんなときは自分に言い聞かせる意味でも

「あのね、Wちゃんのことは大好きだけど、
今やったことはよくないよ」

とそのまま伝えるようにしてます。
人格は全肯定!行動だけ否定。をそのまま伝える。

これは子どもの言動にカッとなった大人(つまり私)にとっても
冷静になれる声のかけ方だと思います。


- 対応② よくない理由を自分で考えられるように声をかける

「なんでよくないと思う?」
と上の言葉に続けて本人に聞いてみることも
年長(6歳)という年齢だったら必要です。

「怒られるからダメ」
ではなく、
「友達が嫌な思いをするから」
「自分がケガをするから」
ということを、そのつど自分で考えて自分で気づく。

毎日毎日同じことで叱られていたとしても
その瞬間その瞬間、自分で考えて自分で気づく。

その瞬間、点と点がどうつながっていくかが
子どもの可能性です。(これは木村泰子先生語録)


- 対応③ 叱られる場面以外の日常生活の中で、自己肯定感をあげる

これがいちばん大事だと思うんです。

で、具体的に何をするか。

Wちゃんにぴったりの「お仕事」を探します。

Wちゃんが興味を持っていること、好きなもの、Wちゃんの手や体の発達段階(どういうことがどこまでできるのか)をよ~く観察して、

Wちゃんが「これやりたい!」と自分で選び

それを何度も繰り返して、

集中・没頭して

自分で納得して終える

そんなお仕事は何だろう。
これを探すのがモンテッソーリ教師の大きな役割。


この自己選択→繰り返し→集中→自分で終了
のサイクルの中で

子どもは、
自分で選べる喜び、
試行錯誤して何度も繰り返すうちに、今までできなかったことができるようになり、上達・洗練していく喜び、
自分の脳と心と体(手)がつながっていく、こうしたいと思ったことが実現できる喜び、
周りがどうであろうが自分のやりたいことに熱中する喜び、
自分のやりたいことを最後まで成し遂げる喜び
を得ることができます。

「自分はこれだけのことがひとりでできる」「これだけ頑張れる」

この気持ちと、実際にできる体(手)が
自己肯定感を底上げします。

そういえば前にも同じこと書いてた^^;

montessorilover.hatenadiary.jp


こういう体験ができるお仕事は何か、
それを子どもと一緒に探すのがモンテッソーリ教師の大きな役割。

年長さんともなると
プライドがあったり、自分一人でというよりも友達と何かやる方が楽しかったりで、いろいろと難しいのは確かなんですが。

それでも、この日々の地道な見えない努力によって
子どもの手を焼く言動が徐々に減っていき、
何より子ども自身が心穏やかに満たされた気持ちで生活していける
というのは、あかねの生活で実感しているので
(O先生がよく「お仕事なのよ、お仕事で変わるのよね」って口ぐせのように言ってたの思い出します)

Wちゃんにピッタリなお仕事は何だろう…
と外遊びやお部屋での遊びを見ながら考え、試す日々です。



余談ですが。
この「子どもを変えるのはお仕事」という発想がまったく通じないモンテッソーリ有資格者がいると思わなかったよ!笑 勉強し直してきて!マジで!また孤軍奮闘じゃねぇか!