モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

Q. 集中現象って何ですか?①子どもの姿

【ご質問 2歳1ヶ月】

超基本的過ぎて
聞くのも恥ずかしいのですが、
やっぱりよく分からないのでお伺いします。

集中現象ってなんですか?
ということです。


娘は、歩く、走る、ジャンプ、階段の昇り降り…
と一通りの大きな動きを獲得したようで、

ようやく最近、指先でつまむことに
興味が出てきたようです。

今までは見向きもしなかったつまみ付きパズルや、
ビーズ、あんぱんについた芥子の実を懸命につまんでいます。

今までは一般的に言われるよりも
指が不器用だなぁという印象だったのですが、
ここに来て急に指先でつまみ出して、
これが敏感期??
これが中心から外に向かって成長するってこと??
という思いで見ております。


なのですが、
集中現象ってどういうものなのか、
イマイチわかっていない母です。

あんぱんの芥子の実は取ってるなぁと思ったら
急にやめてお皿にあんぱんをほっぽり投げ、
食べもしません!

ビーズはつまんでるなぁと思ったら
急に投げて遊び始め。

つまみ付きパズルは、
1回全部外してはめ直して、
できたぁ!!と喜んだらおしまい。


今一番繰り返すのは、
積み木やブロックを並べて
「食べるものを運んでいます!」
というおままごとと融合した謎の遊びです。
「これはなんですか?」と聞くと
「カレーライスです」とか
「お味噌汁です」とか言われるので
食べるふりをすると大喜びです。
延々とおかわりを運んできてくれます。

水を注ぐ。というのも好きで、
「お水ください!」と言われるので、
計量カップに少量の水を入れて渡すと
自分のコップに注ぐ。

だけど、集中現象には今のところ
出会えていない気がします。
どれも一生懸命でとても真剣ですが、
集中とは違う気がします。

集中現象って一体どんな状態のことを言うのでしょうか?

変な質問で申し訳ありませんが、
教えていただけたら幸いです。



【回答】

ご質問の文章を読む限りですが、
ご質問者様が感じられているように
2歳1ヶ月の娘さんは、おそらく、
集中現象にはまだ至っていません。


集中現象に至る入り口に
今ようやく立ったのかな、という印象です。


回答がまた長くなりそうなので、

①集中現象とは:子どもの姿と発達
②集中現象に至るための環境の条件
③集中現象を邪魔しない大人の条件

の、いつもの3枠に分けてお答えしていきます。
(さぁ〜うまくまとまるのか〜、、、汗)




①集中現象とは?子どもの姿


ざっくり言うと

A. 自分で選んだ
B. 目的のある活動を
C. 手や身体を使って
D. 繰り返し、没頭して
E. 深い満足感を持って自分で終える

という一連の流れです。


モンテッソーリ教育で使われる「集中現象」は
A-Eの条件が揃って、
子どもが没頭した(プラス満足して終えるまでの)
状態のことを指しています。


具体的な例を挙げると、

テレビを見ている
ゲームをしている

などの、一見集中しているように見える状態は
手や身体を使っていない(脳も一部しか使われていない)ので
集中現象とは呼びません。
見せかけの集中状態とでも言いましょうか。



基礎の基礎に戻って、
モンテッソーリさんの著書に
集中現象がどのように書かれているかといいますと、


「はめ込み円柱の活動をしていた3歳半の女の子が
 あまりにもその活動に没頭して
 何度も何度も繰り返すので、

 周りで大きな音をたてたり、歌を歌ったり、
 道具と椅子ごとその子を上に持ち上げたり(!)
 邪魔になるようなことを敢えてしてみたけれど、

 それでもおかまいなく続け、
 最後は、深い大きなため息をついて
 何とも言えない安堵の表情で終えた」


という主旨のことが書かれており
このような子どもの姿が、
他にも多く見られたと記載されています。


(参考までに、はめこみ円柱はこちら↓)




そして、この集中現象に至った子どもは、
必ずと言っていいほど
活動後に、子どもの困った状態(乱暴、臆病など)が影をひそめ
代わりにその子どもが本来持つ良い人格(素直さなど)が表に現れた

とも書かれており
これは「Normalization 正常化」と呼ばれています。
正常化という言葉の響きが強いので、誤解が生じやすいのですが
「子どもが本来の発達の道筋に戻る」という意味合いです。



ここからは、私の個人的な保育経験の中で見た
「集中現象」に至った子どもの姿の特徴を書き記します。


・周りで他の子どもたちが騒いでいても、
 自分のペースで自分の活動を続けている


音や声がした方をチラ見くらいはしますが、
それよりも今、自分がしている目の前のことの方が楽しいし、大事なの。
という感じで、黙々と作業を続けていました。


自分が好きな活動をまだ見つけられない子どもたちが、
「なんか分かんないけど楽しそう!」
と音のした方にわらわらと集まってきて
カオスになる(笑)姿とは対極の、
静かで、でも強い意志を感じる姿だったのが、
個人的には印象に残りました。


・本当に何度も繰り返す。満足するまで同じことを延々と行う。

例えば、お洗濯だったら
洗濯かごの中のものを1つ選んで、
手洗いからすすぎ、しぼるまでを一通り行います。

まだやりたい!となったら、2枚目を同じように繰り返します。

本当に没頭すると、洗濯かごの中身を全部洗い、
それでも足りないと汚れものを探しに行きます。


大人の発想だと「まとめて洗えば早いのに」
と思いがちなんですが、
子どもは、洗う〜しぼるまでの一連の動きと段取りを獲得したいので
大人から見たら、まどろっこしいようなやり方を敢えてします。


・終わったあと、本当に幸せそう
これはね…本当に満足そうな、幸せそうな顔をするんです、
集中した後の子どもって。
というわけで、特につけたすことはありませんw




この、クラスの中で数人が集中している状態から

徐々に、皆それぞれがやりたい活動を見つけ、
それぞれが黙々と目の前の活動に没頭するようになってくると、

クラス全体がシ〜ン…となることがあります。


それは、大人が「静かに!」と黙らせた不自然な静けさではなく
子ども一人ひとりが、目の前の活動に没頭しているが故の
何とも心地よい静けさです。


もちろん、「ここどうやるの」
「ちょっと手伝ってもらえる、」などの自然な会話や、
ある程度のざわめきはありますが、

30人の3〜6歳の子どもたちが

ある子はお洗濯、
またある子はアイロンをかけ、
別の子は花を活け、
別のところではお茶を入れ、
また別でホットケーキを焼き、
イーゼルでお絵描きをする子、
数のビーズを数える子、
ひらがなをトレーシングペーパーに写す子、
国の特徴を調べる子…など、

それぞれがバラバラに動いているのに、
クラス全体では何とも言えない調和感があって、
なんか、すごいわこれ。 
と感じました。



この集中現象はなぜ起こるのか
ということを考えると、

子どもが
「これをやりたい!」
という自分の意志で活動を選ぶことが始まり

自分の思い通りに手や身体を動かしたい、できるようになりたい
という強い生命欲求を元に
活動を繰り返す中から、
自然と起こる現象
です。


つまり、

「これを今やりたいの!
 今、この動きを身につけたいの!」

という、発達の欲求が
身体の動きに強く現れることが
集中現象に至る入り口
となります。


ご質問者様のお子さんは
「つまむ」動きが今楽しいように見受けられました。


でも、ご質問の文章にあるような
「あんパンのケシの実をつまむ」
「ビーズをつまむ」
動きは、

つまむという【動きそのものが目的】であり
その先に明確な目的がない
ので

つまんだものを投げてみる、という
大人から見ると謎の、
時には困った行動につながってしまいます。^^;


困った行動につながらないようにするには
大人の知恵が必要になってきます。



1.今やりたいであろう【特定の動き】が繰り返せる道具を用意する

これは、「eye-hand coordination 目と手の協応」と呼ばれる活動で
【動きそのものが目的】となっています。


つまむ動きを繰り返す活動で
1歳半〜2歳半くらいの子どもが好むものとしては、

・つまんで穴に落とす(コインと貯金箱)
・つまんで挿す(つまようじと楊枝さし)
・つまんだビーズをモールに通す(大きめのビーズとモール)

などがあります。



これらの、「つまむ」活動が入っていて
繰り返すことができる道具を
トレーにセットして
使い方を見せてあげることで

つまんで→投げる
という困る行動は減らせると思います。


さらに、トレーに置いてセットしておくことで

自分で選んだ活動を持ってきて
活動を行い
終わったらまたトレーごと元の場所に戻す

という、集中現象に至るサイクルに近づくことができます。



ただ、この「目と手の協応」の活動だけだと
集中の度合いは弱く、
特定の動きができるようになったら
すぐ飽きてしまう

というのが
熟練のモンテッソーリトレーナーのお話であり、
私の今までの経験からも納得するところです。


なぜなら、目的の動きができるようになると、
次の、まだできない動きがしたくなるのが
子どもの発達
だからです。


モンテッソーリの園でも
 短期的に、必要な子どもがいるときに
 出すのはいいのですが、
 1ヶ月も1年間もずっと出しっぱなしだと
 そのうち誰も見向きもしなくなり、
 ただのお部屋の飾りになって
 ホコリをかぶって置かれているのをよく見かけます)



目と手の協応の活動へ誘い、
繰り返しを促すことで
困る行動を減らす

のを第一弾とすると、



2.目的の動きが入った日常生活の活動に誘う

のが第二弾です。


つまむを例に挙げると、

・床に落ちたゴミをつまんで、ゴミ箱に捨てる
・ボタンを留める(ボタンをつまんでボタンホールに通す)、スナップを留める
・花の茎をそっとつまんで、一輪挿しにさして活ける
ミニトマトやイチゴのヘタを、優しくつまんで取る
・ゆで卵の殻をむく
・洗濯バサミをつまんで、干す


など、思いつくありとあらゆる日常生活の活動に誘うことで
「つまむ」という短期的な目的だけではない、
その先の大きな目的に向かって活動する
ことができます。



大きな目的とは

・自分で自分のことをする
(ボタン、スナップ、クッキング系など)

・周りの人や環境のお世話をする
(掃除や洗濯、花を活ける、クッキング系など)

です。
クッキング系の活動は両方の目的を含んでいます。


(子どものお皿洗いに使用↓)



特定の動きを身につけるために繰り返す
→その動きをもって、自分や環境の世話をする

という発達の欲求を大人が見逃さずに援助できると
子どもが活動を選び、繰り返し、
集中現象に至るお手伝いができるようになります。


ご質問者様のお子さんが、
「集中現象に至る入り口に立ったところ」
だと申し上げたのは、

つまむという高度な動きができるように
手が発達してきたことで、
つまむ動きを繰り返す
もしくは
つまむ動きが入った日常生活の活動を繰り返す
段階に入ってきた

という意味です。


「つまむ」を獲得しようとしている時期には、
手首をひねる(蛇口、注ぐなど)、
手に持ったものの操作の力加減を調整する(野菜や花の持つ力)
など、多岐にわたる動きも同時に獲得しようとしています。


日常生活の活動には、
そのような多種多様な手の動きが、数多く含まれています。

なので、目と手の協応の活動から始めて
徐々に、日常生活の活動に
(一部だけでも、1回だけでも)誘っていくと
やりたいであろう手や体の動きを練習し、
獲得するいい機会となります。
(これは②の環境の話なので、次回もう少し丁寧に書きます)



2歳1ヶ月ということで
3歳前は無意識に吸収する時期ということもあり
「意志」というよりは、少し強い「意図」程度で、
やりたいことはたくさんあるものの、
興味がすぐに目移りして、
繰り返すことは少ないかもしれません。


でも、無意識吸収期だからこそ
目と手の協応の活動、日常生活の活動に
部分的にでも、1回でも参加する機会があると、

吸収した体験をきっかけとして
ある特定の動きを繰り返し、
集中現象を起こす可能性はぐっとあがります。


最後に、
集中している子どもの中で何が起こっているかというと

運動(身体)と意志(心)と知性(脳)の統合

です。


手や体を使う【運動】、
やりたい!できるようになりたい!という【意志】、
どう動かせばいいのか、どうやったらできるようになるのかという【知性】

この3つを、活動の中でフル活用し
統合させています。


正常化というのは
この3つが統合されて、
身体も心も脳も満たされ、落ち着いた状態なのだと
私は思っています。


逆に、この3つがバラバラだと
3つの発達欲求が満たされずに、
困った状態として表れる、と理解しています。


目と手の協応、
日常生活の活動

は、3つの発達欲求を満たし、統合させて
子どもを良い状態に導いてくれる
大切な活動です。


一般的にはまだ早いんじゃないかと思われるような活動、
1歳半~2歳半/3歳の子が
バナナを自分で切って食べたり、
そのお皿を洗ったり、
洗濯をしたり、窓を拭いたり
ということを提供しているのは

本当は子どもの発達に合った
子どもが求めている活動だからです。


で、その子どもの発達に合った活動(環境)と
その環境にいる大人の話を
次回、その次と書きたいと思います。

相変わらず長くてごめんなさい!