モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子育ての悩み≒人間関係の悩み

大阪の研修が、とってもとってもよかったので
Facebookに書いたものをそのままコピペ。
(手抜きすみません)


保育≒人間関係。
子どもとの人間関係がうまく行かないから、
みんな悩んだりこうやって研修に参加したりする。
大人が子どもにこうしてほしい!気持ちが強すぎると、
思い通りに動かないときにストレスを感じる。
(これは親子関係にも同じことが言えるかな?)

でも子どもも人間なので、
やらされることは嫌でも、
心が動いたら「やりたい!」と自ら体を動かす。

心が動く→体が動く→子どもが育つ。

ここをいかに大人がポイントとして落とし込めるか。
どれだけ子どもの心を動かせるか。

そのためには、まず大人が
「あなたにぜひ紹介したいものがあるの!♥」
と物の環境への愛着を持って、
そこから活動へ芋づる式に導いたり、
大人自身が活動を楽しんでやって、
その姿を見た子どもが
「僕も・私もやりたい!」となってくれる(ように間接的に誘う)ことが必要。

他にもクイズやゲーム形式にして
言語や数の遊びから興味を持たせて活動にいざなうなど、
楽しく幸せに誘うやり方は千差万別。

「今が〇〇の敏感期だからこれもやらなきゃ!」
というのは子どもも大人も苦しい。
もっと楽しく柔軟に考えたい。

あとは、子どもが大人の目から見て悪い子のときも
「今は表に現れていないかもしれないけど、
 あなたが本当はいい子だってこと心の底から信じてるよ」
「あなたの発達課題がそれをやらせてるんだよね。
 そのやり方は私たち大人が困るから止めるけど、
 どうやったらそれが安全に(かつ大人も困らず)できるか、
 一緒に考えるからね」
という気持ちも大切。


子ども何十人の保育環境においては、
子ども一人ひとりの多種多様なニーズに応えるためにも、
十分な数、素材、文化のある教具が必要。
何がその子どもの興味に引っかかるか分からないから。
(プラス十分なスペースも。←日本はここが弱い?)


大人が生きて生活しているだけで、
子どもはそこから吸収して体得していく。
ふるまいも言葉づかいも価値観も。

そう考えると、モンテッソーリって
教具が〜とか、
使い方が〜とか
そんな形式ばった堅いものじゃなくて、
子どもと一緒にいる大人そのものや、
生活そのものとも言えるんじゃないかな。
だからストイックに「モンテッソーリできてない…」とか責めすぎなくていい。
でも前向きに、丁寧に毎日を過ごす中で
大人から子どもにこぼれ落ちて伝わっていくもの
を大切に生きていきたい。

(続)