モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

何度でも言う。モンテッソーリ教育はあくまでも子どもが育つプロセスであって、目的ではない。一番大切なのは、目の前の子ども。

藤井特需で、大人たちが(モンテッソーリ関係者ですら)こぞって

「うちでもハートバッグを!」

みたいになってるので敢えてあまのじゃく発言。

 

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 ハートバッグを作ることそのものを目的にすると、

一番大切な子どもを見失うぞ、と。

 

子どもが自分で「やりたい!」と思ったものを選んで、何度も繰り返す、

その過程で「結果として」集中力や決断力が育つ、のであって、

 

だから子どもの自己選択と繰り返しの自由を邪魔さえしなければ
活動そのものは何でもいいんだよ。ハートバッグにこだわらなくても。

(自分や人や物を傷つけることでなければというのは大前提で。)

 

活動の一つとしてハートバッグがあるだけで、
それをたくさん作ること=集中力がつく!だからうちの(園の)子にもさせなきゃ!
ってなったらもうその時点で大間違い。

 

大人がしてほしいことを子どもにさせる、その時点で、

子どもがもともと持っている自然な発達の力をサポートする

という大人の役割から大きく外れてるから。

 

もちろん、活動の選択肢が一つ増えるというその程度の意味でハートバッグの活動を準備することは、まったく問題ないし、特に反対もしないけど、「ハートバッグのお仕事、出しましょう!やらせましょう!」みたいになってる大人には、まぁとりあえず落ち着けと伝えたい。


それ、子どもが本当にやりたいと思ってる?大人がやらせようとしていない?