モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子どものごはん に関わる大人

私がモンテッソーリにハマった理由のひとつは
今まで自分が受けてきた教育が
基本的に「減点法」で、
そこに違和感をずっと感じていたから。

何をするにも
この年齢ならこれだけのことができるだろう
という、大人が勝手に決めた枠がまずあって
それができなかったり、失敗したりすると
怒られたり呆れられたり

というのが、昔からイヤでした。

自分は勉強ができる方だったから
その面で怒られることはほとんどなかったけど
減点法で怒られている友達や、
怒っている先生を見るのもイヤだった。



「今現在の子ども(人間)の状態をまず受け入れて
それを元に次にやることを考える」
というやり方のモンテッソーリに出会って
従来型教育への嫌悪感の反動もあって
どっぷりハマったという経緯があります。


で、ご飯(給食)の話。

2つの園の、対極的な方法をご紹介します。


方法その1。

「年少/年中ならこのくらい食べられるだろう」
という、大人が決めた量がすでに盛られていて
それを全部食べたら100%、
残したら90%、80%、70%…
と大人が評価する。連絡帳にも記入。
おかわりもなし。


方法その2。

子どもの食べられる量と好き嫌いは把握しつつ
基本は年長さんが盛りつけ、
年中年少さんも普通か少なめは選べる
(片寄らないよう調整するのは大人)
スタートを少なくして
全部食べたらおかわりできる。

小学校の給食の方法に近いです。


モンテッソーリ好きとしての個人的感想。
方法その1について。

まず、
子ども=自分ではない他人 
が食べられる量はこれです!
と決めつけてしまうのがなんというか…
おこがましくない?
大人どうしでも分からないのに?

で、その量を100として固定しちゃうのが
また何ともおこがましい。
なに勝手に決めとんじゃーい
勝手に減点すんなやー

まぁ要するに、
子どものごはんなのに
大人主体なのがイヤなんです。


方法その2について。

自分で盛りつけられる喜び
(これは大人の予想以上に大きい)
完食する喜び、
おかわりできる喜び。

嫌いなものや食べたことがないものも
必ず一口は食べてみる経験。

その経験を積み重ねて
食べられるものが増えてきたり
量も増えてきたり。

何よりも
「ご飯イヤ!」ってならないように
「ご飯楽しみ!」っていう気持ちが育つような環境。

などいろんな要素が含まれていて
何よりも子ども主体なのが、好き。

もちろん、好きなものだけたくさん食べて
嫌いなものは全く食べない、なんてことにならないように
ある程度大人の調整は必要だけど。
いやほんとここは必要(笑)


大人主体の方法の園にいる身としてできるのは
こっそり最初に減らしたり
その分を足りない子のおかわりに回したり。
ってなんでコソコソしないといけないんだ!(笑)