ほめることが邪魔になる場面②
ほめることが子どもの育ちを邪魔する場面のもうひとつを書くの、忘れてた…
絵本の環境があまりにも衝撃的だったもんで(^^;
すみません。
その場面とは、子どもの「創造的な活動」です。
ここに大人のほめことばが入ると、子どもが元々持っている独創性が育つのを邪魔してしまいがちです。
例えば子どもがお絵描きを「見て!」と持ってきたときに、「あら、じょうずね」と何気なくほめる。
わりとある光景だと思うんですが、
残念ながらこれもほめられ中毒になりがちなんです。
最初は純粋に、自分が楽しいから描いていた
→「じょうずね」とほめられて嬉しかった
→これが何度か続くと、「じょうずね」とほめられたいから描くようになる
(子どもの描く目的がすりかわる)
→絵を描くたびに「見て!じょうず?」とよい評価を求めるようになる
(子どもの行動も変わる)
最後の方は、毎度の「見て!」に大人の方もうんざりしてしまうことも(^^;
でもこうなってしまった最初の原因は
周りの大人が無意識に作ってしまっていることが多いんですね。
このような子どもの変化を見るたびに
もったいないなと感じます。
この子の独創性が何物にも邪魔されずに表現できたら、どんな可能性があっただろう…と。
他にも、塗り絵をしていて
「ここはピンクがいいんじゃない?」とか
「りんごは赤だよ、水色なんて変だよ」とか。
いえあの、子どもがしていることなんで、子どもに全部任せてもらえますか…
(とはなかなか言えないのでここに書く、と。笑)
あかねを始め、モンテッソーリの先生は
「じょうずね」とも「えらいね」とも言いません。
子どもが「見て!」と言ったときは
笑顔で子どものしていたことを受け止めます。
子どもが描いた絵の説明を始めたら、聞きます。
ただそれだけで、大抵の子どもは満足します。
そしてもし「じょうず?」「えらい?」と
子どもの方から評価を求められたなら、
「描いたね(~したね)」「赤がいっぱいだね」と事実を口にして、「先生はあなたがしていたことを見ていたよ、分かっているよ」を伝えます。
感謝を伝えたい行動であれば「ありがとう」と言います。
「じょうずね」「えらいね」は
大人の側にとっても便利なことばなので、私もつい口にしてしまいがちですが、
大人の評価が子どもの自主性や創造性を邪魔してしまうんだなという事実を何度も見てきて、その意識が心のどこかにあると、それ以外の「評価しない」言葉を探そう…という気持ちになります。
何より、これを大人に言って「上から目線じゃないかな、逆にバカにしてないかな、失礼じゃないかな」と思い直す感覚、
これを、子どもにも同じように持つこと、
子どもを大人と同じように尊重すること、
そのひとつに「ほめない」があるのかなと思います。