モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

集中~自分で自分を作り直す過程~ 

子どもは、集中することで変わります。


というのが今回伝えたいことであり、なぜ私がモンテッソーリに惹かれるのか、その大きな理由のひとつであり、モンテッソーリの中でもハイライトなところじゃないかと思います。


子どもの何がどう変わるのかというと
困った状態から、よい状態への変化です。


子どもの困った状態を、モンテッソーリさんは
「脱線、逸脱」と表現しており、


「すべての脱線の発端には唯一の事実があると想定されます。

それは子どもが自分の発育の、元来の計画を実現しえなかったことです。

そうなったのは環境が、人格形成にとって決定的な年齢に、子どもに影響を与えたからです。」

と言っています。


①子どもに生まれつき備わっている発育計画が
②人格形成の基盤となる時期に
③環境によって邪魔された

ことが、子どもの困った状態の元というわけです。


子どもの脱線状態には大きく分けて2つのタイプがあります。「子ども自身の発育の計画」を邪魔する環境に対して、反発しようとする強いタイプと、反発できない弱いタイプの2つです。


①強いタイプ
かんしゃくを起こす、暴力をふるう、物を破壊する、人のものを奪い取る、など

②弱いタイプ
臆病過ぎる、無気力、自分で何も決められない、嘘をつく、影で物をとる、など


これらの困った状態がよくなる過程に「集中」があります。
より正確には

①子どもが自分で自由に活動を選ぶ
②繰り返す
③集中、没頭する
④自分で終える

という過程を経て、子どもが変わります。
この過程をもう少し細かく分析していくと

①自分で選ぶ…自発性、主体性、意思が尊重されている喜び

②繰り返す…自己訓練、自己コントロール、自分で間違いに気づいて直す、やりたいだけできる自由を尊重されている喜び

③集中…心と身体の全エネルギーを注ぎ込み、「やりたい!やりとげたい!」心のエネルギーと「できるようになりたい!」身体のエネルギーを融合させていく。自分の意思で思い通りに動かせる身体を作っていく。

④自分で終える…深い満足感、達成感、自分でやりとげたこと、できるようになったことへの喜び、次へチャレンジしようとする気持ち

→次の目標、活動を探し、また①に戻る


このサイクルを何度も何度も繰り返していく中で
子どもの困った状態が消えていき、落ち着いたよい状態へ変わっていきます。
素直になる、自分の意思で大人に従う、ルールを守る、作業することを好む、自分をコントロールできる、物への執着や独占欲がなくなる、周りの人と助け合える、自分で考えて決められるようになる、など。

つまり、集中することで、子どもが自分で自分を作り直すのです。


今まで書いてきたことは全部ここにつながります。

敏感期を初めとする子どもの発達とその時期についての話は、子どもに生まれつき備わっている発育計画を知るために必要なこと。

大人のふるまいや、物の環境の話は、子どもの発育計画を邪魔しないようにするため。

これから書くことも、おそらくここに全部つながってくると思います。


私にとって、何が新鮮だったかって
子どもの困った状態…例えばかんしゃくを何とかしたいとき、つい「大人がどう関わればいいか」という直接的な働きかけの方に気をとられがちだったのが

子どもが自分を作り直せる活動に出会えるように
環境を整え、子どもと環境の橋渡しをすること

という今まで全く思いもよらなかった選択肢が増えて、しかもそれがいちばん有効だということです。

大人のほめ言葉やごほうびや罰なんか、この「子どもの発達にぴったりの活動」に比べたら鼻くそみたいなもの(あら失礼)。


あかね時代もずっと、この「子どもの集中」を呼び起こすにはどうしたらいいか、どんな環境があればいいのか、自分の言動が子どもの集中を邪魔していないか、ということをずっと考えていました。
が、時には「子どもの集中」がこちらの目的となってしまい、そこに至る過程をこちらがすっ飛ばして、「集中させようと」して失敗したことも…(これはいずれ別で書きます)


改めてモンテッソーリの「集中」について書けたことで、我が身を振り返り反省するいい機会にもなりました。っていうか反省しかないかも…(>_<)