モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

何を言っても「イヤ」問題 2歳

とは言えですね(前回のノッポさんの続き)、
大人が思い出せない子ども時代もあるわけで。

それがだいたい、3歳より前かなと。
(人によっては記憶があるそうで…いいなぁ)

そこはもう、目の前の子どもをよく見て
モンテッソーリなり何らかのヒントを
もらいながら、やってくしかないわけです。

で、2歳前後のイヤイヤ期について。
(唐突!)


あかねで最初に配属されたのが
1、2歳児混合クラスでした。

あれっ勉強してるのは3~6歳のことなのに!?

と超戸惑ったんですが、
結果これが、ものすごく勉強になりました。

何が勉強になったかって
まだ言葉もおぼつかない時代の子どもの
「声なき声」を聞き分けるために
まず相手を知ること、そしてよく見ること
の訓練を、この1年でさせてもらえたこと。


この自分の記憶にない時代の子どものこと、
何も知らなかったし、かなり誤解してたなと。

その誤解のひとつが「イヤイヤ期」と言われる
こちらが何を言っても「イヤ!」と返される、
第一反抗期なんて呼ばれちゃう、あの時期。


もう、このとらえ方から違ったんだな~
と今なら分かります。

とりあえず、実際のエピソードを。


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配属当初は、ほんとに何を言っても
「イヤ!」の連続でマジ凹み、心折れる日々。

お外行くよ~ → イヤ!
帽子かぶりましょうね~ → イヤ!!
靴下はこうね~ → イ・ヤ!!!


…私のことがそんなにイヤか!。・゜゜(ノД`)ウワーン


おそらく、そんな私を見るに見かねて、笑
園長先生がヘルプに入って下さいました。
そして、


「○○ちゃん、靴下、自分ではく?
 それとも先生がお手伝いしてもいい?」


するとあれだけイヤイヤ言ってた子どもが
靴下を自分ではいたのです。


えー!!! (心の声)


なに今の!なに今の!もう一回!


以下、園長先生による解説;

「この時期の子はね、
『はく?』って聞いたら
だいたい『イヤ!』ってなるから
今みたいに、同じ『はく』なんだけど
自分ではくか、手伝ってもらうか
みたいに、どうやってはくかを
子どもに決めてもらうとスムーズよ」


…は・つ・み・み!


はぁ~ (放心)


そして、玄関にて。
さっき聞いたことを実践できるチャンスが
さっそく訪れる。笑

「○○ちゃん、お靴、自分ではく?
それとも先生手伝う?」←おそるおそる(笑)


すると、

「じぶんで!」

とね、はいたんですよ、靴を。


えええーーーー(感動の嵐)

あんなに今までイヤイヤ言われてたのに!
魔法か!


このときはまだ、

(イヤイヤに効く呪文を覚えた!
 レベルが1アップした!)

くらいの軽~い感覚でしかなかったんですが
その後、自分でも本を読んで勉強したり、
子どもたちと接したりする中で

どうやらそんな軽いものではないようだ

ということが徐々に分かってきました。


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この時期はちょうど、
無意識的吸収期と意識的吸収期のつなぎ目です。

それまで無意識に大人の真似をすることでいろいろ吸収していたところに
「自分という意識」
がニョキニョキと芽生えてきます。

この意識が、大人から声をかけられたときの
「イヤ!」に繋がるんですが
このイヤは、言葉通りの意味ではなく


「私には私の意思があるので、
 一方的に命令しないで下さい(キッパリ)」


という気持ちの表れ、と解釈してみて下さい。
すると、先ほどの声かけの違いが見えてきます。


「~しましょう」は
口調こそ柔らかいですが、【命令】です。
そこは子どもの方が惑わされません。
命令はどんな形でもイヤ!なのがこの時期です。
ここは揺るぎません。笑

「~するんだけど、Aの方法でやる?
 それともBがいい?」
という聞き方だと、
「すること」は前提としてあって、
その方法を子ども自身が決めます。

この
「子どもが自分で決める」
のがポイントかなと。


この発想に切り替わると、
生活のあらゆるところで
子どもが自分で決めたいであろう場面が見えてきます。


朝ごはんはパンorご飯
果物はバナナorりんご
今日着る服は白のTシャツorボーダーT
下はグレーのスウェットor黒のハーフパンツ
靴下はハヤブサの柄orドクターイエローの柄
靴は赤いスニーカーor紺のスリッポン
おやつは黒ごませんべいor醤油せんべい
お風呂のおもちゃはアヒルorボート
寝る前に読む絵本は「はらぺこあおむし」or「ぐりとぐら
 
などなど。


子どもが自分で決められることは、
こちらの想像以上にとても嬉しいものです。
それは

「この中から自分で決めていいと
 周りの人も思ってくれている」
「決めたい自分を受け入れてもらえている」
「自分で決めることを尊重してもらっている」
「自分で決めたことを信頼してくれている」

ことが伝わるからです。


考えてみれば、大人の仕事だって
1年たっても2年たっても、
まだ全て上司の命令通りじゃイヤになりますけど
やること(プロジェクト)が決まっている中で
やり方、進め方を決めさせてもらえたら
「少しは自分も、認めてもらえてるかな」
と思えますね。
それと似てるかな、と。


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注意したいのは、選択肢の枠の設定です。

・この時期の子どもが知っているであろう範囲内で

「デザート、りんごとライチどっちがいい?」

(…ライチ?何それ知らないし)→イヤ!

となることも想定できるので、
子どもの知っている中で決められるように提案して下さい。


・次にこうしてもらいたいな、という範囲内で

これは言わずもがなですが、
次に寝てほしいからその前に絵本を読むはずが

「寝る前に絵本読む?おもちゃで遊ぶ?」

だと、これでおもちゃを選ばれた日には、
なかなか寝つけないこと必至。


まぁこの状況はさすがにないかなと思うんですが、
たま~に自分でも
(あ、今選択肢の設定間違えたな、しまったな)
って感じることがあるんです。
そしてカオスになる。
それが今思い出せず、
こんなおバカな例しか挙げられなくてすみません。


・子どもの成長に合わせて選択の幅を少しずつ広げる

これ2歳前後だと、2択がちょうどいいんですが
決めることに慣れてきたら

A or B or C?
A or B, or something else?

みたいな感じで、徐々に選択の幅を拡げていくと
子どもの決定権も徐々に広がります。

=子どもが認められていると感じる範囲が広がる

ってことです。


子どもに決めさせてやる(上から目線)
ではなく
子どもが決められるよう、相談する
スタンスで。

あ、ここでやっとノッポさんとつながった。


やっぱりノッポさん、本質ついてくるな(そこ?)

でもほんと、
ノッポさんでもモンテッソーリさんでも
子どもをよく見ている人は
最終的に同じこと言います、本質的に。
子どもの本質にたどり着くからなんでしょうね。


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それまで無邪気にニコニコ、大人の真似をしていた可愛いだけの我が子が
突然悪魔のように変身する(ように見える)この時期。

子どもにとっては次に進むために必要な変化です。
大人の都合などおかまいなしに。笑

大人の記憶にない時期なので、
自分の経験則は無効です。
だから多くの大人がまずこの時期に子どもと対立し、またはわかり合えず
イライラしたり疲れたり落ち込んだりします。

でも、この時期に急激に変わること、
急激な変化の理由、
理由に応じた対応策をあらかじめ知っていれば
大人が予測を立てて、傾向と対策を練って
イライラや対立の疲れや落ち込むことを
減らすことができます。


2歳という時期が大変なのは
他にも「秩序の敏感期」のピークだったり
この「自分で決めたい」時期だったり
なのにまだ言葉で気持ちを表せない時期でもあり、
と、いろいろ重なっているからなんですね。

全国の2歳児と
その子どもと向き合っている全ての大人に
エールを送ります!