モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

お箸をいつから持たせるか問題~手の発達から考える~

いつも話があっちこっち行ってすみません。

問題ってほどではないんですが、あかねに勤めていたとき

Q:お箸はいつ頃から持たせればよいですか

ということを割と頻繁に聞かれたのを急に思い出したので、今回は手を使う繋がりでその話を。


A:年齢ではなく、その子の手の発達に合わせて

といつも答えていました。さらに、

「お箸を持つタイミングは慎重に」

ともお伝えしていました。


食べるときの手の使い方を発達ごとに見てみると、

手づかみ
スプーンをグーの手で持つ
スプーンを親指、人指し指、中指の3本で鉛筆持ち

この「スプーンを3本指で鉛筆持ち」で上手に食べられるようになってきたら、お箸を使ってみるようにしていました。


人間の身体は、全体→細部 の順で発達します。
手だけ見ても、手全体→指の細部 の順です。


グーの手でスプーンを持っている時は、まだ指一本一本が独立して動かせない時です。
ここでお箸を持たせるのは時期尚早です。おそらく、お箸をグーで握って食べ物を刺す、という食べ方になります。


お箸を与えるタイミングを慎重にはかるのは
幼児期は「筋肉が記憶する」からです。

正しい持ち方を最初に覚えてしまえばそれが記憶されますし、変な持ち方もそのまま記憶されます。

変な持ち方を、大きくなってから(小学校以降)訂正するのは大変です。


実は私自身がそうでした。
お箸の持ち方がずっとおかしくて、周りにも注意され続け、でも直せないまま大きくなり
大学で一人暮らしを始めて料理するようになったときに、我流の持ち方だと菜箸がうまく使えないことに気づき、そこからけっこう頑張って直しました。
でも今も、意識しないと以前の変な持ち方に戻ることがあります。


直せない、というより、直したくない と言った方が正しいでしょうか。

小学校時代、食事のたびにお箸の持ち方を注意され
いちおう親の見本を見てやってみるも、幼児期に筋肉が記憶した動きの方が強く、すぐそっちに戻ってしまう
それでまた注意され…その繰り返しがイヤになり、ふてくされる
そうなると周りもそれ以上注意できず…ということの繰り返しでした。

弟は正しく持てていたので、お箸が与えられたタイミングの差だと思います。

もちろん私の「注意され続けるのがイヤ」な性格の部分も大きいと自覚しています。
でもどうやら、私だけではなく、だいたいのお子さんが「注意され続けるのはイヤ」みたいです。
まぁ、大人も一緒かなこれは。と思います。

お箸のことに限定すると、
お腹が空いて早く食べたいときに、ゆっくりお箸の持ち方なんぞ練習したくはないかも
というのは何となく分かります。


モンテッソーリ園には、様々な「手を使う練習」ができるセットが置いてあり、その中にお箸も必ずあります。
(またメモリ不足で写真あげられずすみません。「モンテッソーリ お箸」で画像検索してみて下さい…って他力本願)

これを子どもが、自分がやりたいときに選んでやりたいだけ練習できるようになっています。

大人が見本をゆっくり見せ、そのあと子どもがやります。

この
「子どもがやりたいときに、自分で選んで、好きなだけやる」
のがいいのかな、と思います。
お箸の場合、お腹がすいてないタイミングで練習できるのは、大きいと思います。

お箸の前段階で、スプーンやトングの練習セットもあります。(おそらく画像検索で出てきます)

ちなみに、エ○ソン箸のような、指を通す所がついた練習用お箸は、あんまり意味ないかな、というのが個人的見解です。
使ったら分かると思うんですが、あれ持ち手のついたトングです。残念ながらお箸の練習にはなりません。(こんなこと書いたら名誉毀損で訴えられちゃうのかしら。ドキドキ)

でも子どもの手を中心に考えたら、スプーンで3本指が思うように使えるようになったら、一本一本が独立したお箸の練習に入った方がいいんだな、というのが実感です。



お箸の練習セットを見た母も
「あ~こういうふうにやればよかったのね!」
と申しておりました。
娘のお箸の持ち方を見る度、親としての責任を感じていたようです。ご、ごめん…
親ってそういうものなんですね。いろいろすみませんでした。苦笑