モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子どもから教わる関わり方

先日、民間の子育て支援団体の保育ボランティアに伺ったときのこと。

そこでは保護者の方が子育てのお悩みを相談員さんに相談する間、お子さんを保育ボランティアが預かる形をとっています。その悩み相談の1,2時間程度の間、お子さんはお母さんから離れて過ごします。
当然、別れ始めはお子さんが泣いてしまいます。

保育ボランティアには、子育て経験者の方や、私のような保育現場経験者が多いのですが
それでも私のような若輩者ですら、その関わり方に(あれ…?)と感じてしまうことが少なくないんですね。

ざっくり言うと、
「泣き止ませること自体にフォーカスしすぎて、
結果泣き止まない」
という印象を受けてしまうんです、残念ながら。

でも私はボランティアの中でも子育て経験がなく若い方なので、その方たちに直接はいろいろ言えない(言っても生意気だと反発される可能性が高い)部分もあり、
またお預かりするお子さんが多いときには全員を見ることはできないので
せめて自分が関われる数人のお子さんだけでも…と思い、あかねやモンテッソーリ教師養成センターで教わったことを思い出しながら関わるようにしてるんですが

ほんとにありがたいことに、子育て経験がない若輩者の私ですら、関わったお子さんの大半が、お母さんのもとに戻る頃には笑顔になるんですね。早い子だと10~20分くらいで、一人で遊び始められるんです。
モンテッソーリさんありがとう…(T-T) 
という感じです、毎回。

そしてその様子を見ていた先輩ボランティアさんたちが、
「こういうときはどうするの?」
と聞いてきてくれたり、
「勉強になるわぁ~ また来て教えてね!」
と(恐らく社交辞令ではなく心からの笑顔で)言ってくれたりするので、こちらもあぁよかったなぁ…また来よう、と思えるのです。

この
子どもが泣き止んで笑顔になるまでの体験
を、今日は綴ってみます。

(ただ、モンテッソーリで教わったことを元にしているとは言え、独学で勉強中のところも多々ありますので、間違いや付け足しがありましたらお伝え頂ければと思います>モンテッソーリ関係者の方々)


********

①子どもの気持ちを言葉にして受け止める

まずお預かりする上で、
どんなに小さな赤ちゃんにも
いつも一緒にいるお母さんから離れる、いつもの場所じゃない、知らない人に抱っこされている、
など不安を抱える原因はいっぱいあります。

赤ちゃんの3大欲求
「お腹すいた、眠い、オムツ替えて」
に応えるのは大前提として
それ以外の泣きの原因のひとつがこの「不安感」なので、ここに「安心感」で応える努力をします。


お預かりしたら、泣いているお子さんの持つ不安を、こちらが代わりに言葉にして出してあげます。

「お母さんと離れてイヤだよね、
お母さんがいいよね、お母さん好きなんだもんね」

するとどんなに小さな、まだお話なんて到底できない子でも、言葉にして気持ちを発すると、一瞬こっちを見ます。
その表情が
(あれ…?
 この人、もしかして分かってくれてる…?)
と言っているような気がするんです。まぁ気のせいかもしれませんが。


②「安心してね」というこちらの気持ちを全身で伝える

そこからお子さんとのコミュニケーションが始まります。
もちろん、一瞬見たあと、
(でもやっぱりイヤだ、この人お母さんじゃない)
とばかりにまた泣き出すので

大丈夫だよ
お母さんはお話が終わったら必ずお迎えに来るからね
それまで一緒に待っていようね
ここにいる大人の人がお母さんの代わりになるからね
大丈夫だよ、安心してね

ということを、“全身で”伝えます。
まだ話せない子にも言葉でちゃんと伝えますし、
全身からもこの「大丈夫よ、安心してね」オーラをフルに出すよう努めます。

泣いていることに気をとられて焦ってしまうと、この「安心してねオーラ」が出にくくなるので、とにかくこちらは笑顔で落ち着いて対応するようにしています。

「泣き止まないとお母さん来ないよ」
は、逆効果です。ダメ、絶対。よけい泣くから…。
ただの脅しですってばそれ…こわいから。ね。
子どもから見たら、ヤ○ザかなと。
普通に言う人けっこういてビックリするんですけどね。
これが私の思う「泣き止ませることにフォーカスし過ぎた」行動のひとつです。
そこはもう生意気で申し訳ないですけど、
「泣き止まないとお母…」
「大丈夫だよ~終わったらお母さん来るから!」
と被せるように、かき消すように伝えてます(苦笑)


その「安心感」を全身及び言葉で出し続けてコミュニケーションをとろうとこちらが努力していると、お子さんの泣きの間隔が少しずつ空いてくるんです。
こちらの安心オーラを吸収して少し落ち着き、でもこちらの顔を見ては(ちがう!)とまたお母さんを思い出して泣く、その繰り返しの間隔が、徐々に長くなってきます。

そうしたら、次の段階に移ります。


③子どもの発達段階に合うおもちゃや活動を探す

その子の発達に合った、その子が興味を示しそうなものを近くに持ってきて、遊ぼうと誘いかけます。

お母さんがいないことを束の間忘れてしまうくらい興味を示して夢中になれるものごとが、どの時期のお子さんにも必ず一つはあるんです。これを知っているのは、ハッキリ言って強みです。

また、不安以外にも、「不自由」「退屈」も泣きの原因になります。
いくら泣いているからといって、ずっと抱っこされっぱなしじゃ子どもも不自由で退屈でイヤなわけです。

なので子どもが自由に活動できて楽しい刺激を受けられるように、
少し落ち着いてきた、泣きの間隔が空いてきたところを見計らって「強い興味を示す、夢中になれるもの」を一緒に探します。

その目安になるのが子どもの発達段階。

発達段階を見る目安にしているのは、月齢や年齢もですが、それ以外に

【その子の身体が今何をどこまでできて、
 次にどんなことをしたいと求めているか】

を観察して見極めるところを、むしろ重視するようにしています。

一口に子ども/赤ちゃんと言っても
最初の1年間だけでも、

まだお座りができない、横になっている子
お座りができて、上半身が自由に動かせる子
つかまり立ちしそうな子、つかまり立ちする子
つかまり歩きしようとしている子
自力で歩けるようになった子

それぞれの段階でできること、求めることが変わってくるので、当然興味を示すものも変わってきます。

例えば、まだお座りができない、でも手や腕は動かせる子にピッタリの、素敵ながらがらのおもちゃ。

お座り前の子にとっては、自分の腕や手を動かすことで音がなることが面白くて楽しくてしょうがないのですが、
もうそこを卒業して、今はつかまり立ちしたいという子には、残念ながらもうあまり用のない、魅力のないものになります。

むしろ、つかまり立ちができる低い家具や段差、つかまれる手すりなどが、その子のその時のいちばんのおもちゃになります。

これは決して、がらがらの存在を否定しているのではなく、どんなものでも、どんな活動でも、その時だけにピッタリという旬があって、そこを過ぎてしまうともうピッタリではなくなってしまうということです。


歩けるようになった以降の子に関しては
【手】を中心に観察します。

その子の手が、今どんなことができて、
次にどんなことをしたいと求めているか

を観察して見極め、それぞれのニーズに合ったものを提供するよう心がけます。


最近、2~4歳のお子さんにヒットしたおもちゃ(?)のひとつがこれです。

f:id:montessorilover:20151214143810j:plain

モールにビーズを通す、ただそれだけなんですが
紐通しやビーズ通しなど、「穴に通す」ことが大好きで繰り返したい時期があるんですね。

最近の保育現場で観察した印象では、このモールを使ったビーズ通しは、2歳半~3歳半頃のお子さんがピッタリのようでした。

2歳になりたてのお子さんと一緒にやったときは、ビーズの穴にモールを入れる最初の所が難しかったのでそこだけ手伝いました。あとは「自分で!」通しました。それでも数粒、手伝ってもらいながら通したら満足して、輪っかにしておしまい。

2~3歳の子は、自分で穴に入れられて通すことができ、それをひたすら繰り返し、長いお子さんは1時間以上、ずぅっと集中してやっていました。

4歳のお子さんも好んでやったのですが、2歳半~3歳半のお子さんと決定的に違ったのは、

4歳のお子さんは「所有欲」が出てくるんですね。
できあがったものが欲しいんです。
もちろん、私物で用意していったものなので喜んであげましたが。

それに対して、2歳半~3歳半のお子さんは
「作業欲」の方が強くて
できあがったもの自体にはさほど興味がないんです。

最後の方、ビーズが足りなくなったときに、できあがったものを一度ほどいて、もう一度通して…
と、同じモールとビーズで「何度も繰り返し」通す作業を楽しんでいたのはこの年齢層の子達でした。おもしろい。


この「何度でも、繰り返ししたいこと」が、そのお子さんにとってその時ピッタリの活動です。

ピッタリの活動に出会えることほど、子どもにとって幸せなことはありません。このピッタリの活動を集中して繰り返している間、子どもは「自分を作っている」からです。(ここについては後日詳しく説明させて下さい。)


お母さんがいないことを一時忘れて夢中になるほどの作業欲を掻き立てるものを、お子さんと一緒に見つけられるというのがまた、モンテッソーリのおもしろいところだなぁ…と感じています。


こうやって、お子さんが各々にピッタリの活動をしている間に、涙が止まり、笑顔になります。

そうすると次第に、別のおもちゃで遊び始めたり、他のお子さんがしている活動に興味を示したり、お子さん同士で一緒に遊び始めたりできるようになります。

そうやって楽しく過ごしていて、気づいたらお母さんがお迎えにきていた…というのが、お子さんにとってもお母さんにとっても、保育者にとっても心穏やかなお預かりの時間になるなぁと心底感じます。

(実際、そうなったから、年配の方もいろいろ聞いてきてくれたのかなと思います。)

******

まとめ

①子どもの気持ちを言葉にして受けとめる
②大人側が安心感を与え続ける
③子どもをよく観察して、子ども自身が強い興味を示すものや活動を探す

の流れで、子どもが泣き止んで笑顔になる確率がかなり高い
というのが実感としてあります。
(もちろん100%うまくはいきませんが)

①、②は子どもと大人の信頼関係を築き、子どもが安心感を得るために
③は、子どもが大人から離れて「自分で」活動するために
それぞれ必要なことです。

③がモンテッソーリの醍醐味だと思うのです。泣き止んで笑顔になるたけでなく、「よりよい人格を作る」ところに繋がっていくので。
ほんと、面白いです。目の前の子どもから教わることがいっぱいあります。


何が何でも子どもを泣き止ませたい!
という大人側の感覚を押しつけて接するよりも

何で子どもが泣いているのか
そこに注目して原因を探り、
子どもの気持ちに寄り添いながらその原因を取り除く努力をし、
さらに子どもが自分で活動できるようお手伝いする

という「子どもから教わる」スタンスの方が、
結果的に子どもが泣き止んで楽しく過ごせると感じます。

その結果、こちらも心穏やかに過ごせます。
(ここもまた大事、笑)

短い保育時間でも、初めて会うお子さんとでも、常に「子どもから教わる」姿勢を忘れずにいたら、子どもが泣くことはそんなに恐れることじゃないな…と思えます。