モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

Q. 4歳半 急に不安定になって荒れています

※前回のご質問にお答えしている途中なのですが
緊急性が高いと思われる内容のご相談が来ているので
先にそちらにお答えさせて頂きます。
前回のご質問者様には申し訳ありませんが
ご理解いただけますと幸いです。
(そちらも必ずお答えしますので、しばしお待ちを…)


【ご相談 4歳半 男の子】

0〜3歳コースを終え、
そのアウトプットという形で質問を受け付けている
ということは承知しておりますが、
4歳の息子のことで今本当に悩んでいるので、
図々しくも相談させてください。


4歳5ヶ月・幼稚園新年中の息子が、
ひと月半程前から急に荒れだしました。
元々は穏やかな性格の子どもです。

まず表面に現れたのが、癇癪です。

その日はこどものいえ(習い事)の日。
幼稚園バスを降りて
「今日はこどものいえだから帰ろう」
と私が言うと
モンテッソーリなんか大嫌い」
とぎゃーっ。

癇癪、2歳代にはあったものの
最近は見ることのなかったその姿に少し驚きながらも、
疲れて眠いのだろう、
若しくはお友達と遊んで帰りたかったのだろう、
とその時は深刻には捉えていませんでした。

しかし、それが何週か続き、
本当に行きたくないのだとわかりました。

息子に理由を聞くと
「ママが夕方に迎えにくるのが嫌。
 もっと早く迎えにきて欲しい」
とのことでした。


こどものいえの先生に相談すると
「本当の理由はそこではない気がするんですよね」と。

2歳半から通いだしたこどものいえ、
未収園児の頃は自分で選べることが楽しく、
生き生きとした表情を見せてくれていました。

しかし、3〜6歳クラスに上がり、
息子のクラスは全員年少さんで同年齢だからと、
先生が用意してくださったおしごとを集団でやるように変わりました。

それからと言うもの
「自分のやりたいおしごとができなかった」
と呟くこともありましたし、
迎えに行くと無気力なボーっとした表情をしていることも気がかりでした。

しかし、私が感じることよりも、
先生の方が正しいはずだと
見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきました。

そういったことを控えめに(笑)
先生にお伝えすると

「私たちも、なんというか、
 お友達に圧倒されているなとは感じていました。
 そこが〇〇くんの頑張りどころでもあったんですが。
 けれど、お教室が嫌となってしまうと本末転倒ですから」

と、すぐに年少〜年長さんまでが在籍している
別の曜日へと変更して下さいました。

正直なところ、今も行く前はひどく嫌がりますが、
迎えに行くと少し笑顔が見られるようになってきました。


(後にわかったのですが、
夜に口笛を吹いていた夫に
「夜に口笛吹くと狼か何かが来るって言われなかった?」
と私が言ったため、
息子は暗くなり始める夕方を怖がっていたようです。

それ以前に幼稚園で、
三匹のこぶた、狼と7匹の子ヤギ、赤ずきんちゃんといった
狼が出てくる物語を題材にして作品展を行ったのですが、
物語に出てくる狼に恐怖を抱いていたようで
「狼が怖い」と何度か言っていました。

余談ですが、
私も小学生時代にスーホの白い馬という物語を教科書で読み、
死んだ生き物、しかも親友を楽器にするということへの
気持ち悪さというか、剥製に対して抱く恐怖に似た気持ちで、
夜眠れなくなったり、
その後数年間お肉が食べられなくなったり、
といったことがあったので、
こんなことくらいでとは思えません)


これで事件解決(笑)かと思いきや、
それ以降、他の面でも異変が見られるようになりました。

具体的には

頻繁に癇癪を起こすようになった

どんな時に癇癪を起こすのか観察してみると、

間違えたときや失敗したとき、
またそれを指摘されたとき。
自分の方が劣っていると感じたとき。

夕方の、疲れや眠気が出てくる時間帯が多いです。

例えば「ママ、一緒にお絵描きしよう」
と息子に誘われて一緒に絵を描くと
「ママの方が上手。もうヤダ!!!
 お絵描きなんてしない!!!」
とぎゃーっと怒ってお道具を乱暴に扱ったり、
私が描いた絵を破ってぐちゃぐちゃにしたり、
別の部屋に行ってしまったり、といった具合です。

「ママなんか大嫌い」と言ったり、
私を叩くこともあります。
ちなみに「大嫌い」と言われて
「そうなんだ〜」と返したら
「本当はママのこと大好きなのに、
 お口が勝手に言っちゃうの」と、
息子自身が感情をコントロールできず苦しんでいるように感じました。


・間違えるのが嫌で最初からやらない

・人のせいにするようになった
 うまくいかなかったときや、失敗したときは
「ママが喋ってたから!」と人のせいにするようになった。
 失敗を絶対に認めない。

・自宅にいるときは「ママ、ママ」と四六時中私を求め、
常に抱っこや膝の上に座りたがるようになった

・テレビばかり観たがるようになった

これに関しては、
恐らくテレビは受動的で自分が間違えたり失敗することがないため、
今の息子には心地よく感じているのではないかな?と思います。
しかし、ぽかーんと口を開けて画面を観ている姿を見ると、
なんか違うよなあと思ってしまいます。

・片付けができなくなった
工作が好きなのですが、お道具が使いっぱなしのままになっている。
以前は、ハサミは危ないからと、
自ら逐一蓋を閉めてケースに置きに行っていたのに、
刃が開いたまま床に置いてあることも。

・集中力がなくなった
今まで1時間でも2時間でもお絵描きや工作に興じていたのが、
5〜10分程度しか集中していられなくなった。
「ネックレス作る」と始めたビーズも6個通したところで
「やっぱりテレビ観たい」と。
また、食事中も出歩いたり、私の膝に座りに来たりと、
じっとしていられなくなった。

・着替えやトイレを手伝って欲しがるようになった
今まで一人でできていたことが、
できなくなったというか、やってほしがるようになった。
私が手伝わないと「ママがお世話してくれない」と不満を言う。

・汚い言葉を使うようになった
「ばか」「デブ」「ばばあ」といった言葉を言うようになった。
幼稚園のお友達が言っていたことを真似ているようです。

その他にも、
順番に並ぶ際に割り込むようになった、
気に入らないことがあると「ママが叩いた」「ママが殺した」というような嘘をつくetc...
こういったことが目につくようになりました。

幼稚園にお迎えに行った際、
先生に園で変わった様子はないかと伺ってみると

「最近自分を出せるようになって
 お友達とおもちゃの取り合いをすることなんかもあるので
 そのストレスをお家で発散しているのかな〜」

とのことでした。

息子の通う幼稚園は、
いわゆるのびのび系で体を動かすことが多い園です。
運動があまり得意ではない息子は
〝できなかった〟を体験することが多いように感じます。

整列するときは、早いもの順。
小柄で、のんびりしている息子は常に後ろの方になってしまいます。

給食も食べ終わった人から遊べるそうなのですが、
食が細い息子は遊ぶ時間がないこともしばしば。

4歳という年齢、
息子だけでなく周りのお友達を見ていても
心がぐんと成長しているのを感じます。

その成長の過程で起きていることなのか、
ストレスから来ているものなのか、
ストレスから来ているのであれば
どう対応したら良いのかと日々悩んでいます。

ストレスとして考えられるのは

・パパとの時間が少ないこと

夫は平日休みで、息子が幼稚園に行きだしてからは
一緒に過ごす時間がぐっと減りました。
特に息子に異変が起きる前の1ヶ月ほどは、
夫の仕事が忙しい且つ、
息子が早バスだったため、
寝ているパパに
「行ってきます」
と声をかけるのみの関わりしかありませんでした。


・引越しの話をしてしまった

すぐにではないのですが、
一年後くらいに引越しの予定があります。
その話を息子の前でしてしまったため
「このお家とバイバイするの悲しい」
と、しきりに言ったり、泣いたりするようになりました。


・進級への不安

年中さんになることをひどく嫌がり、
ずっと年少さんがいいと言っています。
先生が怖いかもしれない、
仲良しのお友達と離れたくない、と言います。


HSC(人一倍敏感な子ども)という性質があることを知り、
息子にかなり当てはまっているため、
そのせいなのかな?とも思います。

夫からは
「ママは気にしすぎ。
 子どもなんだから(息子の行動や態度について)そんなもんでしょ」
と言われましたが…。

周りのお母さんたちからは、息子について
「穏やかだよね」「しっかりしてるよね」
「賢いよね」「育てやすい子だよね」
と言われることが多く、
大人から見ていい子と思われるようなタイプで、
今までがいい子すぎておかしかったのかもしれない、
本当は無理していたのかもしれない、
これくらいが正常なのかも!?
という気もしてきました。
考えすぎて、自分でも余計にわからなくなってきています。

私自身は怒りっぽい母に育てられられました。
(今にして思えば、義両親との同居のストレス、
 甲状腺ホルモンの病気だったので、その影響もあったのだろうと思います)

習い事も全て母が決めたもの、
自らやりたいといったことは即却下され、
「あなたは私がいなきゃ何もできない」と、
自分でやる機会を与えてもらえず、
母が何でも先回りしてやってしまいました。

次第に、自分の意見を言っても怒られ、
強い力でねじ伏せられるので、
逆らうだけ無駄と諦めるようになっていきました。

高校生になると、
いじめられていたわけでもなく友達もいた、
勉強に追いつけなかったわけでもない、
それなのにいつも無気力で、
どこにいても誰といても
自分の居場所ではないような違和感を感じて、
休みがちになっていきました。

その後のことは割愛しますが。笑
言うまでもなく自立できていない大人になりました。

だからこそ、母のような子育てだけはしないように、
と気をつけていたつもりでしたが、
強く意識していないと、
息子に対し、あの頃の母とそっくりな物言いをしている自分にぞっとします。
それも息子の自己肯定感を低くしてしまっている原因なのかな、
と落ち込みます。

と、うまくまとめることができず、とてつもなく長文になってしまいましたが
(もはや何が相談なのかもわからなくなってきました)、
一番はどうにか息子を安心させてあげたいなというところです。
どうかお力をお貸しください。 お忙しいとは存じますが、よろしくお願い致します。


【回答】

お子さんに、環境が合っていないのではないか

というのが、最初に感じたことです。


文章を拝読させて頂いた限り、
今のお子さんにとっては
習い事のこどものいえも、幼稚園も
ありのままの自分を受け入れてもらえる
安心して過ごせる場所ではなく、

挙げられた気になる言動の大半は
自立の前の、安心という土台が揺らいでいるが故の
「居心地が悪いよ、助けてよ」
という、お子さんからのSOSなのではないか

ということを感じました。


なので、私の回答としましては

「まずはお子さんが安心して過ごせる
『安全地帯』としての環境を確保する」

ことが、最優先事項になります。



ここからは、
私がこのお母様の立場だったらどうするかな…
という目線で、書かせて頂きます。
(なので、普段よりはズバズバ書いてしまうかもしれません)


すぐにできることと
長期的に様子を見ながらしていけること、
大きく分けて二種類ありますので

まずはすぐに取りかかれることから。


・環境① こどものいえ

>3〜6歳クラスに上がり、
 息子のクラスは全員年少さんで同年齢だからと、
 先生が用意して下さったおしごとを
 集団でやるように変わりました。


これがもうね、
意味わからないんですよ私には。
(お察しの方もいらっしゃるかもしれませんが
 少し怒ってます。怒ってますよ~)


同じことを一斉にさせる時点で
ぜんっぜんモンテッソーリじゃないんですよ。
相談者様も違和感持っていらしたみたいですが。。。


しつこいようですが、大事なことなので何度も言います。


子どもひとりひとりの発達を
それぞれのペースに合わせて援助する
のがモンテッソーリ教師の役割
です。

確かに、3歳以上になると
小さなグループで一緒に活動することはありますが、
それだって「やりたい!」と集まってきた数人で一緒にやる活動です。
全員が同じ活動を一斉にすることは、ほぼありません。

特に、習い事としての
1週間に1回のモンテッソーリ活動ならなおさら
個人の発達のペースや興味が尊重されてしかるべきです。
(一斉活動は他の所でいくらでも体験できるので)


同じことを一斉にさせて
それがおしごとだと勘違いしているのなら
モンテッソーリの理解がかなり浅いか
かなり間違えて理解しているんだと思うのです。

もしくは、分かっているけど
一斉に教えちゃう方が楽だから
または
一斉活動も大事だから
という理由なら、
モンテッソーリ教師としての役割は
放棄していることになります。


どっちにしろ、お子さんにとっては
やりたいことを選べない、
やりたくないことをさせられる
という、楽しさも興味も選べる自由も何もない
単に、大人がさせたいことの押しつけ
になってしまっています。


で、それに対する先生のコメントも
何とも的外れというか、
頑張るのは子どもの方じゃなくて、あなたたちでしょーが!!!
という感じなのがまた。。。
(ごめんなさいね怒りのあまり言葉が荒くなってしまって)


>「自分のやりたいおしごとができなかった」
 と呟くこともありましたし、
 迎えに行くと無気力なボーっとした表情をしていることも気がかりでした。


このお子さんの様子の変化に
先生が気づけていないのが一番残念です。


私が見てきた子どもたちは
保護者の方がお迎えに来ても
「今(お仕事)やってるから終わるまで待ってて!←必死」
という子たちばかりだったので…


だから私なら、さっさとやめますこんなとこ(笑)
こんなんで謳うなよモンテッソーリを…怒 という思いもあります。



ただ、この「やめる」判断は
私自身がモンテッソーリ教師だからこそ
できることだとも思うのです。

だから「やめなよそんなとこ!」
と乱暴に言い放って終わり、では
これまた無責任だな、ということも感じています。


実際、ご相談したら
クラスを変えて下さったという
柔軟(ていうのか?)な面もあるとのことなので


改めて、ご相談という形で

「子どもが最近これこれこういう様子で心配なので
 教室での様子を、子どもが気づかないように
 陰から見せて頂くことはできますか。
 私自身も、安心できるかもしれませんので」

というお願いはさせてもらうと思います。


もしかしたら、お断りされるかもしれません。


でも、実はここが
子どもにとって居心地のいい場所かどうかを知るための
ひとつの指標でもあると思っています。


どういうことかというと、

「いつでも見て下さい
 気がついたことがあったら何でも言ってください」

という、
大人がオープンなところは
子どもにとって居心地のいい場所であることが多い
のです。


大人の側に、
やましいとは言わないまでも
あまり見せたくない、隠したいと感じていることがなく、
弱点は見せられないという変なプライドがないからです。


本当の意味で
子どものニーズに応えようとしている先生ほど
自分の弱みも客観的に省みて
分析できる力があります。
そうしないと、子どものニーズに応えられないからです。


自分の弱みを分かっていて、でも隠そうとしない。
「私は先生だから」とエラそうにしない。
「先生はこれが苦手だから今がんばってるところなんだ」
と素直にさらけ出せる。
もしくは、少し適当なところがあっても
それもひっくるめてみてもらって大丈夫、
だってそれが私だから、
と、大人がまず自分を受け入れている。

オープンであるということは
弱みもひっくるめて自分を受け入れているということです。

こういう先生は
子どものありのままを受け入れてくれます。
だから子どもが安心できるのです。


見学を断るというのは
その時点で、見せたくないことがあるか
見られると何か不都合なことがあるか
見てもらうほど自分がちゃんとできていないと感じているか
という可能性がないとは言いきれません。


閉鎖的な空間では、オープンな空間よりも
そこにいる大人がお山の大将になりがちです。
そうなると
大人が主体、
子どもは大人の言うことを聞いていればいい脇役的存在になる可能性が高くなります。


先日、見学に行った小学校は
教室と廊下の間の壁とドアがない
文字通りオープンな空間でした。

便宜上、クラスを仕切る壁はありますが
それ以外は全部筒抜けで
廊下側から見ていた私の姿も丸見え、
隣のクラスの声もよく聞こえます(笑)

そのオープンな教室では
先生と生徒がとてもフラットな関係で
言いたいことを言いたい人が言いたいときに言う
でもちゃんと授業として成り立っている
何とも言えない、不思議な光景が広がっていました。

意見を言っていなかった子どもたちも
皆それぞれ、自分の居場所があるような
安心したような表情に見えました。

実際、それだけオープンだと
クラスで起きた問題を隠すこともできず
担任以外のいろんな大人や子どもが
その問題について心配したり、声をかけてくれたりして
担任ひとりが問題を抱えることはほとんどなくなった。
だから子どもの問題一つ一つに向き合えるし
解決も早い。
と案内して下さった先生が仰っていました。


話が逸れましたが
こどものいえで
お子さんがどのように過ごしているかを
見学させてもらえるよう、お願いしてみることで
その習い事自体を続けるかどうかを判断する材料になるのではないか
というのが私個人の考えです。


そして見学させて頂けるなら
お子さんを主語にして
お子さんの今の状態や、困ったことについて
話し合えるのではないか

とも感じます。


逆に、見学をお断りされたり
話し合ってみても、どうも噛み合わない
と感じるようなら、


子どもが安心できる居場所ではないな
と判断して
いったんここは離れます(私なら)。


今、事実としてあるのは
お子さんが不安定な状態にあるということ、
それに対して、お母さまも困っているということ
この2つです。


ここを、お母さまの方から少し勇気を出してオープンにしてみて、
どのようにしていくのがお子さんにとってベターなのか、
子どもを軸に据えて話し合える大人を探すことが
取り急ぎ、すぐにできることなのではないでしょうか。



こどものいえの話だけで
だいぶ長くなってしまいましたので
いったんここで投稿して、
また続きを書かせて頂きます。
特に幼稚園に関しては、習い事と違って毎日行くところなので…