モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

子どもの望ましくない行動と、大人を切り離して考える

前回、「次回はこれ↑について書きます!」と断言して早云ヶ月。
時の流れって残酷。。。
結果、いつも予告詐欺う~~~すみませんすみません。。。


「0~3歳の子どもの、望ましくない行動と
大人を切り離して考える」

これには、段階が2つあると私は思ってます。

第1段階は、
目の前の、もう何をどうやっても
どうしても言うことを聞かない、
かんしゃくを起こしている子どもに対して

「この子は、私とは違う、別の人間だ」

という、当たり前だけど忘れがちな事実を受け入れること。

強い責任感や世間体からくる感情だと思うのですが
私の子ども、だから言うことを聞かせなきゃ!とか、
私のクラスの子ども、だから言うことを聞かせなきゃ!
ということではなく


私ではない、違う人間だから
私とは違う感じ方、考え方をする、
私と違う意志がある
まったく別の人間だという
基本的な気持ちに立ち返る。


これができると
どうしても言うことを聞いてもらいたい!
という大人側の意固地な気持ちが
少し和らぐかもしれません。
目の前の子どもをコントロールしよう!
という気持ちを
少し手放せるかもしれません。

そしてふと、冷静になったときに
「私の言う通りにしなさい」というのは
おこがましいくらいのことに感じるかもしれません。


でもここで終わってしまっては
単なる「放任」になってしまいます^^;
子どもの存在を尊重するあまり
子どもの良くない行動を放任してしまうのは、また違うと思うのです。


目の前の子どもを、個の人間としてとらえて、尊重するのが
「子どもの望ましくない行動と
大人を切り離して考える」第1段階
だとすると、

第2段階は、
目の前の子どもを
自分とは異なるひとりの人間として受け入れたうえで

「それでも、一緒に生きていくためには
どうしてもできないことがあるんだよ」

という生きていくうえで必要な【制限】を、淡々と伝えること。

この制限は、
①自分を傷つけない
②人を傷つけない
③物を傷つけない

という、人として生きていくために最低限必要なもの。

車が多い通りを歩くときは、つないだ手を離さない。
車道に飛び出さない。
エスカレーターやエレベーターで遊ばない。
お店の中を走り回らない。

お友達の使っている物は取らない。
人をたたいたり蹴ったり噛んだりしない。
気持ちを傷つけることを言わないようにする。

お店のものを勝手にさわらない。
物をわざと投げたり落としたり壊したりしない。

家庭でも、公共の場でも
人の間で、人と共に生きていくためには
さまざまな制限があります。


子どもがどんなに泣いてもわめいても暴れても、
その制限を
「やりたいんだね、わかった。でもね、できないんだよ」
と淡々と伝え続けることが
「子どもの望ましくない行動と、大人を切り離して考えた」上で必要な2段階目の行動です。

 
この制限は、第1段階が抜けてしまって
子どもに言うことを聞かせよう!という気持ちが強くなりすぎると
単なる「罰」になりがちです。

第1段階の「人として尊重する気持ち、相手への愛」
があってこそ
この第2段階の【制限】が生きます。


第1段階:目の前の子どもは自分ではない。全く別の人間として、尊重する。
第2段階:そのうえで、愛を持って制限を伝え続ける。

・・・難しいんですけどね。
何が難しいって、自分の揺れる感情を一定のところに保つのが。

でも自分の気持ちの整理のためにも
書き残しておきます。
(たまに読み直そう…)