モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

モンテッソーリは子どもに仕事を「させる」という誤解

モンテッソーリって、子どもにお仕事させるんでしょ?」

と直接言われたり、
ネットでの書きこみを見たりするたびに
あぁまた誤解されてる…
ともどかしい気持ちになります。


おそらく、このセリフには

仕事=やりたくなくてもやらなきゃいけないノルマ

という、仕事に対するネガティブな印象が含まれています。
だから
子どもにお仕事を「させる」
という強制的なニュアンスを含んだ表現になるんだと思うのです。

まずこの「仕事」という言葉の意味合いが違っていて、誤解はそこから生まれているんじゃないかと感じたので
そこを書いておきたいと思うのが今回の記事です。


子どもの仕事とは、
手や体を使って、自分の人格を作っていく活動です。

子どもの人格形成に関わる活動は
敏感期に代表される子どもの内側からの欲求に沿うもの、つまり
子ども自身がやりたいこととイコールです。


子どもに人気のあるお仕事のひとつ、
お洗濯を例に考えてみます。

平成のデジタル全開のこの時代に、
あえて洗濯板とせっけんとたらいを使った
昭和でアナログな洗濯方法が
子どもたちにとってはとても魅力的なのです。

バケツで水を運び、たらいに入れて
洗濯物をしめらせ、洗濯板の上に洗濯物を置き、
石鹸を泡立てて、ごしごしと洗い
水の中で泡を落とし、水を替えてすすぎ、
水気を絞って広げて干す。

全部、自分の手と体を使ってすることです。

「バケツの水を運ぶ」は全身運動で
運動の敏感期の欲求を満たしてくれますし、

montessorilover.hatenadiary.jp

「石鹸を泡立てる、洗う、すすぐ、しぼる、干す」
などの一連の流れは主に手や腕を使う運動で、
手を使う旬の時期の欲求を満たしてくれるものです。

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(この「運動の敏感期」の中に「手を使う微細運動」が含まれるというカテゴリの分け方もあります。というかそっちが主流かな?ま、これは解釈しやすいようにカテゴリ分けしてもらえれば何でもいいと思っている雑なモンテッソーリ教師w
とにかくどちらも、子どもが自分を発達させるために求めるものというところがポイント)


また、これらの活動の中で
水の感触や温度、石鹸の香り、
石鹸が泡立つ様子や
水に入れると泡が消えてせっけんカスができるところ、
汚れが落ちて水にうつり、水のほうが濁る過程など、
たくさんのことを五感を通して感じ取ることができます。
これは感覚の敏感期の欲求を満たすものです。

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この時期に感覚を通して感じえたものが
知性の土台にもなります。

「石鹸で汚れが落ちた」
という感覚的体験が
「どうして石鹸で汚れが落ちるのか」
という疑問に変わり
その仕組みを解明したり研究したり、といった
知性の発達につながっていくということです。


他にも、これらの活動を通して
「せっけん」「みず」「バケツ」「タオル」「せんたくばさみ」
などの物の名前を習得したり
(言語の敏感期)

水の量はどのくらいがちょうどいいか、
石鹸をこすりつけるのは何回くらいがちょうどいいか、
何回すすぐと石鹸のぬるぬる感がなくなるか、
などの数的な感覚の土台をも身につけていきます。
(数の敏感期)


このように、洗濯ひとつとっても
子どもが自分を発達させるために
本能的に望んでいることを満たす要素
が満載なのです。

私が
(あぁ洗濯たまってる…やらなきゃ…)
と感じる、後ろ向きな洗濯とは大違いなのです。笑


大事なことなんでもう一回言うと

子どもの仕事=子どもがやりたいこと、その活動を通して子ども自身が成長するもの

です。


いや~書いててめっちゃうらやましくなった。笑


最初、「子どもの仕事と大人の仕事は違う」
というタイトルにしてましたが
できれば大人の仕事の方も、
本人がやりたいことでその仕事を通して自分が成長するもの
だと人生楽しいだろうな~
そういう仕事のしかたができるように努力してみよう
と思えたので変えてみました。