モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

トイレのこと 排泄の自立と生活のかかわり

もうすぐ3歳のHくん。
1か月ほど前からおむつをやめて、トイレの練習中です。

最初は喜んでトイレに行っていたのですが
このところ、トイレに誘うといやがるように。
結果おもらしが増えています。


それと同時に、問題行動が増えてきました。
おもちゃを投げたり、机に乗ったり
机の上のものを落としたり。

先日は、全員分のおやつがのったお盆を
床にバーン!と落とし
その場に居合わせた人みんな、凍りついたそうです。
(さいわいおやつは無事だったそうですが)

その結果、よく怒られるようになりました。
でも怒られても、目を合わせようとせず
へらへらしています。


これらの問題行動は
排泄のこと~トイレがうまくいかず
おもらしが増えていること~と関係がある
んじゃないかな、と。

一見、何の関係もないように見えますが。



Hくんがトイレで何度か成功
→トイレですることを当たり前のこととして大人から求められるようになる
→失敗(おもらし)すると、「あ~あ」と責められるようになる
→トイレに行くことがプレッシャーになる
→トイレに行くのが嫌になり、結果おもらし、また責められる
→失敗=怒られる、自分は条件付きで愛されていると認識、Hくんの自己肯定感が下がる
自分という存在を【無条件で】認めてほしいと願うようになる
→「こんなことをしても、僕のこと受け入れてくれる?」=問題行動


Hくんはまだ3歳前なので
これらのことを頭で考えてやっているわけではありません。
無意識の心の働きが、結果として問題行動に出ているように見えます。

誰がどう見ても、
「してはいけないことだと分かっていて、わざとやっている」
のです。
机に乗るにしろ、物を投げるにしろ。


そしておもらしをすると必ず
「…ほんとはトイレでしたいんだよ~」
と泣きそうになりながら言うのです。

直前までトイレに行きたがらず、
違うところをウロウロしていたにもかかわらず。



大人が心がけたいこととしては、

・おもらしをしても、責めない

「あ~あ」って傷つくんだな、と改めて感じました。
言いそうになったら飲み込む。
「濡れちゃったね、着替えましょうね」
と自然に誘う。おもらし=悪いことというイメージを消す。
大人の手間は確かにかかるけど、今だけと思ってやり過ごす。
(かなり自分に言い聞かせてます)


・あくまでも自然に明るくトイレに誘う

「トイレに行かなきゃ、遊べないよ!」
みたいな脅しではなく
「トイレの時間だよ~」
と自然な流れとして、さりげなく誘う。


問題行動は止めるけど、人格は否定しない

これが一番大事だと思います。


私はあかねの園長先生の真似をして
「いいのいいの、そんなことしなくても、
ちゃんとあなたのこと見てるし、あなたのこと大好きだから
そんなことしなくていいの」
と抱きしめるように止めています。

「ダメなことはダメ!」
という強い姿勢が必要なのは
その子がダメなことをわかっていないときであって

わかっていて敢えてやっている場合は
自己評価が下がっていて、無償の愛を求めていることが多いので
「人格を否定しない」ことを特に気を付けて
愛をもって止めることが、大人に求められるんだなぁと
園長先生のやりかたを見ていて感じました。

そして今、Hくんにはそのやりかたが必要なんじゃないかなと感じています。


トイレの練習中は
「早くトイレでできるようになってほしい!」
という大人側の要求が
子どもにとっては想像以上にプレッシャーなんですね。

トイレでおしっこをするというのは

・おしっこをためられるようになる
・おしっこに行きたいということが感じられるようになる
・おしっこに行きたくなったらトイレに向かう

などの条件がそろって初めてできることなので
できなくて当たり前、できたらとても嬉しいこととして
大人も気負わずにトイレの練習ができたらいいのかな、
とHくんを通して学んでいる次第です。