モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

1,2歳児クラスの身支度

4月ももう半ば過ぎ(早!)
新入園児さんたち、親御さんと離れるときに泣きながらも、毎日頑張っていることかと思います。
親御さんも保育者もふん張りどころですね。


お別れが少しスムーズになってきた頃に始まるのが
自分で身支度をすること。

歩き始めたらすぐ、子どもが自分でできるよう
環境もよく考えられています。

あかねの1,2歳児クラスの、身支度の環境を例に。


まず、子どもの持ち物は

・リュックサック

の中に、

・コップ袋(の中にコップ、歯ブラシ)
・お弁当袋(の中にお弁当、スプーンフォークセット、ランチョンマット)
・タオル

が入っています。
これを登園してご挨拶したら、それぞれ所定の場所に置きます。

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リュックサックをいすに置いてファスナーを開け

・コップ袋→袋を開けて、コップ、歯ブラシ、袋をそれぞれの場所へ置く
・お弁当袋→そのままカゴへ置く
・タオル→洗面所のタオルかけにかける

最後にリュックサックのファスナーを閉めて、ロッカーにかける。

これでおしまい。
(上着があるときは上着をたたんで棚に置いて、おしまい)


これを、1歳の歩き始めた頃から、子どもが自分でやります。

先生はお手伝いだけ。
ひっかかったファスナーをとったり、
開けにくいコップ袋の端を押さえたり、
途中遊んじゃいそうな子どもに声をかけたり。


子どもが自分でできるポイントは

・いつも同じところに同じものを置く
・置く場所がある程度近くに固められている
・持ち物が最小限

というところ。


「いつも同じ場所」は、子どもからお歳を召した方まで万人共通で「分かりやすい」要素のひとつです。ましてや、ちょうど秩序の敏感期にある1,2歳の子どもたち、誰かが間違っていたら憤慨しながら直してくれることも。
タオルかけやロッカーには、名前の横にマーク(果物や花、乗り物など)が貼ってあり、字が読めない子どももそのマークを頼りに、自分の所に自分のものを置けます。


置き場が近いということは、動線にムダがないということ。
1歳2歳の子どもは途中目にするものに惹き付けられてそちらへ行ってしまいがちですが、置き場を固めておくことである程度集中して身支度ができます。


持ち物が最小限。生活に最低限必要なものだけで、ムダがない。
これが実はすごく大事なことだと、今の園に来て感じます。1歳の子どもでも管理できるだけの品数が、このくらいなのかな、と。
(そんな理由もあり、着替えの服は、1,2歳の間は親御さん管理です)


これを毎日毎日繰り返すことで、子どもが自分で判断して自分で身支度できるようになります。

これが精神的にも、ものすごい自立につながるんです。ここが大事!

この大切さをよく分かっている先生は、粘り強く身支度の手伝いに向かいます。
正直、大人がやってしまった方が楽なときなんて、いくらでもあります。
が、そこを辛抱して「子どもが自分でできるように」あの手この手で試行錯誤。笑


特に3歳頃までの子どもって不思議なもので、
大人が思い、接するそのままの姿になるんですよね。

「まだできないよね、代わりにやってあげるね」
と赤ちゃん扱いされていれば、いつまでも人に頼って自分ではやらない甘えん坊さんになり、もしくは大人をこき使う暴君と化すこともあり、苦笑

「できるんだよ、やってみようよ」
と信頼を寄せ、できる環境を整えておけばどんどん自分でやろうとする自立した姿になり。

無意識の吸収の働き、恐るべし!


で、問題は
自然からの宿題、発達の法則は
本来は常に自立を目指している
というところ。


いつまでも赤ちゃんの姿でいるというのは、
ここに抗ってしまうということなんです。
本人も周りも無意識のうちに。


これは本当は、不自然なことだからやめて!
自分でできるように手伝って!

というサインを、子どもはいろいろな形で出しています。

激しいイヤイヤだったり、訳もなく大泣きしたり、
ある程度大きくなってからの夜泣き、かんしゃく、物への執着、逆に無気力だったりあきらめがとても早かったり、


もちろんこれらは、様々な要因が絡んでの姿ですが
「無意識に子どもの自立を邪魔している」
こともその要因のひとつに充分なり得ます。


やらされてる感なく、自然に身支度していたあかねの子どもたちは、そういう意味でも幸せだな~と思います。

次回は3歳児以降の身支度について。