モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

何かを禁止または制限するなら、代替案を

というモンテッソーリのモットー(?)を忘れていました、前回の記事。

デジタル機器の使用を禁止、制限するなら
その代わりの過ごし方を併せて提案するべきでした。



で、これはもう、至ってシンプルで


デジタル機器を使うより、もっと楽しいことをする


当たり前ですがこれに尽きます。
大人がこれをいかに楽しめるかで、子どもの楽しみかたも変わってくると思うのです。


といっても、常にどこかに出かけるとかスポーツするとか旅行するとか、イベントを用意しておかないと!という大々的な話ではなくて
(これはこれで楽しいですけどね、毎日は無理ですよね。笑)


例えば、テレビを消して生の会話を楽しむ。
簡単なおやつや一品を一緒に作ってみる。
手洗いでお洗濯をしてみる。
靴を磨いてみる。
ホウキとチリトリで掃き掃除をしてみる。
窓をワイパーでふいてみる。
銀製品を重曹で磨いてみる。
お皿を洗ってみる。
ハンカチにアイロンをかけてみる。
小さな一輪挿しに花を生けてみる。


日常の、大人にとっては当たり前のルーティンも
子どもと一緒にすることで、生き生きとした、楽しい活動に生まれ変わります。

子どもの素朴な反応がまたいいんです。

「おー(アイロンしたら)シワがなくなった!すげぇ!」「(ヌルヌルだったお皿が)キュッキュッていうね」「(銀製品や靴、窓が)ピカピカ!」「お花、かわいいねぇ(うっとり)」


上記活動は、子どもサイズの道具をそろえてやり方をゆっくり見せれば幼児さんでもできるものばかりです。というか、あかねでの活動を思い出して書き連ねたものです。
小学生だって、やったことなければやりたいだけやっていいんです。おそらく低学年のうちは、一緒に楽しめることが何かしらあると思います。

野菜の苗を植えて栽培から収穫まで楽しんだり
落ち葉やドングリを拾って何かを作ったり
寒い日に水をはったバケツを外に出しておいて、次の日氷になったものを楽しんだり
四季それぞれの楽しみかたもあります。
(日本ほど、四季の特徴がはっきり分かれている国もなかなかないです。ここを活用できるのは日本人の強みです)


低学年頃までの子どもと過ごすことの楽しみや喜びのひとつに
「子どもの感性を味わい直せる」
「見過ごしていた季節の変化を楽しめる」
ことが挙げられると思うのです。

ここに気づくと、大人も純粋な気持ちで
子どもと一緒に楽しめることが増えてくるのではないかな、と思います。
その結果、デジタル機器に夢中にならなくてもいい過ごし方ができるといいなと感じます。



で、ここからは余談といいますか、私見ですが。

「しくみを知る、創る、生み出す」側だったら、デジタル機器のことを学んでもいいかな、とは感じています。むしろそこは学んだ方がいいとすら感じています。

全く知識がないと、いつでもどこでもできる便利さにのめり込み、振り回され、デジタル機器を使っているようで使われている状態にもなりかねないと感じるからです。(スマホ依存、ゲーム依存の大人は「使われている」側だというのが私の認識です。あ、私もか?汗)


でもそれは、たくさんの五感体験を十二分に楽しんだ、そのあとがいいな、とも思っています。せめて小学校低学年までは、五感体験を優先したいなと。


そしてデジタル機器を扱う時間と場所は、せめて小学生のうちは制限したいなとも思うのです。

さらに、メディアリテラシーの学びも併せておけるとベターだな、と。



ちなみにこれもまた余談ですが、「公共の乗り物で泣く小さな子どもをスマホであやす」親御さんたちを、責めることはできません。というかしたくありません。前回の記事も、そこは全く意図していません。(もし責められたように感じた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません)
ここに関しては別の視点から、いずれ書いてみたいと思います。