モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

追記あり 問題点を見つけて改善すべく試行錯誤

と「学童期の学び」で必要なことを書いてみたら

今の私(を取り巻く状況)にも必要なことだわこれ

と再認識できました。


生活の中の問題点を見つけるのは我ながら得意だと思います。愚痴や文句、批判の類いがそれかなと。

ですが、
その形のままだと事態は何も改善しません。

「ここがいやだ」「そんなのできない」「なんでそんなことするの?」
と否定的な要素を挙げ連ねるだけでは
言われた相手は受け止められず、
変わろうなんて思えない。
むしろ言えば言うほど場の雰囲気が悪くなり、ただこっちが文句言ってるだけ、相手にも不満がたまり、いいことなし。

これを
「ここがいや。だから、こうしよう」
「それはできない。理由はこれ。かわりにこういうことならできる」
「こういう理由があるから、こういうことはやめたほうがいい。こういう風にするとベター」
という形に変えると、
愚痴や批判は提案となり、
言われた方も受け止めやすくなり、
事態改善にむけた動きがお互いに取りやすくなる。

ということを念頭において、
愚痴→提案への変換をしてみます。


例1)秩序感が強く、割と強い口調でイヤなことを主張する2歳児の女の子が「性格悪い」の一言で片づけられているのを耳にしたとき

<愚痴バージョン>
「性格悪い」って、何その決めつけ、何その先入観。子どもの発達のこと、知らないって自分で言ってるようなもんだけど。
そんな状態で「私、保育士経験長いベテランです」みたいな顔されても。。。

<提案バージョン>
持ち物、順番、場所などがいつも「同じ」という秩序に敏感な時期で、秩序にこだわるのは子どもの発達の土台を作る大切な過程です。
子どもの発達のことを知り、目の前の子どもの姿に照らし合わせて、より理解を深めましょう。そしてその上で対応を一緒に考えていきましょう。



例2)遊びに夢中になっている子どもを「わ~超かわいいんだけど~抱っこ抱っこ~♪」と突然抱き上げて膝の上に座らせてご満悦な保育士さんを見て

<愚痴バージョン>
あ~ぁ、自分の都合だけで抱っこしちゃって…せっかく今、目の前の活動に夢中になってたのに。自立に向けて集中しようとしてたのに。大人の都合で邪魔しないでほしいわマジで。っていうか「かわいい~♪」って、子どもバカにしてない?子どもはミッ○ーじゃないんですけど。


<提案バージョン>
子どもの活動を尊重し、子ども自身の育ちを邪魔しないように、大人は常に努力しましょう。
遊びに見えることでも、子どもにとっては自立に向けた自己形成の大切な過程です。子どもは集中することで自立に向かいます。子どもの集中を妨げないよう心がけ、抱っこは子どもが求めてきたときのみにしましょう。

子どもは何もできない存在ではなく、自立に向かって育ち続ける小さな人。
子ども自身が持つ育つ力がどういうものかわからない場合は、一緒に学んでいきましょう。


…こんな感じかな。なんかまだ、エラそうだな。

こういうことを、個人にではなく全体に向けて発信して、それぞれが自分で気づくのを待つ。

人に直接訂正されるより自分で気づいたほうが、自尊心が傷つきにくくて直しやすい、間違いの自己訂正の法則。


「大切なことは繰り返し伝える」忍耐強さと
「本人が自分で気づくのを待つ」忍耐強さ。


人が育つお手伝いって、基本は子どもも大人も一緒なんだな~と思います。


何より私自身が、今まで出会ったモンテッソーリの先生にそうやって育ててもらったんだなぁ…と感謝の思いです。

〔3/15 追記〕
いやー、今読み返したら、我ながらひどいな。性格悪いし、黒いし、えらそうだし。何より愛がないな、大人に対して。ごめんなさい。
という省みのためにも消しません。うぅ~黒い自分を自分で晒すって、なかなかツラい(あほかー)