モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

ほめて育てよう?

最近、アドラー心理学が話題ですが
その関連でおもしろい記事がありました。


「ほめて育てよ」は間違い~ほめることはその人を見下すことである~


長い記事なので、このページの「ほめる」に関するところだけ私なりに要約すると(前後もぜひ読んでみて下さい。参考になる話がいっぱい)、


子どもをほめるというのはどういうことか。

カウンセリングに来たお母さんが3歳の子を連れてきたとする。お母さんと話している間、約1時間、その子は隣に座っておとなしく待っていなければならない。
子どもというものは自分の置かれた状況をちゃんと理解できるという信頼がこちらはあるので、待てたことに特段驚かないが、お母さんは驚く。その子に「(待てて)えらいね」と声をかける。

でもこれがお父さんだったら?
「えらいね」とは言わないはず。せいぜい「お待たせ」くらい。
何で大人には「えらいね」と言わないのか?

3歳の子は1時間も待てないという気持ちが、言った方の中にあるから。
つまり、「えらいね」というほめことばの中には、その人の能力を無意識に下に見ているという事実がある。

その証拠に、「えらいね」と言われた子どもの表情はちっとも嬉しそうじゃない。普通に敏感な子どもなら、「できないと思っていたんだな」ということが伝わるから。

この場合、「(待っててくれて)ありがとう」なら、「(自分が待っていたことが)人の役に立ててよかったな」という気持ちになる。自分が価値があると思える。

でも「えらいね」は言った側が相手を評価していること。そこに価値を見いだした子どもは、大人が何も言わないと自ら「えらい?」と聞くようになる。


(要約終わり。長い…要約じゃない…)

もー、まさに、そう!

と思います。

モンテッソーリさんも、本来、子どもに賞罰は必要ないと、はっきり言っています。むしろ自発的な育ちの邪魔にさえなると。


例えば、おむつ外し練習中の子が、トイレでおしっこができたとき。

「えらいね~!」ってつい言いたくなりますが、
大人がトイレでおしっこしても、誰も「えらいね」なんて言いませんよね…むしろ言われたら「は?何、バカにしてんの?」ってなりますよね。

ということを思うと
「えらいね」は何か違うなと感じます。

この子は今、

おしっこを膀胱にためられるようになって、自分の意思でトイレに行くまではおしっこを出さず、トイレに行って初めて放出する

という今までできなかった排泄に関する行動が、少しずつできるようになってきたという発育段階です。これは紛れもない事実。

「トイレでおしっこができたこと」は
「えらい」と上から評価されることではなく
子どもの立場なら
「洋服が濡れなくて気持ちいい」、
親御さんの立場だったら
「子どもの育ちがうれしい」
と感じることかな、と思います。

なので、もし声をかけたいと思うならば、

「トイレでおしっこができて、気持ちいいね」
(子どもの気持ちを代弁)
「トイレでおしっこできて、私もうれしいな」
(子どもの行動に対する自分の気持ち)

が伝わればいいんじゃないかな、と思うのです。



別の例で、
子どもが近所の人にあいさつをしたあと

「ねぇ、『こんにちは』って言ったよ、えらい?」

と言われて返事に困った…という話を聞いたことがあります。(おそらくその近所の人にも聞こえてて、言わせてるみたいで恥ずかしかったとのこと)


これは残念ながらもうすでに、子どもが「ほめられる」ことに快感を覚えて、ほめられ中毒になっているかもしれません。(>_<)

最初は何気なくやったこと(この場合あいさつ)が、大人から「えらいね」と言われただけかもしれません。
でもこれがいつしか、「えらいねって言われたいから、やる」に変わってしまう。
その結果、大人が何も言わないと「えらい?」とほめことばを子どもから求めるようになる。

「ほめられるから、ほめられたいから、やる」行動のなかには、自主性は育ちにくいものです。逆にほめられなければやらなくなる可能性も大いにあります。

あいさつもトイレ同様、大人がしたら「えらい」ことでも何でもなく、ごく普通の当たり前のこと。

人として当たり前のことに「えらい?」と評価を求められた場合は、少しずつその「評価への依存」から抜け出せるようにお手伝いする必要があります。


あいさつで「えらい?」と求められたなら、
「えらいね(相手への評価)」ではなく
「あいさつしてたね(事実)」「聞こえたよ(事実の受け止め)」「嬉しかったよ(こちらの気持ち)」など。

落ちてたゴミを拾って「えらい?」なら、
「見てたよ(事実の受け止め)」「ありがとう(気持ち)」など。


あなたを評価します、という姿勢ではなく
あなたがしたことを私は知ってるよ、
とあたたかく受け入れる姿勢と
その行動に対して私はこう思ったんだよ、
と気持ちを伝える姿勢に変えてみる。

これを根気よく続けていると、
子どもの方も、他人の評価待ちの姿勢から
自分の行動が、相手が幸せになる価値があるということが分かったら、人にほめられてもほめられなくても、自分で考えて行う姿勢に変わっていけるのではないかな、と思います。


相手がしたことに対して感謝の気持ちを伝えたり、「私はちゃんと見てたよ、知ってるよ」と受け入れることは、対おとなの人間関係の中では、相手と良い関係を作るために、ごく自然にしていることだと思うのです。
それを子どもにも同じようにする、ということかなと思います。


もうひとつ、ほめることが子どもの育ちを邪魔する典型的な例があるのですが、長くなったので次回に。