モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

「まちがえただけ!」間違いも自分で直したい 幼児期

メリークリスマス!
間に合った!
何もしてないけどいちおうご挨拶として。笑


今朝は近所から聞こえてくる

母「あー!何やってんのよ、もー!(怒)」
子「まちがえただけ!
  まちがえただけ!!!(涙声)」

という会話で目が覚めましたおはようございます。

クリスマスの朝から何があった。(´-ω-`)


このような会話を耳にする度に
「間違いの自己訂正」
というキーワードが頭の中にぽわんと浮かびます。

文字どおり、間違いを自分で訂正することで
子ども時代は特に、この観点が大切だな~
という話を。


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あかねの昼食時。

今は諸事情あってないんですが、
私が勤めていた頃は手作り給食がありました。

ごはん、主食、副菜、汁物。
どれもめちゃおいしくて栄養バランスも抜群だったなと、主婦になった今、改めて思います…って話それてるそれてる


3~6歳クラスでは
給食のお当番さんが配膳したものを
子どもが各自運びます。

この時点で察しがつくと思いますが、
こぼすことも当然あります。


ある日、スープを床に豪快にぶちまけてしまった子がいました。

その子は(やっちまった!)という顔で一瞬フリーズしました。私も思わず「あっ…ぉう」と外人のような声が出ました。

が、その子はすぐお椀をテーブルに置いて、
雑巾を取りに行きました。

こぼしたら、子どもが自分で拭けるように
子ども用の小さな雑巾がいつも同じところに置いてあります。

他の何人かの子も、拭くのを手伝ってくれました。
私も手伝います。

きれいになったら、雑巾を洗ってしぼって干して、終わり。

これでまた元通り。

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別の日に、園長先生と話していて

「先生方が子どものことを責めないから
 子ども同士も責めなくなって、
 ひとりひとりが優しくて
 今のクラス全体が、すごく穏やかで優しい、
 いい雰囲気になっていると思う、ありがとう」

という趣旨のことを仰って頂きました。

そのときに、先ほどの給食のスープの件が
すぐ頭に浮かびました。


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子どもが間違えてスープをこぼしたとき、
大人はそれこそ
「あー!何やってんのよ、もー!」
と思わず口にしてしまいがち。

これ、言われた方は、けっこう傷つきます。
大人でも、間違いをあからさまに指摘されると
(わざとじゃないのに…っ)と思うこと、ありますよね。

初めての体験が大人より多い子どもは、
それだけ間違えて失敗することも多いです。

自尊心がとても高い時期でもあるので、
そのときの「あー!」は大人の予想以上に大きな傷を残し、その後に影響します。
時にはそのことを二度とやりたがらなくなるほどに。
ノッポさんもお母さんから不器用と言われて工作苦手になったって言ってましたね)


「あー!」の一言でどれだけ子どもが傷つき、
その傷があとを引くか、
頭では分かってるのに
それでもこちらの未熟さで出てしまう
「あー!」を飲みこんだ結果が
「あっ…ぉう」(外人風)です。苦笑


こどもが間違えたときに
大人が心がけたいのは、

・間違いを直接責めないこと

まずこれが1つ。


そして2つめは

・子どもが自分で間違いを直せるように手伝うこと

です。

スープの例だと、
「子どもの手のひらサイズの雑巾が
 いつも同じ場所にあること」

が子どもが自分で間違いを直すお手伝いのひとつ、
環境の準備です。

「拭き方」をゆっくり見せてくれる大人も、
最初のうちは必要です。
(この「見せ方」はまた後日単体で書きます)

この2つを、普段の生活で心がけるだけで
子どもの育ちがだいぶ変わってきます。


「自分の間違いを自分で直せる」ことで
子どもが得られるものはとても大きいです。

まず、自尊心が必要以上に傷つかない。
(間違えた時点で子ども自身が「しまった!」と感じているけど、それ以上は、という意味)

何か新しいことにチャレンジするときも、
「間違えたら自分で直す」
ことを体験しているので、必要以上に恐れない。
(初めてのことは誰でもドキドキ。だけどその前に間違えて責められた体験があるのとないのとでは、そのドキドキ度が全然違う)

何かやっている途中で間違えても自分で直せるので
自分の力で最後までやりきることができる。

やりきったことがひとつの自信になり、
次のチャレンジにつながる。

その分、体験がまた増える。

という好循環が生まれます。


これは、本人ひとりの好循環だけでなく
誰か他の子が間違えてしまったときにも
その子のことを責めず、むしろその子が間違いを自分で直せるように手伝ってくれるという、
周りを巻き込んだ好循環も生み出します。

特に幼児期の子どもは、
自分がしてもらった通りのことを
そのまま周りの人にもします。
(「吸収する時期」も合わせて読んでみて下さい。と言いつつリンク貼れない…orz)

「大丈夫だよ、
 まだ練習中だから間違えるのはしょうがないよ。
 ぼくも昔は間違えたこともあるけど、
 きっとうまくなるよ」

という気持ちで、間違えて失敗した子どものことを見守れるのです。過去の自分を見守っているような感じで。


「優しい子に育ってほしいんですが
どうしたらいいですか」

と聞かれることがよくありますが、
この間違いの自己訂正に
たくさんのヒントが隠れていると思います。


こうしていい循環が拡がっていった結果
園長先生が仰った「穏やかで優しい雰囲気のクラス」になったのだと思います。

これは子どもの元々持っている力が
何にも邪魔されずに外に出た結果であって
大人がすごいのではありません。

でも「責めない」「自分で!を手伝う」を
こちらがいつも心がけていないと
この元々持っている力をつぶしてしまうというのもまた確かです。
園長先生の「ありがとう」は
その陰の心がけを労って下さったのだと、
個人的には受け取っています。


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子どもの間違いを大人が思わず責めてしまうのは
その後始末を
「大人がしなければいけない」
と思っているから

という部分もあるんじゃないかと思います。
(仕事増やしてくれて…)という感情。

でも、スープのときのように、
「子どもが自分で拭くのを手伝う」
スタンスでいると、
大人の方もその分、心穏やかでいられます。
「あ、こぼしたの?じゃあ拭いてね」
という何ともニュートラルなスタンス。

もちろん子どもが最初からひとりで上手に拭き取ることはできないので
拭き方、雑巾の洗い方、絞り方を
大人がゆっくり見せる努力が、はじめのうちは必要ですが。

これは子どもにはできないから大人の仕事ね、
と何でも大人の感覚でキッパリ分けてしまうのではなく

大人は、子どものできる力を信じてみる
(そして子どもができるよう設定する)

子どもは、できそうなことは自分でやってみる
(無理なところがあったら手伝ってもらう)

そうやって、
家族という最小単位の社会的集団の中で
協力しあうことを体験して
いい循環が生まれてきたら、

その子が外の世界に行ったときに
また他の子にも好循環が拡がっていくんだと思います。


間違いの自己訂正、
どこか心のすみにでも、置いておいてみて下さい。