モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

あいさつのこと 吸収する時期に

2回続けて吸収する時期の話をしたところで、
この時期の特徴をベースに教わった話がまだあったので、先にそちらを書きます。
他の敏感期やら手を使う活動の話やら中途半端に書き途中のものが下書きに溜まってますが
そちらも流れを見てタイミングで出していきますので、しばしお待ち下さい。


本題の前に、これまでの話、ざっくり復習まとめ:

人間には生まれてから24歳頃までに、発達が4段階ある。大まかな分け方として6年で1段階(目安)、段階毎に特徴が変わる。

吸収する時期はその中の第1段階、0~6歳頃。
環境の物事、印象を吸収して自分の人格の土台にする時期。
特に最初の3年間は、いいことも悪いことも区別なく何でも吸収するスポンジのような特性がある。

段階が進み、子どもの特徴が変わるたびに、大人もその変化に合わせた対応が求められる。


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幼児期のお子さんがいる高校の同級生と集まったときに
「あいさつをしないのよ~、うちの子」
「うちも~!してほしいのにさぁ」
という話題に一瞬、なりました。

そのときは限られた時間の中で久しぶりの再会が嬉しくて、あれもこれも話したかったので、
「あいさつ大事だよね~、してほしいよね~」
くらいで、すぐ次の話題に移ったんですが
これも吸収する時期をベースに考えると、けっこうシンプルな対応でいけるようです。

(知ってるのにその場で言わないなんて我ながらイヤな感じ…ごめんなさい。でも久しぶりに会って「吸収期が云々」と長々語られるのも、それはそれでイヤだろうな~と思ったのですよ、えぇ…すみません)


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分かりやすい比較対象として、
吸収する時期のことを知る前の私がやっていたことがこちらです。↓

Aさん「こんにちは」
私「こんにちは! ほら、こんにちは、は?(と子どもに)」
子「…(無言、もぞもぞ)」
私「もー、こんにちは、でしょ!(と子どもの頭をムリヤリ下げさせる)」
子「…(への字口)」


これ、特に吸収する時期の子には、しなくていいのです。

な~にぃ~!やっちまったな!(懐かしのクールポコ)


子どもが「あいさつをする」ことを吸収できるように
周りの大人があいさつする姿を見せていればそれで充分だとのこと。
う~ん、そうか~。


ということを知り、吸収する時期を含めたモンテッソーリの子どもの見方で改めて子どものことを見ると、見え方が変わってきました。


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2歳半~3歳頃から自意識が出てくると、あいさつの場面で
「恥ずかしい」という照れや
「…この人は、誰?」という警戒心が先に出てくるのは自然なことです。

そこでムリヤリあいさつさせても、させられた子ども自身はあいさつの気持ちよさを感じ取れません。

「礼儀だから!」というのも分かりますが、それだと何だか形ばかりで、「あいさつを交わすコミュニケーションの楽しさ」までは伝わりません。

大人でも、楽しくないことはやらないし続かない、
逆に楽しければ、ほっといてもやる。それは子どもも同じだなぁと。

ムリヤリ頭を下げさせて形だけあいさつさせるのではなく、大人はいつも、気持ちよく楽しそうにあいさつして、
その姿を毎回見ている子どもが
(…なんかあいさつしたら、みんな楽しそうだな、してみようかな)
と、照れや警戒心を越えて、あいさつしてみようと自分で思うのを、こちらは温かい気持ちで見守りつつ待つ、という感じです。

子どもが大人の背を見て育つ、というのはこういうことなんじゃないかなと思うのです。

して見せて、見守る。
このくらいの心構えでいられるということが、まず大人にとって楽だな~と感じました。
そして、
(も~、またあいさつしない…、
 私が教えてないみたいじゃないの…)
という大人側の見栄のような焦った感情もいつしかなくなりました。
ムリヤリ頭を下げさせるのは、半分くらいはこちらの見栄からくる行動だったなと今なら思えるのです。ごめんなさい。


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そういえば、あかねの子達も、実習園の子達も、ほんとによくあいさつしていました。
期間限定でいきなり現れる実習生の私たちにも、
お散歩に出れば通りすがりの人にも、
お部屋に来るお客さんや業者の方にも。

照れ屋さんも警戒心強めの慎重派さんも、
周りの積極的な子につられて
「…こんにちはっ」
→でもやっぱり恥ずかしくて逃げる、という姿もありました。笑

そうやって、あいさつしてみて、ドキドキしたけど
でも相手の人も笑って「こんにちは」って言ってくれたのが嬉しかった…
という体験がたくさん積み重なると、自分からあいさつするのが自然になるのかな~と、子どもたちを見ていて感じました。

これもまた、人に対する基本的な信頼感があるからこそできることだな、と思うのです。


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人見知りが激しく、あいさつどころじゃなかった幼少期の私。その人見知りはしぶとく高校生頃まで続き、特に大人に対しては第一印象がとても悪かったであろうと自覚しています。(友達にもかな…)

その○十年後、新しい土地で見知らぬ方にも自らあいさつするくらい図太くなりました。笑
(一緒にいたお子さんが「誰?」って聞くくらいほんとに見ず知らずの方)
その方が楽しいと気づいたのは、18歳頃です。我ながら遅、笑。

そのあいさつしない、第一印象が悪かった時期も含めて、吸収する時期からずっと、大きな愛で見守ってくれた両親と周りの大人の方々のおかげで、
人に対する基本的な信頼感が育まれ、だからあいさつを交わす楽しさにも遅ればせながら気づけたんだろうな、と感じます。

あいしつしない子どもが増えた、逆に大人が子どもにあいさつしたら不審者扱いされた、なんて悲しい声もちらほら聞きますけど、それでもめげずに(笑)、あいさつの気持ちよさや楽しさを伝えられるよう、「して見せて、見守る」姿勢でいたいなと思います。私がそうしてもらったように。