モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

0~4歳頃 運動の敏感期

これまでの記事でも書いてはいるのですが、改めてまとめてみます。子ども・環境・大人の3本の柱の、子どもに関する内容です。

<運動の敏感期>

特徴:同じ動きを何度も繰り返し行う。
時期:0~4歳半頃

具体例を動き別に、あかねの思い出から抽出。
あまりにもたくさんあるので、分かりやすい粗大運動(全身を使った動き)を中心に。

・歩く
歩き始めの子が、ただただひたすら歩き回る。まだ歩き方がおぼつかないので、とてっ、とてっ、と進んでは尻もちをつき、また立って進んでは尻もち、を延々繰り返す。園庭でも、お部屋の中でも。

・走る
公園にお散歩。広場でお話を聞いたあと「遊びましょう」の合図で一斉に走り出し、その後もひたすら走り回る。転んでも何のその。
途中、「疲れちゃったよ!」と訴えながらも、一息つくとまた走り出す。休めばいいのに…(笑)
でも休みたくないんだろうなぁ。休む暇があったら走るぜ!みたいなキラキラした楽しいパワーに満ち溢れている。

・よじ登る
あかねのお庭にはお砂場の周りに低い柵があって、それがちょうど歩き始めた子の脇の下~腰くらいの高さ。よじ登るのにちょうどいい。
あ、でもお部屋の机の上は乗らないで…(汗)←これまたちょうどいい高さ

・バランスをとる
その柵の上によじ登ると、今度はその上に立ってバランスを取りながら歩く。
まだひとりでは怖い子は、先生の手を片方握りながら、怖くても延々歩く。時には5,6人連なって、ぐるぐる何周もする姿は、ほんとに微笑ましい光景。

・階段の昇り降り
腕、手、足、身体全体を使って一生懸命階段をのぼり、、、のぼりきった!と思ったら今度は降り始める(笑) の繰り返し。
しかし最初は全身が階段にぺったり、今にも落っこちそうなよじ登り方だった子どもが、毎日繰り返すうちに上半身が階段から離れ、手は補助程度に、下半身だけでのぼれるように。
上達してる…!(驚)おぬし、いつの間に。

・飛び降りる
少し高いところ、花壇の周りのブロックや段差など、を見つけるとその上に乗り、そこからピョンと飛び降りる。
あ、でもお部屋の階段ではあぶな…(汗汗)

・落とす
持っているものを落とす。ものを握っている指を1本ずつゆっくり開く、と、ものが落ちる。自分の手の動きの結果、ものが落ちるという関係が面白くて何度も落とす。
…っと待ったあ、それはガラス…!(白目)

・投げる
手に持ったものを何でも投げる。(あわわわわわ
しくみとしては、腕を後ろから前に振り、その時に握っている手を開くとものが前にぽーんと飛ぶ。のが楽しい様子。
…とか冷静に分析してる場合じゃな…!!(ガッシャーン)



…すみません最後の方は話盛りました。少なくても園では、ガッシャーンの前に止めてます。安心して下さい、止めてますよ♪(安村風)


歩く、公園で走る、階段の昇り降りくらいまでは微笑ましく見守れるレベルですが、やりたい動きが増えていくたびに大人の苦悩もまた増えていくのが現状…(苦笑)

机の上によじ登る、階段から飛び降りる、手に持ったものを落とす、何でも投げる、あたりはどうにかしたいところです。

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その前に、この時期の子どもはなぜ、同じ動きを繰り返したがるのか。
これは前にも書いたように、
【自分の身体を思い通りに動かせるようになりたい】からです。

大人にとっての動きは【目的のための手段】です。
例えば「階段をのぼる」だったら、2階に何か取りに行くため、子どもを起こしに行くため、駅のホームに向かうため、に歩く。
何なら階段でなくても、エスカレーターでもいいわけですね。むしろそっちを選ぶ。

この時期の子どもにとっては、階段をのぼる動き【そのものが目的】です。
もし目の前に階段とエスカレーターが並んでいたら、この時期の子どもは迷わず階段を選びます。

大人がスポーツの練習を繰り返して習得したい、上達したいと願うのと同じように、子どもも階段をのぼる動きを習得したい、上達させたいのです。

そしてその動きを身につけるまで、何度も繰り返す姿は、時には大人を心配にさせるかもしれません。でも大丈夫、あくまでも練習過程なので、身についたら満足して終了。気づいたら繰り返さなくなっています。

この違いが分かると、今後の子どもの見え方が変わってくると思います。

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その上で、どうにかしたい子どもの困った行動について考えてみます。

まず、ただ単に止めるのがけっこう難儀だということは、私なんかより子育て経験者の方のほうがよっぽど身にしみて分かってらっしゃるのではないでしょうか。

子どもにとっては、発達のためのパワーなので、そこを止められたらそれはもうすごい勢いで抵抗します。泣いて怒ってわめいて、みたいに。

もし子どもがあまり抵抗しない、大人から見たら手のかからないおとなしい性格だとしたら、止められるかもしれません。

でもこれはこれでまた問題があります。
この時期に身につけたい動きが充分に身につかないまま大きくなってしまう可能性があるからです。

それだけでなく、発達を邪魔されたという結果が、邪魔した環境(含む大人)への信頼感を失わせてしまい、その後の発達にも影響が出る可能性もあります。


じゃあどうしたらいいのよぅ、という大人の気持ちに、ちゃんと落としどころを設けてくれるのが、私がモンテッソーリにときめくポイントでもあります。
それが前回さらっと書いた

【同じような動きができる代わりの場所、時間を用意する】

ことです。

例えば「投げる」動きを繰り返したがる子どもには、お外でボール遊び。
同時に、「ボールは投げていい、でも他のものは投げない」という線引きを根気よく何度も繰り返し伝える。

「よじ登る」も「飛び降りる」も、それが好きなだけできる場所を普段から探しておいて、そこでは好きなだけさせて、運動の敏感期のパワーを消化する。
でもここではしないよ、も同時に伝える。

ただ止めるだけだと全く発散されず、うっぷんがたまるばかりですが
代わりの環境を用意できると、子どもも大人も平和に過ごせます。

あかねで、雨の日が続いたときはやはり子どももパワーが発散されず、お部屋を走り回ってしまいます。
そんなときは雑巾がけをしていました。よつんばいになって、だだだだっと床を駆け回り、子どもはパワーを発散、大人は床がきれいになって一石二鳥(笑)


まぁ、現実には、こうやってみても、全ての場面ですんなり子どもが言うことを聞いてくれるかというと、やはり大変なときは大変なわけですが(苦笑)

それでも私の経験上、子どもの困った行動に対して、ただ止めるだけでない方法を知っているだけで安心感がぐっと増した感があります。

そして大人と子どもが無意味に(発達を邪魔する形で)対立するのとは、その後の信頼関係や発達のしかたが違ってくるので、やはり知っておいてよかったな、と感じます。

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全身の力を出しきって、思いっきり動こうとする時期は、人生の中でもここだけです。
この時期は本当に疲れを知りません。いや、疲れてるんでしょうけど、それ以上に楽しくて楽しくてしかたがない、といった感じです。

ここからは私の経験談と私感ですが…
私は2歳半~6歳までアルジェリアにいました。
治安は日本ほど良くなく、結果としてお部屋遊びが中心で、外で思いっきり走り回って遊ぶ、という体験が少なかったように思います。

私はどうやら主張の少ない、大人から見たら手のかからない楽な子どもだったようで、
なのでこの時期に大人と対立することはあまりなかったのですが(母談)、かえってそれが大きくなってからの生活に、影響を及ぼしている気がします。

未だに、微妙に病弱なんです(苦笑)。
季節の変わり目には必ず風邪を引き、予防接種をしなければ必ずインフルエンザにかかり、あかね時代はほぼかかさず胃腸炎などの流行り病をもらい、、、

何より、すごく疲れやすいです。自分でイヤになるほどに。
何がイヤって、疲れると周りへの配慮がどこかいっちゃうのが悲しい。電車で目の前にお年を召した方が立っていても席を譲る余裕がない。譲りたい気持ちはあっても、身体がついていかないのは、本当に我ながら情けなく感じます。

この自覚症状は小学校の時点で既にあったので、もしかしたら幼少時に運動の敏感期を逃してしまったのも原因の1つかなぁ~ と感じています。もちろん、似たような幼少期を過ごしていて元気な方も知っているので、それだけではないですが。

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今回は全身運動の例が多かったのですが、
運動の敏感期の延長として、「手を使う動き」にもやはり旬があると感じます。
次はそのことを書こうと思います。何せ私がさらに逃した感があるところなので、そこもふまえて、これを読んで下さっている方はどうぞ逃しませんように、という願いも込めて(笑)