モンテッソーリアン、里親になる。

10年モンテッソーリ教師をやってみて向いてないことが分かった(笑)ポンコツモンテッソーリアンの里親活動奮闘記録。

ゆっくり話す。それだけで伝わることが増える1歳児

今日はもう、タイトルのまんまです。

1〜2歳の子どもに話しかけるときに
意識して、ゆっくり、短く話す。

これだけで伝わることが、ぐんと増えます。

例えば、歩き始めてからのお子さんは(こちらがしてほしくないことも含めて)、それはもういろんなことをしますよね。
 
机の上によじ登る、子ども用いすを押して進む、いすをひっくり返してその上に乗る、手に持ったものを全部投げる、水道の水を出しては止めを繰り返す、などなど。

大人はその姿を見ると、
焦って止めようとしてしまって
つい早口になってしまいがち。

でも(行動は素早く止めつつ) 


「しないよ」
「いすは座るものだよ」
「投げるならボールにしようね。これは投げないよ」

などと
敢えてゆっくり、穏やかに伝えることで、
小さなお子さんにも格段に伝わりやすくなります。


また、言語の敏感期でもあるこの時期、
物に名前があることに気づき、
見るもの全て手に取っては
「う!(これは何だ!)」
とばかりに突き出してきます。

そんなときもゆっくり

「しゃもじ。しゃもじ」
「りんご。りんご」
「きゅうきゅうしゃ。きゅうきゅうしゃ」

などと答えると、とっっっても嬉しそうにします。

この人は、世界を教えてくれる!(嬉)

みたいな。

そして、聞いた音を吸収して、アウトプットするように(つまりお話するように)なります。


いちばん目が離せない時期だからこそ、
大切なことは敢えてゆっくり話すように
こちらが心がける
だけで、
目の前のお子さんとの、
話し言葉によるコミュニケーションがより深まり
信頼関係もより強固なものになります。


考えてみれば、
私たち大人も、外国語を学ぶとき
最初から速いスピードで話されたら
ちんぷんかんぷんでも、
少しゆっくり話してもらうだけで
理解度が深まりますよね。
そしてゆっくり話してくれる相手への信頼度も増すと。
それと同じような感じかなと思います。

相手が小さければ小さいほど、ゆっくり話す努力をする。
すぐできることなので、ぜひ試してもらえたらと思います。

モンテッソーリ教育が漫画に!というニュースについてあれこれ

故・相良敦子先生の「ママ、ひとりで手伝ってね!」が漫画化されるそうです!



私もこの漫画の原作本からモンテッソーリにハマった一人です。

でも、本の方は字が小さく、行間も詰まっていて
子育て中の親御さんに「これ読んで!」というには少し重荷だな、、、
とも感じていて。

なので漫画化はとても嬉しいです。
漫画最高。
難しいけど多くの人に伝えたいことは、もう全部漫画にしちゃえばいいよね!
(なんて乱暴


実は、4~5年ほど前に、
モンテッソーリの漫画を出そうと試行錯誤していた時期が私もありました。

でも私のモンテッソーリ教師としての経験不足
及び漫画の構成力不足で
(あと私のこだわりとか、結婚のタイミングとか自分勝手な理由諸々により)
頓挫、、、

漫画担当の友達、モンテッソーリ関連の先生方、
出版社の方、出版社の方を紹介して下さった方、
たくさんの方々の時間と手間をムダにしてしまい、
とても申し訳なかったという苦い経験があります。
(関係者の方々、その節は本当に、申し訳ありませんでした!!!)


今回漫画化される「ママ、ひとりでするのを手伝ってね!」
の個人的感想を以下につらつらと。
(漫画の方ではなく、原作の方です)


普段見ている子どもの姿が
これを読み終える頃には違う見方になるような
そんな本です。

・何でこんな小さなことにこだわるのか
・どうしてかんしゃくを起こすのか
・大人から見たら不思議なことを繰り返すのはなぜか

などなど、モンテッソーリの子どもの見方満載です。

私はこのモンテッソーリの子ども観に
ものすごーーーーーーーく共感したので、
もっと知りたい!とその勢いのままに
国際モンテッソーリ教師養成センターに飛び込み、今に至ります。


なので、子育て中の方で、モンテッソーリ気になるって方には
ぜひお薦めしたいです。

で、
ここからは少し批評めいた内容になってしまうのですが、、、
若輩者が失礼いたします。


この本に、書かれていないことがあって
それが入ってたら、もうホントに最高なのにな!
と思うところがあります。


それが
「子どもの見方はわかったけど
じゃあ、実際の生活で
子どもの困った行動に、どう対応すればいいの?」
ってところです。

つまり、大人の役割の部分が、弱い。

実際、子育てや保育をしていて
知りたいのってこの「大人の対応のしかた」なんじゃないかなと思うのです。

もちろん、子どもの見方が変わると
大人の対応も変わってくるので
それだけでも、この本が果たした役割はとても大きいと思うのですが

「どういうときに、子どもの行動を止めなきゃいけないか」
「止めなくてもいい、見守っていればいいこととの線引きは何か」

とかそこまで書かれていたら、完璧…!!!
とつい、思ってしまうのです。

これが書かれていないがゆえに
口コミの中には

「こんなに子どもに自由気ままにさせてたら将来が云々」

といったものもあり、

違うんだよ!
自由の中に、ちゃんと制限があるんだよ!
制限のある、枠組みの中の自由なんだよ!

と心の中で叫んでいます。
(じゃあそれをここに書きましょうねって話なんだが)



あとはですね、
これだけを読んで
モンテッソーリのすべてが分かった気になっていると
痛い目にあいます(体験談)。


特にモンテッソーリ教師として
クラスを運営していくには
もっともっと学びが必要ですし
学びの上に子どもとの経験が必要で
その経験をフィードバックする子どもからの学びがまた必要です。
(つまりはずっと勉強です)


何度も言いますが
モンテッソーリの入門書としては、とても素敵な本だと思うのです。


だから今回の漫画化は本当に嬉しい。

早く発売されないかな!とりあえず予約してこよう~♪

自然素材の大切さ

GW前半に実家に帰りついでに
ずっと行ってみたかったおもちゃ屋さんに寄ることができました。

toy-toy-shop.jimdo.com


あかねこどものいえの卒園生の保護者の方がオーナーだというのは
前々から伺っていたのですが
実際にお邪魔してみると、
ま――――――それは素敵な素敵なおもちゃの数々。

一緒に訪れた弟と共に
「なにこれ」「あっこうやって使うの!」「超楽しいんだけど」
の繰り返し。

オーナーの方も気さくで
「これはこうやって使うんですよ~よかったらやってみて下さい」
とガンガン体験させてくれました(笑)

藤井六段がハマったというキュボロも
実際やってみるとすんごい難しくて、そこがまた燃えるというか楽しくて。

個人的には
「あ、これあかねにあったな、あこれも、これも
えっこんなにするのこれ!!!うそ!!!
めっちゃ恵まれてたやん!!!」
と改めていい園だったな~ということを思ったり。


このお店にあるおもちゃは
ほとんどが木や金属などの自然素材でできているものばかり。

その分お値段も張りますが
長い期間、様々な楽しみ方ができるので
コスパはむしろいいのかも、、、と思います。
(園で10年以上使っているものと同じものもありました)

弟曰く、プログラミングの要素が入ってるものも多いと。
(私はこの辺全然分からないのですが)

そして何より、
おもちゃの出す空気感に、こちらが癒されるんだなと感じました。

「なにこれ!楽しい!」とはなるんだけど
落ち着いた興奮というか、変なテンションの上がり方にはならないというか。

実はこのお店を訪れる直前に
大規模チェーン展開のお店の、おもちゃフロアにも寄ったのですが
あまりの情報量の多さに、私が疲れてしまいました。

色もカラフル過ぎて、おもちゃの種類そのものも多すぎて
素材もプラスチックばかりで。

これは、このお店に限らず
他のチェーン店のおもちゃフロアや、
ゲームセンターコーナーに行ったときにも
前からうすうす感じていました。

(なんか、疲れるな、、、)

そしてそれは私だけじゃなくて、
一見楽しそうにしている子どもたちも
何か目が変というか、おかしなテンションになって
最終的に疲れて、火がついたように泣いてるな、、、
と、まぁ私の印象論ではあるんですが
そんな風に感じていました。

一転して、このtoytoyさんにも
もちろん小さなお子さんたちがいて
実際に触ったり、試したりして遊んでいましたが

大規模チェーン店で見られるような
ギャン泣きや、変なテンションの上がり方は全く見られませんでした。

子どもは、大人以上に、その空間の雰囲気を感じ取り、吸収します。
3歳までの子どもはなおさら、その特別な吸収力で
環境の雰囲気も、自分を作る材料にしてしまいます。

0~3コースで口酸っぱく言われた
「自然素材のものを環境に置く」ことは
本当に大切なことなんだな、、、

と、このおもちゃ屋さんを訪れた(プラスその前の大規模チェーン店と比較する)ことで
体感することができました。


さいたま新都心駅と大宮駅の
ちょうど間くらいにあるので
なかなかふらっと立ち寄るという感じではありませんが
でもまた行きたいな~。

「資格と経験」という名の武器と凶器

今回はかなり自戒を込めた内容。


私の保育業界でのお勤めが、今年で7年目に入りました。
もう初心者ではなく、でもベテランでもない、
いわゆる中堅どころです。

プラス、
保育士、国際モンテッソーリ教師0-3歳、3-6歳の
3つの資格を持っている状態になりました。

これまでに得た資格、そして経験は
もちろん武器にもなりますが、
時に凶器にもなります。

これらの資格や経験にとらわれて
目の前の子どもを先入観なく見るということが
できなくなることがあるからです。


子どもに携わる大人の役目は;

子どもの発達を学び、それに合った環境を整える
→子どもと環境をつなげる(紹介する)
→環境の中での子どもの様子を観察する
→子どもの発達を邪魔するものを環境から取り除き、合うものに変更する
→子どもと環境をつなげる
→環境の中の子どもを再び観察する
→子どもの発達の邪魔になるものを再び取り除く
(以下ループ)


子どもの発達が進めば、今まで合っていた環境も合わなくなってきます。
そうしたらまた、子どもを観察して、発達に見合った環境に変えます。
そして、子どもと環境をつないで、環境の中の子どもを観察する。

ずっとこの繰り返しです。


この繰り返しの中で特に大切なのが
「子どもを先入観なく観察する」こと。

今までの経験や資格が、この邪魔になりうることを
特に7年目の私は、よくよく心に留めておかないとなぁと
日々の保育の中で感じています。

ちょっと油断すると
子どもをよく見ないで
「どうせこうなんでしょ」と決めつけてしまうことが出てきてしまう。

でも
大人の先入観ほど、子どもの育ちの邪魔になるものはないと思っています。


そして、その先入観が
自身の保育経験と
保育関連の資格を持っているという自負から来るものならば

資格と経験は子どもを生かす武器ではなく、
その子どもの個性を殺す凶器になりえます。


今はもうなくなってしまいましたが、
私が最初に勤めたあかねこどものいえの園長先生が
私に最初に仰って下さったことは

「先生が学んできた一番新しいことを、私たちにもぜひ教えて下さいね」

園長先生こそ
何十年の経験があり、
保育士とモンテッソーリ0-6歳の資格をお持ちの方です。

だけど、そんな人が
新人の私を、何もわからないひよっこ
ではなく、
最新アップデートされた情報を持った人
としてとらえ、

私を見下すこともなく、
私に対して偉ぶることもなく
むしろ私からも学ぼうとする姿勢に
ビックリしたと同時に、とても感動しました。


資格と経験を積めば積むほどエラそうになるのが
自分も含め、人間の常なのに。


もちろん、新人として分からないこと、足りないことも
たくさん教えていただきましたが
言葉よりも、態度で、ふるまいで
ロールモデルとして教えて頂いたのは
「常に謙虚である」ことです。

謙虚じゃなかったら、新人から学ぼうなんて発想は出てこないと思うのです。


あかねのあとのお勤めでは
残念ながら、こんないい上司に出会えていません。

経験にプライドを持つのはいいけれど
それが時に新人のいい意見をつぶし
さらには子どもの育ちの邪魔をする。

そんな人の方が多いんだなと
私はあかねを出てから感じました。

あかねの中にいるときはそれが普通だと思っていたけど
そんな人、なかなかいない。

そしてこれは、人に求めてもしょうがないことです。

だから、次は私が
この園長先生のように
新人の先生からも学べる、謙虚な人になれるよう
経験を振りかざして傲慢にならないよう
努力する番だなと感じています。


自分の言動が子どもや他の先生にどう影響しているか
何か邪魔をしていないか

自分だけではどうしても気づきにくいので
周りの同僚にも
「なんか変だなと思ったら何でも言ってね」
と伝えつつ
自分でも、自分自身を客観的に省みる努力を続けようと思います。

その中で、子どもたちとの時間を楽しんでいきたいです。

これが今年度の抱負。

ゴールは新しいスタート

国際モンテッソーリ教師(0-3歳)
無事に合格しました。

ひとつの節目、
そしてここからが
現場の子どもたちから学ぶ実践的な学び。

具体的には、
着替えたり、汚れた服を片付けたりという生活の基本的なことを
3歳以下の幼い子どもたちがどうやったらできるか、
ロッカー選びや配置、使い方などをすでに試行錯誤中です。

(ロッカーって高いんですね、、、こういう大きな買い物に関わるの初めてだから、めっちゃドキドキしてる)

そして大人の関わり方も、
自分も子どもから教わりながら、他の先生たちとも意見交換し合って
その学びを共有していく必要があり。

コースで学んだことが、
理想論で終わらないように
現実に根付くように
日々コツコツと精進します。

今日の入園式で出会った子どもたちが
「自分で!」を存分に発揮して
自然な発達の道筋に乗れるお手伝いができますように。

あと体調崩しませんように。(弱、笑)

モンテッソーリ教育だと社会性が育たない?

先日、↓のお二人の対談があり、わくわくして参加してきました。

木村泰子さん
大阪の公立小学校の元校長、特別支援学級不登校もない「全ての子どもが安心して学べる」教育現場を9年間で体現。

リヒテルズ直子さん
オランダのイエナプランを日本に紹介した第一人者。


最初に、イエナプランとはどういうものかの説明があり、その後お二人の対談。

今の教育現場は「子ども」が主語になっていない、子どもを主語にするだけで、学校は大人にとっても学びの場になる。

最終的に大人がいなくても、子どもたち同士で問題を解決できるように大人は子どもの育ちをサポートしていく。
教師の目指すのは「透明人間」。

今までの学校では「間違わないこと、失敗しないこと」を叩き込まれてきた、結果、失敗した者への「排除」文化ができた
でも本来、学校は、失敗したときにどうやり直すか、その練習の場。そして「失敗しても、それを受け入れてやり直せばいいんだよ」ということを伝えていく場。

障害児と健常児という分断は大人が作っている。本来、社会に出たら多種多様な人たちがまぜこぜで過ごしている。
そのまぜこぜの社会の中で自分はどのように生きるか、どのように他者を尊重しながら自分という存在も活かしていくか
こういうことを知る過程に義務教育があるはず。


などなど、
そうそう!そうだよね!この辺モンテッソーリと一緒!大きな接点!
手段が違うだけで、イエナプランだろうがモンテッソーリだろうがインクルーシブ教育だろうが、純粋に子どもにとっていいものはいい!ってことだよね!

とわくわくして聞いていました。


でも、たった1つだけ残念なことをおっしゃっていたのが、
タイトルの「モンテッソーリ教育だと社会性が育ちにくい」という趣旨のこと。


···え〜っと、何かエビデンスあります?


そんなこと言ったら(こんな時ばかり名前出して申し訳ないけど)、GoogleAmazonウィキペディアFacebookの創設者、オバマ前大統領、アンネフランク、藤井五段といった方々に社会性が育ってないということになりますが。むしろ逆の方に思えますが。


あの、モンテッソーリに対する批判を受け入れない訳ではないですよ?そして誤解が多いことも重々承知してます。そしてイエナプランも素敵な教育だから、これから少しずつでも学びたいなとも思ってます。

確かにモンテッソーリ教育は、教具や教師の専門性が先行して、条件が揃わないとやりにくい教育法ではあるな〜と、モンテッソーリを学んだ私ですらちょっと感じますし。

ただ、モンテッソーリで育った子どもたちに、社会性が育ちにくいというのは、今まで関わった子どもたちだけ見ても、そんなことは全くないと言い切れます。


おそらく、モンテッソーリの現場を瞬間的に捉えたイメージでおっしゃったんじゃないかと思うのですが、
「分断を作るのは大人のレッテル貼り」っていう話をしている人が、よく知らない段階で、こういう悪いイメージを植えつけるようなことは言ってほしくなかったなぁ、、、
子どもにとっていいものと信じてやってる私たちがモヤモヤするやん。何ならその人を通してしかイエナプランを知らない段階なんだから、イエナプランそのものに対してもモヤモヤしそうになるやん。そこは分ける努力はしますけども。イエナプランも学びますけども。
そもそも社会性が育ちにくい、自分さえよければいい教育法なら、私ようやらんわ。



まぁでも、モンテッソーリを知ってもらおうとする努力がまだまだ足りないんだなと思いました。よく知らない人からはこういうふうに見えてるってことは。

モンテッソーリの環境の中で、社会性がどういうふうに育っていくか、今までの現場を思い出しながら書いてみればいいねきっと。


いつ書けるかな、、、←これや原因は

大人も楽になりたい。そのためのモンテッソーリ、模索中。

あけましてからもう早くも半月、皆様いかがお過ごしですか。


個人的な話で恐縮ですが、この半月は、どこが悪いわけでもないけどただただ身体が重く、気持ちの方もスイッチがぷつっと切れた感じで、夫の朝ご飯もお弁当も作らず、1日の大半を寝て過ごし、残りの時間で最低限の家事をして、あと数回の観察実習と新たに決まったお仕事に向かうという、ダメ人間の見本みたいな生活を送ってました。我ながらひどい。でもしょうがない。いつも優しい夫にほんとに感謝。


こういうダメダメなときって、うちの場合は私と夫だけだからいいですけど、これで小さな子どもいたらほんとにいろいろ詰むよな。。。子どもいなくてよかった。。。いや実際いたらすごく嬉しいんだけども。嬉しくも、詰む。


こんな状況でも、ありがたいご縁を頂いて新しいお仕事が始まっているので、この体力と気力が落ちた状態で、1,2歳児10数人をどうやって見るか、どうしたら大人の負担も減らせて、かつ子どもにもいい保育ができるか、そんなことばかり考えている最近でございます。


私の勤務が夕方〜夜の保育なので、ちょっと気を抜くとなぁなぁになりがちなんですね、、、でも決してお安くはない保育料を頂いてお子様をお預かりしているわけじゃないですか。そして何より、その子の1日の大半が園生活なわけで。そしたらやっぱり「もう夕方は、ケガさえしなきゃいいわ」みたいな、託児所的な保育じゃ、子どもにも親御さんにも申し訳ないと思うのです。アットホームに過ごす中にも、少しずつ自立を目指したい、、、


そのあたりのムダに熱い責任感と、現時点での体力気力が比例せず、むしろ反比例な感じで、何とももどかしいのですが、こういうときこそモンテッソーリの知恵でなんとかしたいなと。


とりあえず、子ども観察して、ひとりひとりの特性とか好き嫌いとか傾向を把握して、それに見合う環境を少しずつ作っていこう、、、あれ、やること普段と変わらんな、笑。

前回初めて入った感じでは、夕方の自由遊びのスペースが狭く、かつおもちゃが人数と年齢に見合ってない感じを受けたので、そのあたりの環境を、上の方と相談しながら変えていきたいです。
子どもたちのケンカが頻発するときって、子ども本人の性格とか気質とかももちろんあるけど、物の環境を改善したら解決することが意外と多い気がする。


年明けから低空飛行ですが、体調と相談しながら徐々にやっていこう。と思います。