モンテッソーリloverのブログ

モンテッソーリ大好き教師の綴りごとです。

子どもの人格形成サイクルを体験

皆様、今年の夏はいかがお過ごしでしょうか。

私は短期集中講義期間が終わり、今は観察実習期間です。ほぼ毎日子どもを観察し、帰宅後その記録をつける日々。

そんな合間に、できました~。


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じゃーん!
キッキングボール!


じゃーん!ってほどのものでもないんですが、
私の中では、これができあがったという体験そのものが宝。


以前にもちょくちょく触れてますが、
私、大の裁縫嫌い。でした。


どのくらい嫌いかというと、
まぁアレルギーみたいなもので、
裁縫と聞いただけで顔面蒼白全身硬直、
実際に針を持てばさらに硬直(マジで)、
全身運動ですか?ってくらい冷や汗と脂汗まみれになり、
終わる頃には全身ぐったり状態。
(たぶん0~3コースの同級生はこの有り様を目にしています)


そんな感じだったので
今だからぶっちゃけますと、
3~6歳のモンテッソーリ教師の課題、
裁縫系はほとんどお母様にやっていただきました。
その節は大変お世話になりました!


でも、今回はひとりでこれを作り上げたのです!
ブラボー!やればできる子!
(作り方をアドバイスしてくれたお友だちのおかげでもあります)


写真見てもらったら分かるんですが、はっきり言って縫い目はガタガタ、布にも妙なシワが寄って、見た目にはお世辞でもお上手とは言えないレベルのものではあります。


が。


それをカバーしてありあまる、この達成感よ…半端ない…すごい…


そしてなんと、ただいま2個目の製作にかかっております!\(^^)/


このあたり、ほんと幼少期の子どもと変わらないと我ながら思います。

今回は課題きっかけとはいえ、
可愛い布を買ったことで

数ある課題の中から(別にキッキングボールじゃなくてもよかったのです)
「これをやりたい!これやる!」という気持ちが自分の中に芽生え、
やり方をゆっくり見せてもらい、
自分のペースで誰にも邪魔されずにじっくり進め、
いつしか没頭し、
できた!
→またやりたい!
今度は作り方が自分で分かるし、仮に分からなくなったとしても人に聞けばいいし、もう一度やったら1回目より上手にできるかもしれない


というサイクルが生まれました。


(周りの環境の中にきっかけがあって)自発的な意欲、自己選択
→(周りの人からの提供を受けて)試行錯誤しながら自分のペースで(邪魔されずに)進める
没頭・集中
できた!という達成感と静かなる自信
もう一度やる!という繰り返しと向上心


このサイクルを通ると、
とにかく静かな自信というか、
自己肯定感とか自尊感情みたいなものが、
心のどこかでどっしり根を下ろす感じがするのです。


で、このサイクルにおいては、【手を使う】っていうのがポイントなんだろうと思うのです。
だって今まで、いくら机の上のお勉強ができても、どこか心もとない感じだったから、、、



そして今回、予期せずも子どもの立場になったことで、



・きっかけを与えられるような物の環境作り 
(布がお気に入りだったのが今回は大変大きい)


・子どもが興味を示したのを見逃さずに使い方を見せる
(やり方をアドバイスしてくれたMちゃんIちゃんありがとう)


・子どもがやり始めて、没頭し始めたらぜったい邪魔しない


・でも子どもが聞いてきたらちゃんと答える(ひとりで頑張りなさい、とか言って突き放さない)


・子どものできた!を共に喜ぶ


・子どもの「もう一回やる!」を邪魔しない



などなど、

大人側がどう手伝えばいいか
手を出す必要がないのはどこか

がさらに明確になりました。



あ、もしかして、そのための課題だった???

何度でも言う。モンテッソーリ教育はあくまでも子どもが育つプロセスであって、目的ではない。一番大切なのは、目の前の子ども。

藤井特需で、大人たちが(モンテッソーリ関係者ですら)こぞって

「うちでもハートバッグを!」

みたいになってるので敢えてあまのじゃく発言。

 

www.nikkansports.com

 

 ハートバッグを作ることそのものを目的にすると、

一番大切な子どもを見失うぞ、と。

 

子どもが自分で「やりたい!」と思ったものを選んで、何度も繰り返す、

その過程で「結果として」集中力や決断力が育つ、のであって、

 

だから子どもの自己選択と繰り返しの自由を邪魔さえしなければ
活動そのものは何でもいいんだよ。ハートバッグにこだわらなくても。

(自分や人や物を傷つけることでなければというのは大前提で。)

 

活動の一つとしてハートバッグがあるだけで、
それをたくさん作ること=集中力がつく!だからうちの(園の)子にもさせなきゃ!
ってなったらもうその時点で大間違い。

 

大人がしてほしいことを子どもにさせる、その時点で、

子どもがもともと持っている自然な発達の力をサポートする

という大人の役割から大きく外れてるから。

 

もちろん、活動の選択肢が一つ増えるというその程度の意味でハートバッグの活動を準備することは、まったく問題ないし、特に反対もしないけど、「ハートバッグのお仕事、出しましょう!やらせましょう!」みたいになってる大人には、まぁとりあえず落ち着けと伝えたい。


それ、子どもが本当にやりたいと思ってる?大人がやらせようとしていない?

子どもを受け入れる前に、大人がしなければならないこと

昨日でコースの第一期が終わりました。
気づいたらアルバム2冊できとるがな…!
なんつーハイペース。

(アルバム=自分で作る教科書、みたいな解釈です。講義の内容や調べたことを全部アルバムにいれます。1冊150~200頁くらいです)

最後の授業の日の、先生からのメッセージ。

「全員と面談して気づいたことがあります。皆、自分の出せるすべての力を出しきって、今日の日までたどり着きました。

だけど、『私はこれを出せていない』『私はこれしかできなかった』という否定的な感想が多く聞かれました。

ここにいるみんな、誰一人として、自分の力を出しきらなかった人はいません。皆がそれぞれにベストを尽くしました。

そのことを、あなたたち自身がもっと受け入れて、自分で自分を労ってあげてほしい。自分で自分のしたことを、『私、できたじゃない!』としっかり認めてあげてください。

それが、幼い子どもに携わる私たちがするべき最初のことです。子どもを受け入れ、認めるには、私たち大人が自分自身を受け入れ、認める必要があります。そのことを忘れないで。

あなた方は本当によく頑張りました。」








だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(心の涙腺崩壊)








本当に、いい先生に出会えたなぁ。

子どもを受け入れるなら、まずは自分自身を受け入れること。

大事だなぁ。



次にお会いできるのは3月です。
それまで頑張ろう。

思い通りに動く手は、一生ものの財産である。そしてそれを作るのは、乳幼児期である。と言うお話

さて、モンテッソーリ教師0-3コースも、第1期折り返しに入ってきました。

私が最も危惧していた、裁縫系の課題が既にこの第1期に盛り込まれていて、死ぬかなって思ってたんだけど…

 

できてる!着々とできあがってるよ!いろんな人の助けを借りて!!!(感涙)

 

トッポンチーノが1日でできあがるなんて、私のレベルでは信じられない!!!1ヶ月くらいかかる予想だったのに!!!(鼻で笑って下さって結構ですよ~えぇえぇ)

 

同時進行で今、運動(動き)のレクチャーを受けていて感じること。

裁縫系だけに関していえば、私のレベルは3~5歳児あたりなんだな~と感じてます。あかね子どものいえに勤めていた時も、うすうす気づいてたけど。むしろ5歳児には抜かれたけど。

筋肉って、脳からの指令で動くんですけど、ザックリ言うと「体験が多い・繰り返しが多い動き」に関する神経系ネットワークは、保存されて強くなるんですって。そして、一度保存されたものは消えないから、時間をおいてもまた同じ動きがすぐにできるようになると。

逆に、体験が少なくてあまり使われない動きのネットワークは、「あ、これ要らないのねハイハイ」って感じで、弱くなって消去されるそうなんですよ。

おそらくこれが私の裁縫系の動き。体験が少なすぎて…保存されてなかったな…そして苦手意識によって大人になっても体験しようとしない悪循環…いやこれは自分の問題だけど…っていうか親のせいにしてるわけじゃなくて、小さいころから目が悪かったから、細かいことさせなかったっていう親の愛はむしろありがたいです…

 

手が思い通りに使えないって、ものすごいコンプレックスなんです。分かる人にはわかるかな~わかってほしいな~

今回の裁縫系の課題も、私があまりにも死んだ顔してたから、クラスメイトのみならず先生まで直々にお手伝いして下さって、

できあがったのを見せに行ったら、「やったわね!すばらしいできだわ!周りのちょっとの助けで、自分でできたじゃない!やればできるのよあなたは!」みたいなハイテンションでめちゃくちゃあげてくれようとしてるのに、

 

(え、いや、だって自分でやったっていうより、他の人いなかったら無理だったし…すんげぇ時間かけて頑張ってもこの出来栄えだし…そんな無理に褒めてくれなくてもいいし…どうせ自分一人じゃできないし…)

 

みたいな感じで、自分の中のネガティブ感情がどうしても拭いきれない嫌な感じになってます。裁縫コンプレックス半端ねぇ。(暗)

 

まぁでもこれは、個人の性格の問題もあるかな!!!(開き直り)

 

とはいえ、今の自分に(裁縫で苦戦するの分かってたから、先に自分の講義ノート貸しまくって恩を売っておいて、その子たちに手伝ってもらったというまぁまぁ計算なコミュニケーション術でカバーするあたりも含めw)結構満足しているので、

もし戻れるならこの時期に戻ってこうしたい、みたいなのはあんまりないほうなのですが、

 

あえて挙げるとするならば、乳幼児期に戻って、手をたくさん使うことをしたいかな~

 

そして「生涯、自分の思い通りに動く手」をゲットしたいものです。

 

時すでに遅しだけど。だからモンテッソーリに興味持ったんだけど。と言う意味ではOKかな?っていう、最終的にポジティブw

 

 

 

怒涛の0-3コース

えっっちょっと前の記事から1ヶ月経ってる!恐ろしい!!!

 

5月8日からモンテッソーリ教師養成コースがスタートして早3週目。

どんな修行だよレベルの課題に追われる毎日ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。ノートがすでに3冊目だ…1週間に1冊…それを毎週末まとめて提出するっていう苦行…じゃなかった修行…眠い。

 

でもでもでーもー、とっても楽しいです。

3歳までの子どもってすごい。という深い感動と、やべっ知らなかったからあんなこともこんなこともやってたごめんっていう自己反省と。

45人のクラスメイトも面白い人たちばかりで(余談ですがこのブログを読んでくださってた方がいて、今思いっきり意気投合中ですw)

何より先生のお人柄がすばらしい。ご自身のモンテッソーリ教師としての体験、4人のお子さんの子育ての体験、さらにご自身が育ってきた過程のお話を交えて、モンテッソーリ理論を分かりやすく面白くまじめにお話ししてくださいます。いやーもうめっちゃ好き。

 

というわけでいろいろ書きたいことはいっぱいあるのに時間が全く追いつきません。でもいつか必ず書くってことを今いくつかメモしてるからちょっと待っててあーもう早く書きたいよぅー

 

「結果、そうなったその過程」と、「最初からそこを目指すための手段」は、見た目は同じでも中身が真逆

やけに長いタイトルで、しかも何言ってんの唐突に 
という感じですみません。


モンテッソーリ園で働いていると、少なからず

「この子を医者にしたいんですよ。
 だからここ(モンテッソーリ)を選びました」

的な保護者の方がいらっしゃいまして、

私個人的には、そういうのを聞くたびに
(あぁ…↓↓↓)ってなってしまうのです。



ここで、医者の話とは全く関係なさそうな最近のニュースをひとつ。


headlines.yahoo.co.jp


14歳の藤井少年が、羽生さんに勝ったという
将棋素人の私でも「すご!」って思えるニュース。

どうやらこの藤井少年は、たまたま近所にあったモンテッソーリ園に通っていたようなのです。ソースは夫が定期購読している将棋世界

その記事を読み進めると
「幼少期からひとつのことに熱中することが多かった。ハートバッグを100個以上作り続けたり、ビー玉を転がす木のおもちゃで一日中遊び続けていろんなコースを考えたり」
的なことが書いてありました。

ハートバッグはこちら↓
モンテッソーリ ハートバッグ - Google 検索


その後、5歳で将棋に出会い、のめりこんでいって
今の快挙があるようなのです(まとめ雑過ぎ!)。


ここからは私の推測含む感想です。

私はこれは、
モンテッソーリ園も含め、環境が整っていたから
結果的にプロ棋士になった」タイプの育ち方だと感じました。


まず感じたのは、
子どもがひとつのことに異様に熱中しているときに
周りにいる大人は、常に温かく見守っていられるだろうか。
ということ。

私が親の立場だったら
「いつもいつも同じことばっかりやって…
 たまには他のこともしたら?」
的なことをつい言ってしまいそうだな、と。

きっと藤井君の通っていたモンテッソーリ園の先生も
お父様お母様をはじめご家族の方々も
そういうことはおっしゃらなかったのだろうな。

邪魔が入らない環境があったから、
ひとつのことに没頭できたんだろうな。

その没頭できるものが、たまたま将棋だった。
そして没頭し続けた結果、14歳(最年少)でプロ棋士になった。

という話なんだろうな と感じました。


で、冒頭の
「子どもを医者にさせるために」モンテッソーリを選んだ
という話に戻りますと

これは、
「最初からある目的があって、そこをめざすために手段として」モンテッソーリ活動をする
という発想だと思います。


これも私個人の感想ですが、


モンテッソーリの考え方と、すでに真逆なんだよなぁこれ。


モンテッソーリ教育の考え方は

「子どもは球根のようなもので、その中にどんな可能性を秘めているか、例えば何色の花を咲かすかは、私たち大人が周りからその球根そのものを見ても決してわからない。
私たち大人ができるのは、その命が育つ邪魔をしないこと
どんな花を咲かせるかは、あくまでもその邪魔しないという過程を積み重ねた上での結果でしかない」

というものです。


子ども一人一人、好きなことキライなこと、得意なこと苦手なこと、それぞれ違うというのは、わかりきったこと。

なのになんで、子どもの人生のゴールを、親が勝手に決めちゃうのかなぁって。

子ども自身が「向いてない…」って感じたとき、
「こんなことやりたくない…」って思ったとき、
そのSOSを、“子どもを医者にしたい”と願う親御さんは、果たして感じ取れるんだろうか。

というか今まで出会った親子の中で、「子どもを〇〇にしたい」タイプの親御さんを持つお子さんは、幼少期にすでに何らかの形~暴れたり、逆に黙りこくったり、ウソをついたり~でSOSが出てるな、と感じてたけど、

親御さんはそれを果たして分かってるだろうか。
分かってたとしても受け入れられるんだろうか。

もちろん中には、「親の言う通り医者になって今幸せです」っていう人もいるだろうから、それは素敵な結果だと思うけど、でもそれはあくまでも「結果として」よかったね、というだけの話。

などと悶々と考えてしまい、(あ~ぁ…↓)となってしまうのです。


子ども本人が持っているものと、周りの環境とが合致すると
その子らしくのびのびと、幸せな形で社会に立っていける。

というのは、藤井少年を見ていると感じますね。
インタビューとか読んでも、幸せそうなんだ…いいよね…こっちも幸せになる…


私の中では、子どもたちが幸せになるお手伝いをするためのモンテッソーリ


日本では英才教育、早期教育ととらえられがちなモンテッソーリ教育ですが
本当の意味でのモンテッソーリが少しずつでも浸透していくといいなぁ…(切実)

モンテッソーリを知らない方からの質問に答えてみる ベルの音編

モンテッソーリ園では、ある活動から次の活動にうつるときに
小さなベルをチリンと鳴らして、お知らせをします。

というのを、あまり何も考えずにやっていたんですけど。

「なんでまたベル?犬じゃあるまいし」

という感想を、モンテッソーリを導入しようとしている園の先生から頂いた
と友達から報告があり、
改めてその意味を考えさせられています。
犬か…う~ん。


ベルを使わないシチュエーションだと、

「〇〇ぐみさん、つぎは~のじかんです」

と声で伝えることになると思うのですが、

子どもがそれぞれの活動をしている空間というのは
ある程度ざわついています。

そのざわめきの中で、大人の声をもって伝えるというのは
大人が、子どもたちのざわめきよりも大きな声を出さないと
届かない、ということになりがちです。
(実際、そうやって大きな声で次の指示を出すというイメージが
保育士や幼稚園の先生にはあるのではないでしょうか)


団体の声の中の、ひとりの声というのは、予想以上に通りません。

でも、ベルを小さくチリンと鳴らすと
声とは違う音に、皆ハッとして静かになり、音のした方を見ます。

その静かになった一瞬で、次のことを伝えると、
声を張らなくても、普段通りの声の大きさで
全体に伝えることができます


次のお知らせをするときに限らず、
モンテッソーリの先生は
大きな声を出すことがほとんどありません
叱ったり、注意したりするときでさえも。
(と書きながら日々の自分を反省しています。今日も…あぁ)


それは、子どもを人として尊重し、
子どもの集中を何よりも大事にしているから
だと思うのです。


ひとつめ。
大声を出さないことが
子どもを尊重することにどうつながるか。

突然の大きな声というのは、子どもにとって、時には大人にとっても
心の暴力となりえます。

大声を出している本人はそのつもりはなくても
「あのせんせい、いつもおこってていやだ」
と言われることもよくあります。

不要に大きな声というのは
子どもを不要に驚かせ、委縮させたり、逆に反発させたりします。

それはとても自然な反応だと思います。

「そんな大声で言わなくても、わかるよ!」

という気持ちの表れだと思うのです。

その子だけに聞こえる声で、ゆっくり、分かりやすい言葉で伝えることを努力するだけで
どれだけ子どもが安心できるか。

子どもの安心を大切にするということが、子どもを尊重するということにつながってきます。


ふたつめ。
子どもは、自由に選んだ活動を通した「集中」によって変わります

montessorilover.hatenadiary.jp


どう変わるかというと、
その子が本来持っているいい部分が、表に出てきます

集中によるいい変化をとても大事にしているから
おしごとと呼ばれる、自由選択活動の時間の終わりを知らせるとき
集中を妨げないように、
大声を出す前に
一度ベルの音で「これからお知らせをしますよ」
ということを伝えるのだと思います。


だから、ベルじゃなくても
例えばオルゴールでもいいと思うんですよね。
ベルが犬っぽいと思うのならば。

実際、海外でモンテッソーリの資格を取った先生で
オルゴールを使用している方もいます。


ベルやオルゴールを使うのは「大声を出さない」ため。
「なんで大声を出さない方がいいのか」
というところが、モンテッソーリをこれから学ぶ方にも、実体験的に分かってもらえたらいいなと思います。