モンテッソーリloverのブログ

モンテッソーリ大好き教師の綴りごとです。

0〜3歳と3〜6歳の違いって何?

という質問を、0〜3コースの同級生からされて、
即答できずに(苦笑)あれこれ考えながら話しているうちに、
ひとつ私の中で明確になったことを
今回は書き記します。


大きな違いは「意識の差」と「他人への関心度」。


0〜3歳は、まず、無意識的です。

より正確には、無意識の状態から
行動の中に少しずつ「意図」が出てきます。
でもそれは、意識と呼ぶにはまだ弱いものです。
フォーカスが当たるのは「すぐ目の前のこと」です。
だから、次から次へと興味が移ります。
今さわっていたものを放り出して、次のものに向かいます。興味が移ってしまえば、今やっていたことを、もう次の瞬間には忘れてしまっています。

以前にも書きましたが
(そして大切なポイントなので今後も何度でも書きますが)
とても自己中心的な時期です。

無意識の中から湧き出てくる意図は、
全て自分本位のものであり、
他人のためのものではありません。

自分が興味を惹かれたから、する。
他の人が使っていようが、他の人のものだろうが、そんなことはおかまいなく、私がやりたいことをしようとする。

これは脳の発達によるもので、性格が悪いとか、そういうことではないのです。
生まれ持った気質によって現れ方の違いはあれど、2歳半〜3歳過ぎ頃までは、全ての子どもが「自分が中心」です。
「人の気持ち」の存在に、まだ気づいていないのです。

一見「人のため」に見える行動も、
たまたま自分がやりたいことが、他人の喜ぶことと重なっただけであり、
「この人のために何かしよう」という純粋な他人への貢献の気持ちは
もう少しあとに出てきます。


このような、自己中心的かつ意図的な行動の積み重ねから
だんだんと強い意識が出てきます。


これが、3〜6歳の特徴「意識的」です。

より具体的には、3歳より少し前、2歳半頃から、
「これをやろう!」「これがやりたい!」という強い意識が湧き出てきます。

そのときに、ちょうどよい道具や適切な手助けさえあれば、
自分でやると決めたことを
どうやろうか考えながら、進めていくことができます。
それまでの体験にもよりますが、
最後までやりきる力もついてきています。

そして最後までやりきることができたら、
この体験を土台に、次の新しいことにもチャレンジできるようになっていきます。

さらに、脳の発達が進むことで
他の人の気持ち、というところにも
意識が向くようになります。

純粋に「人の気持ち」を感じたり、「人のため」に行動したりできるようになってくるのは、
3歳をだいぶ過ぎてから、多くは4歳前後です。


この違いをふまえた上で、
子どもの同じ行動に対する、大人の対応の違いを考えてみると、

例えば、おもちゃを取り合って、他の子どもを叩いてしまったとき。

すべての子どもに共通するのは、
「使いたかったの?」
と、まずその子の気持ちに共感すること。
言葉が拙い時期の子どもなら、自分の気持ちを再認識して、言語化することにもつながります。

その上で、0〜3歳の子どもだったら
「○○くん、取られたら泣いちゃったね。イヤだったんだね」
と、見えている事実と、相手の気持ちも代弁して伝えます。
人の気持ちにはまだ気づいていませんが、
だからこそ、その存在を知らせ続ける必要があります。

そして
「人は叩かないよ」
「『貸して』って、言葉で伝えようね」
というシンプルなルールのみを、繰り返し伝えます。


この体験を積み重ねた3〜6歳の子どもであれば
「どうして取ったらいけないんだっけ」
「どうすればよかったと思う?」
という問いかけが、ここで初めて有効になります。

それまでの体験と脳の発達度により
「自分が使っているものを急に取られたらイヤな気持ちになる」
「今、目の前の相手がそのイヤな気持ちになっている」
「急に取る代わりに、どうしたらいいか」
が分かってきているからです。

この問いかけは、3歳前の子どもには、ほぼ無効です。何度でも書きますが、脳の発達によって「自己中心的」なのが自然な時期だからです。
だから見えている事実と、シンプルなルールだけを、いつも新鮮に何度でも繰り返し伝える必要があります。

(もし、3歳までにこの体験が乏しければ、3歳を過ぎていてもここから始める必要があるかもしれません。)


こういうことを私たち大人が知っておくのは
子どもにはもちろん、
私たち大人にとっても大きな助けになります。

知らないが故に
争わなくていいところで争って疲弊することが
だいぶ減らせるからです。

もちろん、分かっていてもできないときはあるのは、重々承知の上ですが
それでも「子どもの発達の順番や、その違いを知る」ことは、助かることのほうが多いと私は感じています。

(そして個人的には、「分かっていてもできない!」というときは、子どもとの直接的な関係ではなく、大人が別のところで満たされていない原因があることが多いように思えます。)


私は3〜6歳を学んでから、今回の0〜3歳を学んだので
3〜6歳の知識だけで、いろいろ理不尽なことを0〜3歳の子にしてしまっていたなぁ、、、
と反省は尽きません。

そして「0〜3歳と3〜6歳の違いって何?」と尋ねてくれた、0〜3歳を先に学んでいる同級生が、少し羨ましくもあります。

もっとも、その同級生も、自身の子育てのときは知らなかったから、もっと早く知っていれば、、、という思いはあるようです。

だからやっぱり、知ることは大切で、知った時点でそこから少しずつでも行動に反映させていこうとすることは大切なんだなあと思います。


明日から教育実習なので、今書いたことも含めて、いろいろなことを子どもに教えてもらおうと思います。
(緊張で寝られないのですがとりあえず早く寝ましょう)

子どもの望ましくない行動と、大人を切り離して考える

前回、「次回はこれ↑について書きます!」と断言して早云ヶ月。
時の流れって残酷。。。
結果、いつも予告詐欺う~~~すみませんすみません。。。


「0~3歳の子どもの、望ましくない行動と
大人を切り離して考える」

これには、段階が2つあると私は思ってます。

第1段階は、
目の前の、もう何をどうやっても
どうしても言うことを聞かない、
かんしゃくを起こしている子どもに対して

「この子は、私とは違う、別の人間だ」

という、当たり前だけど忘れがちな事実を受け入れること。

強い責任感や世間体からくる感情だと思うのですが
私の子ども、だから言うことを聞かせなきゃ!とか、
私のクラスの子ども、だから言うことを聞かせなきゃ!
ということではなく


私ではない、違う人間だから
私とは違う感じ方、考え方をする、
私と違う意志がある
まったく別の人間だという
基本的な気持ちに立ち返る。


これができると
どうしても言うことを聞いてもらいたい!
という大人側の意固地な気持ちが
少し和らぐかもしれません。
目の前の子どもをコントロールしよう!
という気持ちを
少し手放せるかもしれません。

そしてふと、冷静になったときに
「私の言う通りにしなさい」というのは
おこがましいくらいのことに感じるかもしれません。


でもここで終わってしまっては
単なる「放任」になってしまいます^^;
子どもの存在を尊重するあまり
子どもの良くない行動を放任してしまうのは、また違うと思うのです。


目の前の子どもを、個の人間としてとらえて、尊重するのが
「子どもの望ましくない行動と
大人を切り離して考える」第1段階
だとすると、

第2段階は、
目の前の子どもを
自分とは異なるひとりの人間として受け入れたうえで

「それでも、一緒に生きていくためには
どうしてもできないことがあるんだよ」

という生きていくうえで必要な【制限】を、淡々と伝えること。

この制限は、
①自分を傷つけない
②人を傷つけない
③物を傷つけない

という、人として生きていくために最低限必要なもの。

車が多い通りを歩くときは、つないだ手を離さない。
車道に飛び出さない。
エスカレーターやエレベーターで遊ばない。
お店の中を走り回らない。

お友達の使っている物は取らない。
人をたたいたり蹴ったり噛んだりしない。
気持ちを傷つけることを言わないようにする。

お店のものを勝手にさわらない。
物をわざと投げたり落としたり壊したりしない。

家庭でも、公共の場でも
人の間で、人と共に生きていくためには
さまざまな制限があります。


子どもがどんなに泣いてもわめいても暴れても、
その制限を
「やりたいんだね、わかった。でもね、できないんだよ」
と淡々と伝え続けることが
「子どもの望ましくない行動と、大人を切り離して考えた」上で必要な2段階目の行動です。

 
この制限は、第1段階が抜けてしまって
子どもに言うことを聞かせよう!という気持ちが強くなりすぎると
単なる「罰」になりがちです。

第1段階の「人として尊重する気持ち、相手への愛」
があってこそ
この第2段階の【制限】が生きます。


第1段階:目の前の子どもは自分ではない。全く別の人間として、尊重する。
第2段階:そのうえで、愛を持って制限を伝え続ける。

・・・難しいんですけどね。
何が難しいって、自分の揺れる感情を一定のところに保つのが。

でも自分の気持ちの整理のためにも
書き残しておきます。
(たまに読み直そう…)

子どもの育つ力を信じるということ

国際モンテッソーリ教師養成コース(0-3歳)も第3期に入りました。
アラスカからいらした新しい先生をお迎えして
毎日楽しく学んでおります。
いやホント楽しい。嬉しい。


で、今回いらしたアメリカ人の先生も、第1期のイギリス人の先生も
何度も強調していることがあって、
今、私の心にとても染み入っているので
それを書きます。


3歳までの子どもに関わるとき、
私たち大人が、強く信じなければならないことがあります。

それが、子どもの吸収するはたらきの力

(「吸収するはたらき」に関する記事はこちら↓)
montessorilover.hatenadiary.jp
montessorilover.hatenadiary.jp
montessorilover.hatenadiary.jp



最近読者になった方々(ありがとうございます!)で
過去記事読むの長いしめんどくさい方wのためにざっくり説明すると、

生まれてから3歳までの子どもは
周りの環境にある物事を
スポンジのように区別なく、無意識のうちに吸収して
自分の人格を作る材料にしています。

具体的には、
・動き(二足歩行できるようになるのは、周りに二本足で歩いている大人がいるから)
・言葉(母国語や方言を3歳までに獲得するのは、周りでその言葉を話す大人がいるから)
・文化(家族特有の癖、習慣や、子どもが属するコミュニティの文化)
などが挙げられます。

もっと具体的に言うと、
特に3歳までの子どもは、
大人が言ったことよりも、やったことをそのままそっくり真似します。

だから例えば、
「挨拶できるようになってほしい」と思うなら
「挨拶しなさい!こんにちはは?」と頭を無理やり下げさせるよりも
自分が挨拶する姿を見せる方が断然効果的です。

「ごめんねって言ってほしい」と思うなら
「ごめんねしなさい!」と怒るよりも
どういうときに、「ごめんね」を言うか、大人がして見せる方が効果的。

「片づけしてほしい」なら
「片づけなさい!」よりも
「使ったら戻そうね」と片づける姿を見せる方が効果的。


そしてここがポイントだと思うのですが、
これらのことは、
「今すぐ、この場で」できるようにならなくてもいいのです。


「この子はいつか、今見ていることを、するようになるだろう」
という長い目で子どもを見守り
子どもにしてほしいことは淡々と繰り返して見せてあげて
してほしくないことは極力しないように努力する。

これが0-3歳の子どものそばにいる大人がすべきことです。

なぜなら、私たち大人もまた
子どもに吸収される「環境」だからです。


3歳までの子どもは、とても気まぐれです。興味の対象が次々に移り変わります。
それに加えて、1歳半頃からの自我が芽生える時期は、何を言っても「イヤ!」と返されます。

それまでおっぱいを母親からもらい、身体も心もほぼ一体化していた赤ちゃんが
身体的にも心理的にも少しずつ母親から離れて
「あれ?私とママは、違う存在なの?」
ということに少しずつ気づき始めます。
それを確かめるための「イヤ!」でもあります。
(ほかにもいろいろ理由はありますが、大元はこれだと考えると納得いきます)

そしてとても自己中心的です。
自分という存在に気づいたら、その子の世界は、その子の感じることが全てです。
他の子や大人がどう感じているか、違うことを思っているなんて考えも及ばない時期です。

という気まぐれ、いやいや、自己中の3拍子がそろった時期に
(…我ながらひどい書き方だな)

「今すぐ、この場で、これをしなさい!」

と命令することが、はたして効果的なのかどうか。
答えは明らかです。


モンテッソーリ博士が世界中の子どもを鋭い観察力で見てまわって発見したのは
子どもの育つ道筋です。

子どもの育つ道筋は、生まれる前から、自然から与えられたもので
大人が子どもの内側に入って、育つ道筋の順番を変えたり、コントロールすることはできないのです。

私たち大人ができるのは、
子どもの育つ道筋をよく理解することと、
その道筋に沿った環境を準備することだけ
です。


それができないとき、
つまり子どもの発達をよく分からず、
発達に合った環境も準備できないと
子どもからの反発という形で「できてないよ」と教えてもらえます。


子どもの育つ道筋の中でも
3歳までの「無意識な吸収のはたらき」はとても特徴的です。

この力を信じられるかどうか、
「目の前の子どもが、
いつもして見せていることを吸収して、
それを材料に自分を作って
それが表れる日が必ず来る」と信じられるかどうか

がとても大切です。



これは家庭のお父さんお母さんもですが、
3-6歳のモンテッソーリ教師の資格だけを持っていて
0-3歳のクラスを受け持っている先生が
特に心がけなければいけないところだと思います。
(0-3歳の教師はまだまだ足りなくて、モンテッソーリ園でもこういう園がたくさんあります)


…私も、やっちまってたなぁ~~~~
「今、かたづけなさい!」
とか
「「ごめんねでしょ!」
とかさぁ。あぁあぁあぁ。ごめんね過去の子どもたち。私の修行が足りなかったよ。


この苦行ともいえる修行を楽にすべく
「子どもの望ましくない行動と、大人を切り離して考える」
という話もセットでしてもらえたので
次回はそれだ!!!お楽しみに!!!
(謎のテンションで終わる)

反抗期について、思うこと。

私は、子どもと大人の関係は、

本当にベーシックな部分は、

大人と大人の関係とあまり変わらないと思っています。

 

特に、

「相手がイヤだと感じることは、しないように努力する」

という点においては、相手が大人でも子どもでも同じ。

 

それが、人と人が共存していくうえで、大切なことだと思っています。

 

けれど、私たち大人は無意識のうちに

子どもが嫌がることをしてしまいがち。

 

しかもそれを

「(将来の)あなたのために」

という文言で、正当化することも少なくありません。

 

 

そうやって大人がしたことに対して子どもが嫌がって怒る、

例えば

「うるさい!」「分かってる!」「今やろうと思ってたのに!」「あとで!」

などと返されることが続くと

その子どもは「反抗期」だとレッテルを貼られてしまうことも

少なくありません。

 

でも、大人が子どもにしていることが

子どもを怒らせているのなら

それはその子にとって、本当にためになっているのでしょうか。

今、その子に、本当に必要なことでしょうか。

もしかしたら、よけいなことなのではないでしょうか。

 

もしこれが、

・上司と自分

・姑と自分

だったら、

 

上司や姑が言っていることは常に正しくて、常に自分のためになっている

と思えるでしょうか。

 

大人なので相手に直接は言わずとも、

心の中で

「うるさいな」「今からやろうと思ってたのに」「こっちにもペースがあるんだよ!」

と感じること、少なくないのではないでしょうか。

 

 

こんなことを書いている私も、

クラスの子どもを怒らせてしまったことは何度もあります。

そして私がその子どもの態度に

カッとなってしまったことも、何度もあります。

 

でもそれらを振り返るといつも

 

(あぁ、私はあのとき、あの子にとってよけいなことをしたんだな。)

 

(何がよけいだったかな。言い方かな。タイミングかな。

 それとも、言ったことそのものかな。)

 

(私は、未熟だったんだな。

 私はあの時、目の前の子のありのままを、受け入れられていなかったんだな。

 あの子は、それを怒るという形で、教えてくれていたんだな)

 

という思いばかりがでてきます。

 

この子、反抗期だな。

と自分が感じたときに、自分に問い返したいのは、

 

将来こうなってほしいという子どもの姿ばかりを、追いかけ過ぎて

今、目の前の子どものありのままを、受け入れることができていないのではないか

ということです。

 

将来の子どもの理想像を追いかけるということは

今の子どものありのままの存在を、否定しているのと同じ。

 

だから子どもは、人として怒るのだと思います。

 

「あなたがこうしてほしいと思う私と、

私である私は、違う!」と。

 

 

反抗期という言葉で、

自分の言うことを聞かない子どもをひとくくりにするのは簡単です。

でもそれは

相手の気持ちや立場を想像する

相手の意見を聞く

などの

人としての基本、より良い人間関係を築くための基本に

立ち返る機会を、奪ってしまうことと同じです。

 

 

子どもも大人も

嫌なことをされたら怒るのは同じ。

 

当たり前のことですが、つい忘れがちなことを

心のどこかにいつも留めて

相手が大人でも子どもでも

信頼し合える人間関係を築いていけたらいいなと思います。

子どもの人格形成サイクルを体験

皆様、今年の夏はいかがお過ごしでしょうか。

私は短期集中講義期間が終わり、今は観察実習期間です。ほぼ毎日子どもを観察し、帰宅後その記録をつける日々。

そんな合間に、できました~。


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じゃーん!
キッキングボール!


じゃーん!ってほどのものでもないんですが、
私の中では、これができあがったという体験そのものが宝。


以前にもちょくちょく触れてますが、
私、大の裁縫嫌い。でした。


どのくらい嫌いかというと、
まぁアレルギーみたいなもので、
裁縫と聞いただけで顔面蒼白全身硬直、
実際に針を持てばさらに硬直(マジで)、
全身運動ですか?ってくらい冷や汗と脂汗まみれになり、
終わる頃には全身ぐったり状態。
(たぶん0~3コースの同級生はこの有り様を目にしています)


そんな感じだったので
今だからぶっちゃけますと、
3~6歳のモンテッソーリ教師の課題、
裁縫系はほとんどお母様にやっていただきました。
その節は大変お世話になりました!


でも、今回はひとりでこれを作り上げたのです!
ブラボー!やればできる子!
(作り方をアドバイスしてくれたお友だちのおかげでもあります)


写真見てもらったら分かるんですが、はっきり言って縫い目はガタガタ、布にも妙なシワが寄って、見た目にはお世辞でもお上手とは言えないレベルのものではあります。


が。


それをカバーしてありあまる、この達成感よ…半端ない…すごい…


そしてなんと、ただいま2個目の製作にかかっております!\(^^)/


このあたり、ほんと幼少期の子どもと変わらないと我ながら思います。

今回は課題きっかけとはいえ、
可愛い布を買ったことで

数ある課題の中から(別にキッキングボールじゃなくてもよかったのです)
「これをやりたい!これやる!」という気持ちが自分の中に芽生え、
やり方をゆっくり見せてもらい、
自分のペースで誰にも邪魔されずにじっくり進め、
いつしか没頭し、
できた!
→またやりたい!
今度は作り方が自分で分かるし、仮に分からなくなったとしても人に聞けばいいし、もう一度やったら1回目より上手にできるかもしれない


というサイクルが生まれました。


(周りの環境の中にきっかけがあって)自発的な意欲、自己選択
→(周りの人からの提供を受けて)試行錯誤しながら自分のペースで(邪魔されずに)進める
没頭・集中
できた!という達成感と静かなる自信
もう一度やる!という繰り返しと向上心


このサイクルを通ると、
とにかく静かな自信というか、
自己肯定感とか自尊感情みたいなものが、
心のどこかでどっしり根を下ろす感じがするのです。


で、このサイクルにおいては、【手を使う】っていうのがポイントなんだろうと思うのです。
だって今まで、いくら机の上のお勉強ができても、どこか心もとない感じだったから、、、



そして今回、予期せずも子どもの立場になったことで、



・きっかけを与えられるような物の環境作り 
(布がお気に入りだったのが今回は大変大きい)


・子どもが興味を示したのを見逃さずに使い方を見せる
(やり方をアドバイスしてくれたMちゃんIちゃんありがとう)


・子どもがやり始めて、没頭し始めたらぜったい邪魔しない


・でも子どもが聞いてきたらちゃんと答える(ひとりで頑張りなさい、とか言って突き放さない)


・子どものできた!を共に喜ぶ


・子どもの「もう一回やる!」を邪魔しない



などなど、

大人側がどう手伝えばいいか
手を出す必要がないのはどこか

がさらに明確になりました。



あ、もしかして、そのための課題だった???

何度でも言う。モンテッソーリ教育はあくまでも子どもが育つプロセスであって、目的ではない。一番大切なのは、目の前の子ども。

藤井特需で、大人たちが(モンテッソーリ関係者ですら)こぞって

「うちでもハートバッグを!」

みたいになってるので敢えてあまのじゃく発言。

 

www.nikkansports.com

 

 ハートバッグを作ることそのものを目的にすると、

一番大切な子どもを見失うぞ、と。

 

子どもが自分で「やりたい!」と思ったものを選んで、何度も繰り返す、

その過程で「結果として」集中力や決断力が育つ、のであって、

 

だから子どもの自己選択と繰り返しの自由を邪魔さえしなければ
活動そのものは何でもいいんだよ。ハートバッグにこだわらなくても。

(自分や人や物を傷つけることでなければというのは大前提で。)

 

活動の一つとしてハートバッグがあるだけで、
それをたくさん作ること=集中力がつく!だからうちの(園の)子にもさせなきゃ!
ってなったらもうその時点で大間違い。

 

大人がしてほしいことを子どもにさせる、その時点で、

子どもがもともと持っている自然な発達の力をサポートする

という大人の役割から大きく外れてるから。

 

もちろん、活動の選択肢が一つ増えるというその程度の意味でハートバッグの活動を準備することは、まったく問題ないし、特に反対もしないけど、「ハートバッグのお仕事、出しましょう!やらせましょう!」みたいになってる大人には、まぁとりあえず落ち着けと伝えたい。


それ、子どもが本当にやりたいと思ってる?大人がやらせようとしていない?

子どもを受け入れる前に、大人がしなければならないこと

昨日でコースの第一期が終わりました。
気づいたらアルバム2冊できとるがな…!
なんつーハイペース。

(アルバム=自分で作る教科書、みたいな解釈です。講義の内容や調べたことを全部アルバムにいれます。1冊150~200頁くらいです)

最後の授業の日の、先生からのメッセージ。

「全員と面談して気づいたことがあります。皆、自分の出せるすべての力を出しきって、今日の日までたどり着きました。

だけど、『私はこれを出せていない』『私はこれしかできなかった』という否定的な感想が多く聞かれました。

ここにいるみんな、誰一人として、自分の力を出しきらなかった人はいません。皆がそれぞれにベストを尽くしました。

そのことを、あなたたち自身がもっと受け入れて、自分で自分を労ってあげてほしい。自分で自分のしたことを、『私、できたじゃない!』としっかり認めてあげてください。

それが、幼い子どもに携わる私たちがするべき最初のことです。子どもを受け入れ、認めるには、私たち大人が自分自身を受け入れ、認める必要があります。そのことを忘れないで。

あなた方は本当によく頑張りました。」








だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(心の涙腺崩壊)








本当に、いい先生に出会えたなぁ。

子どもを受け入れるなら、まずは自分自身を受け入れること。

大事だなぁ。



次にお会いできるのは3月です。
それまで頑張ろう。