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モンテッソーリloverのブログ

モンテッソーリ大好き教師の綴りごとです。

子どもを、ひとりの人間として尊重するということ

が根底にあるから、私はモンテッソーリをこよなく愛せるのです。


むしろこれが根底にあるならば、モンテッソーリに限らなくてもいい。
アドラー心理学だろうがイエナプランだろうが
ピースフル・スクール・プログラムだろうが、
とにかくどんなに小さな子どもでも「子ども扱い」せず、バカにせず、力で黙らせず、
ひとりの人間としてその思いや考えや言動を尊重できるなら、その手段は何でもいい

逆に、どんなに立派なことを謳っていても、
その陰で子どもをどついたり暴力をふるったり、大声でどなったり脅したりしていたら
それはもう、虐待です。
育っていく子どものそばに、いちばんいてはいけない種類の大人です。


というのを強く感じてしまうなぁ~最近のニュースを見ていると。
ねぇ森友さん。


で、残念ながら、とても残念だけど
体質としては、今の園も似通ったところがあるなぁと感じてしまうのです。


森友学園も今の園も、いや今の園は森友よりははるかにマシだけどそれでも、
大人の見栄や、大人が良いと思っていることの一方的な押しつけが最優先されているような気がしてなりません。

表向きではモンテッソーリを謳いながら、裏では食事中に絶対にトイレに行かせないとか、オムツが取れないと進級できないとか、子どもを人として全く尊重していないことをしてしまっているというのは、モンテッソーリを愛する者としては怒りしかありません。モンテッソーリがいちばん大事にしている、子どもの気持ちはどこへいった。


愚痴ついでにさらに愚痴ると、

年中さんの女の子で、気になる子がいます。
ちょっと注意されると、フリーズしてしまったり、パニックになってしまって泣き続けてしまう子がいるんです。

入園してからずっと気になっていたのですが、
先日お母さんがお迎えの時にぽろっと話してくれたことで、その理由が分かりました。詳しくはここには書けませんが。


で、そのことを園長に報告したときの第一声が

「それって、園の悪口とかではないんだよね?
おうちの中での話だよね?」

次いで

「先生、話聞いてあげて~」

で、終了。


結局、見栄か。
見栄えさえよければ、いいのか。

と、とってもガッカリしてしまいました。


前の職場だったら、
「〇〇ちゃんのこういう現状についてですが、おうちでこういうことがあるようです」
「それをふまえて、園ではどのように対処していきましょうか」
ということを丁寧にきめ細やかに話し合って
先生方全員で共有して、
ってことが当たり前だったんですが。

そんなことを今の園に期待した私がバカだった。
バーカバーカ(やけ)



5月から、もう一度、
子どもを一人の人間として尊重するということを学び直そうと思います。

絵本熱が、止まらない。

きっかけは、今の職場が開園したときに一冊も絵本がなかったので
BO●KOFF(隠れてない)を巡って100円か200円、高くても300円までの絵本や図鑑を買いあさったことなんですけども。

最初はそんなネガティブなきっかけで価格縛りで絵本を探しているうちに、
これが楽しいんだ宝さがしみたいで。あの山のような絵本の中からいい絵本を(しかもお安く)見つけたときのアドレナリンといったら。

えっ!この不朽の名作が100円でいいんですか本気ですか正気ですか後悔しても知りませんよ買っちゃいますからね的な出会いや
価格で選んだけどこれとってもいい絵本じゃない!今まで知らなかったのが悔やまれる的な出会いが満載で

購入して家に持ち帰った後、今の職場に持っていく前に自分の手元に置いて楽しみたいな…みたいな変な欲がでてきて
あまりにいい絵本だと見つけたときに同じのもう一冊買ったりして
さらに古巣(あかね)にも持っていきたくなってさらにもう一冊買ったりして

それも数冊でやめればいいのに出先でB●OKOFF見つけるたびに「ここではどんな絵本に出会えるかな♪」とか思いながら絵本コーナー漁ったりして(ひどいときには下の引き出しまでのぞく始末)


なんてやってるうちに気づいたら今現在、家に絵本が100冊以上あるな、今数えてみたら。あれ。おかしいな。
(注:筆者は子なし夫婦2人暮らしでございます)


あげくのはてに「絵本収納するスペースが足りない…絵本棚ほしい…」となって検索した結果、パソコン開くと宣伝バナーがおススメの絵本棚をガンガン勧めてくるというよくわからない状態になっている。(まだ購入までいっていないあたり最後の冷静さは失っていないと思っていますよ、えぇ)


と、ただ今絶賛爆発中の絵本熱ですが
爆発ついでにここで
「あまりにも気に入ったので複数冊買った絵本」
を勝手に紹介したいと思います。

いつも定価で買わず、絵本作家さんには申し訳ないことだよな…と常にうっすら感じているのでその罪滅ぼし的な意味も込めつつ宣伝も兼ねて。というのは建前で、ただ単に私が紹介したいだけです。


1冊目「はなをくんくん」

はなをくんくん (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

はなをくんくん (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

黄色い表紙が印象的なこの絵本。
中を開くとモノクロで描かれた森と動物たち。

冬の山で、何かのにおいを嗅ぎつけた動物たちが
少しずつ巣穴から出てきて
そのにおいのもとへ駆け寄ると…

最後のページの色使いに、もうそこまで来ている春への喜びを感じられます。
まさに今の季節にぴったり。


読み聞かせ対象は、3歳以降。
(1ページあたりの文章はすごくシンプルで短いので1歳~でも聞けそうですが、擬人化された動物が出てくるという理由で3歳以上にしています)



2冊目「ねむれないの?ちいくまくん」

ねむれないの?ちいくまくん (児童図書館・絵本の部屋)

ねむれないの?ちいくまくん (児童図書館・絵本の部屋)


まず絵柄に惚れ込む。優しい淡いタッチ。くまさんの目の描き方がまた優しさあふれる感じ。

夜、寝室の暗闇が怖くてなかなか寝つけないちいくまくんと、そのつど、言われたところを明るく照らし、ちいくまくんが怖がらないようにしてくれるおおくまさん。二匹のやりとりが愛情あふれていてユーモラスで可愛い。

それでもどうしても部屋のどこかに暗闇を見つけてしまい、怖くて眠れないちいくまくんにおおくまさんは…

夜眠る前の一冊におススメ。読み聞かせ対象は3歳以上。「はなをくんくん」よりは文章が長いですが、3歳なら聞ける量です。


3冊目「きょうは みんなで クマがりだ」

きょうはみんなでクマがりだ (児童図書館・絵本の部屋)

きょうはみんなでクマがりだ (児童図書館・絵本の部屋)

これはもともとあかねの保護者の方があかねに寄付して下さった絵本で、とても印象が強かったので自分用にも欲しいなと思ってたものの一つです。そういう絵本があかねにはわんさかあります。財産ですね…

クマ狩りに出かける家族一家。道中、さまざまな障害が立ちはだかりますが、それらを何とか越えてついにクマに遭遇!しかし…


繰り返しの文章、徐々に大きくなる擬音、交互に来るモノクロページとカラーページ、眺めているだけでとっても楽しい。声に出して読んだらもっと楽しい。日本語訳の力も大きいですねこれは。

そして今気づいたけど、さてはクマの絵本に弱いな私。

でもこの絵本に出てくるクマは全然可愛くないよ!w 
むしろ怖いよ!

というわけでリアルさも含め、対象年齢は2歳以上。リズムが小気味いいので2歳でも伝わると思います。


4冊目「トムとピッポ さんぽへおでかけ」

トムとピッポさんぽへおでかけ

トムとピッポさんぽへおでかけ

そしてどうやら私、このヘレン・オクセンバリーさんという画家が好きなようです。これも今気づいた。

何が好きってね、基本、目が点で描かれてるんですよ。点なのに、ものすごく表情が豊かなんです。全体的な印象としても、リアルなのに温かみがあって大好きな絵柄です。


冬のある日、お母さんと一緒にお散歩に出かけるトム。お気に入りのぬいぐるみのピッポも一緒に。途中ころんで泥だらけ、帰ってシャワーを浴び、暖炉の前で温かい飲み物を飲みます。

と、夫曰く「絵本ってオチないんだね!」という内容ですがw、そうですこの時期の子どもにはオチなんて必要ないんです。日常の小さなひとつひとつのことが、大きなできごとなんですきっと。

絵本を読み聞かせてあげるとき、大人はついそこに込められた教訓とか賞罰とかオチとか気にしてしまいがちですが、そんなの一切関係ない、日常のちいさな一コマを丁寧に描いた良書です。

お母さんにしてもらったことをそのまま同じようにピッポにしてあげるトムの姿がとてもいとおしいと同時に「吸収する時期の子ってこんな感じだよな…」と要らぬ専門的目線で見てしまい、でもそれはさておき、トムの可愛らしさとお母さんの優しさに心温まる一冊。



5冊目「いっぽ、にほ…」

いっぽ、にほ…

いっぽ、にほ…

これもお散歩にでかけた親子の本です。

これはねぇ…感覚の敏感期の子どもってまさにこんな感じだよね!という絵本です。

さらに言うと、この感覚の敏感期の子どもといるお母さんのスタンスがこれまた素敵ですね!という絵本です。

散歩に出かけても、見るもの聞くもの触るものすべて初めての子どもは、なかなか前に進みません。
この絵本のお嬢さんもおそらく家からそう遠くへは進んでいない様子。一歩進むたびに「みて!」「あれはなあに?」とお母さんに尋ね、知りたがり、時には何かの物音に聞き入って静かに佇んだり。

それでも「なんてたのしいおさんぽだったこと」「ありがとう、かわいいこ。いろいろなものをおしえてくれて」と女の子に伝えるお母さん。
その時期しかない子どもの目線で一緒に物事を楽しめるって、なんて幸せなんだろう…という気持ちになりました。


わーもうきりがないからこのへんで強制終了しますが、書いていてあまりに楽しかったので近いうちにまたやります。

自立=誰にも頼らず自分ひとりでやる ではない

「そっか!そうだよね!間違えてたわ私!今までの子どもたちごめん!」
ってなった、自立の本来の意味。
友達から借りたオランダの教育についての本の中にあった一説です。

本の中では、ひとり暮らしのお年寄りを例に、自分でできないことは周りの人に頼んで生活しているという自立の形を紹介しています。

そう、
自分一人でできないことを周りの人に頼んだり助けを求めたりできるのも
自立の形のひとつ

なんですね。

私が今まで持っていた「自立」のイメージはというと、

・自分のことは自分でする
・人の手をわずらわせない
・人に迷惑をかけない
・人に甘えない

みたいな感じです。
間違えてた~~~

いや、もちろん上に書いたようなことも自立の形の一つだとは思いますし、自分のことが自分でできたらそれにこしたことはないけれど、生活全般について人様を頼らないなんてことは人生において不可能。

それよりも、

「私は今これをやりたい」という気持ちがあって
「私は今これだけのことがここまでできる」ということが分かり、
「だけど、残りのここは誰かに手伝ってほしい」という意思表示ができ、
周りとコミュニケーションを取ることができて
周りの人の支えも受けながら目的を達成できる、そういう風に生きていける

ということも、「自分でできる」ことと同じか、もしくはそれ以上に大事なことだと思うのです。


と、ここで今まで過ごしてきた園での声かけを思い返してみると;

子ども「先生、できなーい!」
先生「できないから、なあに?」←と敢えて聞く。あくまでも愛をもって
子ども「…できなーい…???(やや戸惑う)」
先生「できないときはね、『手伝って(下さい)』って言うんだよ」
子ども「てつだって(ください)」

という一連のやりとりはまさに
自分ができないときに人を頼る力を育てる
ためのものなんだな、と改めて感じております。


子どもと一緒に過ごしていると「できない!」と子どもが訴えてくることがとても多いのですが、これはただ単に子ども本人の状況を伝えるのみの言い方であって、すごく冷やかな表現をあえてしてしまうと、言われているこちらからしたら「そうなんだ、できないんだ。だから何?」ということです。

もちろん大のおとなですから、「できない!=手伝って!」ということは百も承知しております。でもここですぐ手伝わずに、「できないから、どうしてほしいのかな?」とこちらがどうすればいいかをあえて聞くことで、自分ができないことを人にお願いするときの言い方を子どもが知ることができます。


同じことを訴えるでも言い方ひとつで印象が大きく変わるのは言わずもがな。
実際これは、言われる大人側の気持ちがかなり違ってきます。
子どもによく言われるトップ3をあげて言い方を変えてみますと;

「できない!」→「できない!…から手伝って(下さい)」
「~やりたい!」→「~をやりたいから、〇〇をちょうだい/下さい」
「〇〇!」(お絵かき、粘土、お水など、やりたいことや欲しいものの固有名詞のみ)
→「〇〇をちょうだい/下さい」

(最後の固有名詞だけを言われるとどうしても「どんな亭主関白か!」とツッコミたくなり、でもあくまでも心の中にとどめつつ笑いをこらえているのはここだけの話)


自立の意味を上のようにとらえていた私は大人になった今でも、というか大人だからこそ?自分が人に何かをお願いしたり甘えたり頼ったりというのが苦手なので、子どもと一緒にお願いのしかたを練習している日々という方が近い。w

自立のとらえ方が変わったことで自分の中の呪いも一つとけそうな気がする。

気持ちを整える

先日、古巣(あかねこどものいえ)に遊びに行ったら、まーそれはそれはおだやかな、愛に満ちた空気に満たされていて、心も身体も浄化されたような気分になりました。

そして改めて自分が殺伐とした空気のなかで過ごしていて、ものすごい邪気にまみれていることに気づいてしまったのも事実(^^;


「大人の方が、気持ちを整えて子どもに向き合うっていうのはとっても大事よね。
子どもの関係ないところで、大人どうしでバチバチやってると、人間だから自分のなかで感情は繋がってるでしょう、そうするとどうしても保育にも影響してしまうのよね。子どもと、愛に満ちた気持ちを持って相対するには、大人どうしの関係もとても大事なのよね」


と園長先生。
ほんと、そう思います…( ノД`)

自分でも気づかないうちに、殺伐とした気持ちで雑に子どもと接してたなぁと省みる。それでも今の職場の中ではマシな方(自分で言っちゃうのも何ですが)だというのもまた何とも言えず(^^;


いいパティシエになるにはおいしいケーキをたくさん食べてたくさん研究すること
まずいケーキをいくらたくさん食べても、いいパティシエになるには程遠い

というのを何処かで見たけれど、保育もそういうことなんだろうな~と感じます。
いい保育の場にいるだけで、そのいい空気感を吸収できる。

私はよくも悪くも周りの影響を受けやすいタイプみたいなので、今の職場の空気感の中に身を置くのはもう潮時なのかもしれません。
次はあかねみたいな空気感のところがいいな…いつでもどんな場面でも子どものことを何よりも大切に思っていて、先生方も皆、子どもの自立と成長のために尽力されていて、それが先生方のいちばんの楽しみで、つまり真の子どもファーストの園。


余談ですが、プロの保育者ですら気持ちを整えることが必要なんだから、子育て中の親御さんにももちろんそれが必要なんでしょうけど、子育て期間こそそれが難しいんだろうな、ワンオペ育児ならなおのこと、とも感じました。



気持ちを整える。かぁ~
大事。

集団遊びと自己中な時期の関係

あっという間に2月も半ば!早いね。早すぎる。何してた最近の私。おそろしい。


子どもたちも進級や卒園を控え、去年の4月から約1年たつ今、いろいろな成長を見せております。楽しい。


最近は、年長年中さんを中心に、「だるまさんがころんだ」「オオカミさん今なんじ」、かくれんぼ、鬼ごっこといった集団遊びが楽しめるようになってきました。


こういう「一定のルールがある集団遊び」が楽しめるのは、子どもたちを見ていると4歳~4歳半過ぎてからのようです。

逆に、3歳~3歳半頃までの「自己中な時期」には、こういう遊びはまだ難しかったり、あまりやりたがらない様子。学年で言うと早生まれの年少さんあたり。


まず自己中心的な時点で、ルールに従いにくい。
鬼になりたくない、次は私が鬼がいい、ルールを無視してそんなワガママなこと言ってたら仲間に入れてもらえません。ゲームが成り立たないからです。

この状態になると、
①「じゃあ私違う遊びする!やーめたっ」
と言う子と
②「誰も遊んでくれない~」
と言う子に分かれるのですが
②はフォローが必要です。
(①はいたってマイペースなので、ある程度は安心してみていられる)

フォローがないと(あったとしても)
「今日は誰も遊んでくれなかった」
的なことを親御さんに話すからです。

当然、親御さんは心配になって
「うちの子、こんなこと言ってたんですけど大丈夫でしょうか。
 いじめられてたりしませんか?

となります。

ここで親御さんへのフォローも必要になります。


自己中な時期が誰にでもあるということとその時期、
集団遊びというのは、実はその時期のお子さんには難しいこと、
集団遊びをするためには、自分がルールを理解して守れるようになることが必要なこと、
今あなたのお子さんはそのルールを守ることを遊びの中で実践的に学んでいる途中だということ
途中なので時には自分が我慢できなくなってルールに沿わない行動をしてしまい、他の子たちにはそれがワガママにうつってしまうこと
でも本人は、自分の行動が周りの気持ちを害してしまったことがまだよくわからないこと、
ルールを守って一緒に楽しく遊ぶ練習中なので、時にはこういうセリフも出てくるかもしれません、ということ
でもこういう中でルールを守るとか周りの人の気持ちも想像するという社会性が育っていくこと、
年少さんの間は誰でも(あなたのお子さんに限らず)多かれ少なかれこういうことがあるということ、

をお話するとたいていの親御さんは納得され、安心されます。


前の園でも私は年少さんの担当だったので
こういうことを話す機会は多かった気がする。

3歳半頃までは自己中心的な時期、その時期をみんな通って社会性が育つのはそれ以降
というのが普通に当たり前に知られるようになると
親御さんたちの心配も減るのかな~とずっと感じています。

オムツと進級の件

もー、サクッと書こうサクッと
もっとポジティブなこと書きたいし

「オムツが外れないと2歳児クラスにあがれない」
と言われた側の心理状況や発達段階を考えてみる。

1.子ども本人

まだ小さいから、自分だけ1歳児クラスに残らされてることが分からない=傷つかない

もしくは

「2歳児クラスに上がるためにトイレでおしっこがんばろう」って思う=やる気につながる

とか思ってたら大間違いなんだな

むしろ逆なんだな

2歳前後って自我が強くて自尊心がものすごく高い時期。
イヤイヤ言うのは
「私の考えもちゃんと聞いてちょうだいよ!あなたが勝手に決めないでよ!」
という自尊心の表れ。

そして大人が思う以上に、理解力がある。周りの人のこともちゃんと認識してる。お友達のお顔と名前も一致してる。ルールもそのつどだけど、認識できるようになっている。

だから突然、今まで一緒に過ごしてきたお友達と離されてしまうという状況、しかもその理由が「自分がトイレでおしっこできないこと」だというのは子ども本人がしっかり認識できてしまうし、そんなこと勝手に大人の都合で決められた日には自尊心がとても傷つく。

かといって、トイレでおしっこをするというのは、前にも書いたけど
・膀胱におしっこがためられる
・ズボンやパンツが自分でスムーズに脱げるようになる
・トイレに座るまでおしっこを我慢することができる
・トイレに座った時点で初めておしっこを出すことができる

とかいろんな条件をクリアしてやっと成功すること。身体の発達によるところも大きいんです。

それができないから進級できないなんて、子ども本人がどうしていいか分からない。
今まで過ごしてきた友達と一緒にいたいのにそれもできない。結果、とても傷つく。

しかも、早生まれの子に関していうと、
「おむつがおしっこで濡れて気持ち悪い」
という感覚が分かるようになるのが冬あたりなんですよ

冬のオムツはずしが他の季節に比べて不利なことは言うまでもない。

現に、オムツはずれてパンツで過ごしている子たちですら、寒いからトイレに行きたがらなくて、盛大におもらししまくってます。

産まれた時期の違いで、オムツが外れる時期にも影響が出る。

そんな自分の意志でコントロールできないことで、進級を妨げていいのか。そんなわけあるか。



ちなみに、何度も書くけど、「おむつ外れた子から年度途中でも進級OK」だったらいいんだよ!むしろそれは子どもの自立に任せた自然な流れ。

みんなが一律に4月に進級する中で、おむつを条件に進級できない状況があるっていうのが問題だと思ってます。



2.親御さん

imagine…想像してみて下さい…

「あなたのお子さんはオムツが外れていないので、2歳児にあがることはできません」

と言われたときの心境。


傷つくわ焦るわ、ぱっと思いつく限りいい心情ではない。


焦ってトイレトレーニング始めて、でもおもらしばっかりで、「うちの子だけどうして」って感じたり、「どうしてできないの!」って責めてしまったり。「私の育て方が悪いのかしら」って自分を責めてしまったり。しそうじゃないですか。あくまでも推測だけど。

「進級するためにがんばろうね!」
なんてポジティブな気持ちになんて、なれるわけないじゃないですか。

ちなみに、お子さんがいる友達や保育者にこのルールのことを話したところ、ほぼ全員が「えっーーー!!!」という反応でした。って当たり前か


親御さんの心理的負担が大きいと、その分子どもにもネガティブにはね返ってくる
というのは現場にいたらよく感じることです。

だから親子ともに笑っていられるような支援のしかたを保育者側は考えて実行していかなきゃならないとも感じてます。


あの、いいんだよ、園で布おむつを使用して、自然にパンツにつなげるお手伝いをするというスタンス自体は。子どもの自然な自立を促すという意味で。排泄が自立すると他の部分も自立できるから。

でもそれが巡り巡って、今回の進級ルールのように、親御さんの心理的負担になってしまったら、それはやっぱり不自然なんだと思うのです。



以上、当たり前じゃねーか的なことをつらつら書いてみましたが、書けば書くほど当たり前じゃねーか感がぬぐえなくてむなしい…大丈夫かこの園…

昨日もオムツの子を連れてトイレに座るよう誘ってみましたけど、誘った段階で「イヤ」とお断りされ、それでもいちおうトイレに座ってくれたのですが、出ませんでした。

そりゃそうだよね。まずは「ちっち、でた」って教えてくれるところからだよね。こっちが外そうとしたらダメよね。ごめんね。

ってなりました。

あーーーーーーーーーーーー!

「オムツがはずれなかったら2歳児クラスにあがれない」ルールの何がどう問題なのか

前回のお題にこたえていくシリーズ。
全部をまとめて書くと何日もかかってしまいそうなので
思いつくところからざくざくつづっていきます。


1歳児が2歳児に進級するために
オムツがはずれていることが条件とされることの
何が問題か。


産まれた時期や、身体の機能・発達の違いという
本人の努力や意思だけではどうにもならないことを理由に
私たちは子どもを差別します


という意思表示をしていることとイコールだということ。
たとえ本人たちがそういうつもりじゃなくても。

現に、今1歳児クラスでオムツをしているのは
1,2,3月生まれの早生まれの子どもたち。
(ほかの子たちは時に盛大におもらししつつ、パンツで過ごしています)


早生まれの子どもたちは進級直前に2歳になります。
一方で、4月生まれの子は、進級したらすぐ3歳になる。

2歳になったばかりの子と、3歳になる子の違い、
子育て・保育経験のある方ならよくわかると思います。


そこになぜ一律のルールを設ける必要があるのだ。


たとえばこれが、
「おむつが外れた子から順番に(年度の途中でも)2歳児クラスに進級OK」
という柔軟なルールだったらまた話は変わってくるのだけど、そうではない。



この「おむつ外れないと2歳児クラス進級NG」ルールをまじめに守る大人から
子どもが得る無意識のメッセージ

「産まれた時期の違い、身体の違いという
本人の努力や意思だけではどうにもならないことで
人を差別していいんだ」

ということ。

これが私個人が思ういちばん質の悪い理由です。

だから即刻やめていただきたい。
と感じるのです。


このメッセージを受け取った子どもや保護者側の影響についてはまた後日。



…にしても、書いてて「これって当たり前だよな。何でこんな当たり前のことを私必死に書いてるんだ」感がぬぐえないのですが。この無意識メッセージって横浜市教委の「150万おごりはいじめじゃない=おごりって言えば恐喝もいじめ認定しませんよ、私たちはいじめられている子を守る気ありません」に近いものを感じてしまう…モンテ云々の前に教育者・保育者としてアウト~☆